エルピーダ破綻で遠のく産業政策の復権

経済・ビジネス

「日の丸半導体」メーカーとも呼ばれたエルピーダメモリが2月末に会社更生法の適用を申請して倒産した。エルピーダは経済産業省の支援を受けて経営再建をめざしてきた。国策企業の倒産で国民負担が生じることになり、産業政策にとって手痛い失敗となった。

日本の半導体産業は1980年代に世界シェアの70%以上を占めた時期もあったが、90年代に入ると台湾や韓国の追い上げや価格の下落による経営の悪化で多くの企業が撤退した。その中で、経産省の前身の通産省の後押しで日立製作所とNECのDRAM事業を統合して1999年に誕生したのがエルピーダ。2003年には三菱電機のDRAM部門も譲り受けて、日本唯一のDRAMメーカーとなった。しかし、その後も経営難が続き、09年3月期にはリーマン・ショックの影響で1800億円近い赤字を計上した。

裏目に出た経産省の“救いの手”

救いの手を差し伸べたのが経産省だった。09年の産業活力再生特別措置法(産業再生法)の改正で、民間の協調融資などを条件に日本政策投資銀行が資本不足に陥った企業に出資し、損失が出た場合には国が8割を穴埋めする仕組みが生まれた。エルピーダはその適用第1号となり、政策投資銀行から300億円の出資を受けた。慎重論、消極論を経産省が「DRAMは日本の国民生活、経済にとって極めて重要」と押し切った結果だった。

経産省にとって、リーマン・ショックは産業政策の復権への足がかりとなった。旧通産省は戦後復興期から成長期にかけて日本経済の先導役や統制役を務めたが、90年代以降は経済のグローバル化や日本企業の多国籍化で規制緩和が求められ、産業界への影響力が低下した。

しかし、“市場の失敗”による金融危機で世界的に政府の役割が見直された。アメリカは金融だけでなく、自動車企業にも公的資金が投じられ、グリーン・ニューディールなる産業政策も打ち出した。中国の経済成長などもあって、「国家間競争の時代の到来」といった議論も高まった。

その中で経産省が打ち出した政策の一つが産業再生法の改正だった。しかし、エルピーダの倒産で“政府の失敗”に終わった。しかも、審議官時代にエルピーダ支援で中心的な役割を果たした経産省官僚がエルピーダ株のインサイダー取引容疑で逮捕、起訴され、産業政策そのものへの疑念さえ招いている。

エルピーダの場合は、技術的な優位を確保し続けにくい汎用品のDRAM産業を政府の介入で温存しようとすることに無理があったともみられる。日本の成長戦略の柱として拡大を目指す分野でも産業政策のつまずきが表面化している。

原子力発電プラントは政府首脳まで海外への売り込みに走ったが、東京電力福島第1原発の事故をきっかけに、民主党政権は脱原発、原発依存度引き下げにかじを切った。一方、太陽光発電など再生可能エネルギーの利用に関しては、普及促進を期待する機器、設備業界と、高コストを嫌う電力消費業界との利害が対立し、思い切った政策を打ち出せていない。

産業政策の復権はむしろ遠のきつつある。