歴史イヤーを迎えて—連続する記念行事への展望

川島 真【Profile】

[2015.03.19] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

記念日と新たな記憶の創出

2015年も既に三月目に入ろうとしているが、「5」のつく年は、もともと歴史イベントが多いことで知られる。1895年の下関条約、1905年のポーツマス条約、1945年の敗戦/終戦、1955年の「55年体制」、1965年の日韓国交正常化など、教科書の基本事項だけでも、枚挙に暇(いとま)がない。今年は、戦後70周年ということで、何かと話題になることもあり、こうした歴史記念日に対して、例年よりも切迫した感じが漂う。

このような記念日は、歴史の記憶を想起させるだけでなく、現在の政権なり、社会なりによって新しい解釈を付与される契機ともなる。過去の回顧や既存の解釈の再確認だけでなく、新たな記憶の創出のために、そうした記念日が配されているという面もあるのである。だからこそ、記念日関連の行事などには、当然歴史そのものというよりも、その時々の政治や社会の思惑がつきまとうということになる。

ここでは、日本と中国、台湾に絞って2015年に訪れる数十周年の歴史記念日についてまとめておきたい。これらに関わる行事などにも、各国の、またそれぞれの社会の思惑がまとわりつくことであろう。

1915年5月7/9日

この日付けをご存じだろうか。ちょうど100年前の1月18日、日本政府が中国政府に対して、「21箇条要求」と呼ばれる要求を突き付けた。この21箇条要求は近代日中関係の転換点とされるが、今年は100周年にあたるのである。日本が中国に突き付けた21箇条については、そのまま中国政府に受け入れられはしなかったものの、修正案が作成され、5月7日に最後通牒を日本が提起し、5月9日に中国政府がこれを受諾している。20世紀前半の中国では、5月7日、あるいは9日を『国恥記念日』としていた。

この要求には、日中合同警察など欧米列強からみても行き過ぎと思われる要求が多々含まれており、中国国内からだけでなく、欧米からも反対の声が上がった。これを受けて、日本は一部の要求を取り下げて修正案を作成した。しかし、それでも、日本への反発は内外で強まった。日本の対中要求は欧米列強と協調したものというよりも突出したものであったし、また中国国内で国民意識が強まっていた時期に日本が単独で行ったために、日本こそが「侵略者」の代表として、記憶の中に刻まれた面があった。

中国政府の修正案受諾後、この要求に基づいて日中間で諸条約、協定が締結されることになった。その内容は多岐にわたるが、基本的に日本は日露戦争で獲得した満洲利権を延長して、より確実なものとしようとし、また第1次世界大戦に参戦してドイツ軍を降伏させたことに伴い、山東省のドイツ利権を日本が継承することを中国に認めさせたのである。

この21箇条要求は、第1次大戦の最中に行われた。時の総理大臣は大隈重信、外相が加藤高明、駐華公使が日置益(ひおき・えき)であった。日中関係の近現代史を見渡した際、もちろん日清戦争や満洲事変などが大きな転換点になっていることは確かなのだが、この21箇条要求をもって、日中関係悪化への転換点とする見方も少なくない。また、日本が欧米から独立した対中政策を展開し始めたという点で、欧米から日本への警戒心が生じた機会であったともいえる。今年、この日に特に記念行事があるわけではないだろうが、戦前期には記念日に指定されていた日付が5月7日/9日であった。

1945年9月3日

6月22日には日韓基本条約50周年、そして7月になれば、7月7日の『盧溝橋事件記念日(日中戦争開始)』であるとか、8月15日の終戦の日などがあるが、今年特に注目が集まっているのが9月3日である。日本がポツダム宣言を受諾したのが1945年8月14日であり、その翌日の8月15日に昭和天皇がラジオ放送で戦争終結を国民に伝えた。その後、9月2日、東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に調印する儀式が行われた。日本側の署名者は重光葵外相、梅津美治郎参謀総長であった。

この時、サインした国や地域は英米中ソの連合国四大国に加えて、フランス、オランダ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドであった。そのため、一般には『VJ Day』(日本に対する戦勝記念日)といえば9月2日である。だが、国民党の統治する中国では翌9月3日に重慶で抗日戦争勝利を記念した行事を行ったこともあり、9月3日を記念日とした。また、ソ連などの社会主義国も9月3日を勝利の記念日とした。1949年10月1日に成立した中華人民共和国は、当初、8月15日を記念日としたが、やがてソ連と平仄(ひょうそく)を合わせて9月3日を抗日戦争の勝利記念日にしたのである。

2014年、中国の全国人民代表大会はこの9月3日を改めて『中国人民抗日戦争勝利記念日』として制度化した。そして、戦後70年にあたる今年、ロシアのプーチン大統領なども参加する軍事パレードを含めて多くの行事が予定されているという。プーチン大統領の参加は、5月8日にモスクワで行われるロシアの対ドイツ勝利記念日の行事に、習近平国家主席が参加することへの返礼とされている。

また、上述の通り、現在台湾にある中華民国も9月3日を抗日戦争勝利記念日とし、1950年代にこれを『軍人節』としたが、現在の馬英九政権も何かしらの70周年行事を行うことが示唆されており、9月3日がひとつの候補となることもあるだろう。

1945年10月25日

9月には9月18日の『満洲事変記念日』、また10月に入れば10月1日の『中華人民共和国建国記念日(国慶節)』、10月10日には台湾の中華民国の『建国記念日(双十節)』がある。だが、注意しておきたいのは10月25日だ。日本では、この日はほとんど意識されないであろう。だが、台湾では1947年の『二・二八事件』の記念日である2月28日や第2次世界大戦の終戦の日である8月15日ほどではないにしても、ひとつの歴史上の節目を示す記念日である。

1945年10月25日、日本の台湾に対する植民地統治が終焉を迎え、安藤利吉総督が統治権を、連合国を代表する中華民国の陳儀に返還し、陳はそれを「受領」したのであった。日本の朝鮮半島への統治は1945年8月15日で終了したのだが、台湾では10月25日まで続いたのである。その台湾では、10月25日は戦後ながらく『光復節』として休日であったが、今世紀に入ってから休日ではなくなってはいる。

国民レベルでも広い視野の歴史観を

戦後70年を迎える2015年は、こうした記念日に再び息吹が与えられる契機となろう。それは日本にとっては“歴史をめぐる外交”の試練であり、チャレンジである。しばしば言われる“適切な対応” “適切な処理”とは何かを考えることも必要となる。だが、国家レベルの対応とは別に、国民レベルでの認識もまた重要である。東アジアで交流が活発になる現在、統一の歴史観をもつことは極めて困難であるし、そうした必要性があるかどうかも議論が必要だ。だが、少なくとも、隣国にとっての歴史記念日などから、隣国の歴史観を感じることはできるであろう。

1945年8月15日を起点としている日本の「戦後」、そしてその70周年の起点としての8月15日でさえ、9月3日を重視する中国、そして10月25日を光復節としてきた台湾と、記念日として十全には共有できないのである。そうした歴史観の多様性は受け入れるべきだが、自らの歴史観を広い視野で把握することも必要ではなかろうか。これらの記念日をめぐる行事が、それぞれの国や地域の国家や社会のコンテキストの下で展開されればされるほど、相互のナショナリズムが刺激されてしまう危険性がある。だからこそ、歴史の記念日をめぐる行事や活動にまとわりつく論理や思いを、少しずつ相対化していくことが必要だろう。

(2015年3月16日 記)

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  • [2015.03.19]

nippon.com編集企画委員会委員長。東京大学総合文化研究科教授。専門はアジア政治外交史、中国外交史。1968年東京都生まれ。92年東京外国語大学中国語学科卒業。97年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学後、博士(文学)。北海道大学法学部助教授を経て現職。著書に『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会/2004年)、『近代国家への模索 1894-1925』(岩波新書 シリーズ中国近現代史2/2010年)など。

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