多様化進まぬ日本経営映す「シューカツ」

経済・ビジネス

就活で個性を隠す大学生たち

東京のビジネス街では今、黒っぽいスーツ姿の大学生が「シューカツ」(就職活動)に歩く姿をよく見かける。大学3年生が2013年4月の入社に向けて、職を求めているのだが、リーマンショック後は大学生の1割ほどが定職につけていない。多くの学生が大手の人気企業に殺到、企業側は表向き「出身大学は不問」と言う。しかし、現実は主要大学以外の学生は足切りされ、面接にたどり着けない。低迷する日本企業の将来は尖った個性的な“人材”を集めることができるかにかかっている。それなのに学生は横並びのシューカツで個性を隠し、企業も言うほどには従来の価値観を大きく変えてはいない。厳しさを増す就職戦線は、ダイバーシティ(多様性)が進まぬ日本の企業社会の縮図でもある。

日本企業の大半は毎年4月に新卒者を一斉採用する。海外留学組や中途採用者、既卒者を通年採用する動きがあるにはあるがまだ少数だ。基本は3月末に卒業した学生を4月から新入社員として研修、企業人としてのイロハを教える。大学で学んだ専門性を必ずしも重視するわけではない。入社後にそれぞれの企業ニーズに合わせて育ててゆく。

このため学生はこの4月の一括採用枠に滑り込まないと、企業社会に入り込めないという強迫観念にとらわれる。しかも多くの学生が目指すのは大手企業。特に総合商社や大手銀行はいつも人気企業ランキングの上位を占める。成長性があるとか仕事内容がユニークとかではなく、「みんなが行きたがっているから」「名が通り、安定していそうだから」というフワッとした志望動機が多い。資産は大きいが、グローバルな競争力はない大手銀行がランキング上位なのは不思議でならない。

大学は不問と食い違う現実

人気企業へのエントリーシートは何万件に達する。インターネットで志望動機や学歴などを書き込み、クリックするだけだから、「気軽に取りあえず出しておこう」というノリになる。人気企業の担当者は子細にエントリーシートを読み、選別していては効率が悪い。大手企業の幹部は「まずは機械的に特定の大学の学生だけをピックアップしている」と語る。

「出身大学は不問」という建前と、就職戦線の現実はかなり違うのだ。そこに学生側の不満は募る。何十社とエントリーシートを出しても面接にたどり着けないという学生が続出する。公平に選考されていないのではという疑心暗鬼が生まれたり、人生が否定されてしまったと思ったり、本人ばかりか親までも鬱状態に陥ってしまう。

大学への進学率は戦後、着実に増えてきた。50年ほど前は10%を切っていたが、1990年代半ばに30%台に乗り、09年に50%を突破した。2人に1人が大学生になる時代となった。一握りのエリートが人気企業に就職していたかつての日本と、大衆化した大学生がこぞって人気企業に群がる今。日本経済が低成長の時代に入り、人気企業といえども採用の間口は狭くなっている。大衆化した大学生が人気企業に易々と入れないのは自明なのだ。

東大枠多いほど成長率低い企業

戦後の日本から生まれてきた企業群は元はといえば中小企業だ。ソニー、ホンダ、京セラ…。それらの企業の成長は決して有名大学の卒業生だけが支えたわけではない。東大卒業者比率が高いほど企業の成長率が低い、という経験則もある。

学生達は「小さな会社の方が活躍できる」、「小さな良い企業を大きくしてみせる」といった価値観を持つべきだし、企業側も「とりあえず学歴で選考」という姿勢では成長力を自ら削いでしまう。多様な価値観をもっと許容する企業社会を作りあげなければ、日本の閉塞感のある若者の就職事情は根本的には改善しないだろう。

大学 ダイバーシティ