野田首相はイギリス的ユーモアを持てるか?

細谷 雄一【Profile】

[2011.10.07] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

2011年9月2日、前任の菅直人首相が辞任したことを受けて、民主党の野田佳彦氏を首班とする野田政権が成立した。海外のメディアでは、「5年で6人目の首相」と軽蔑的に報じられる一方で、野田氏が自らをたとえて語った「どじょう」という言葉が紹介された。イギリスではあるメディアが、このことを、自らを自嘲するユーモアを持った首相として比較的好意的に論じていた。なるほど、これはいかにもイギリス的な論評と興味深く感じた。

日本では、いわゆる「ぼけ」と「つっこみ」のコメディが一般的にみられる。他方、イギリスでは一人の人物が自らを自嘲して笑いを取ろうとする一つの伝統がよくみられる。まだ覚えている方も多いと思うが、二十年前にイギリスのTVコメディとして放映され、日本でも大変な人気を博した「ミスター・ビーン」などは、その典型例である。その主人公であるミスター・ビーンの奇怪な性癖や異様な行動を、多くの日本人が爆笑した。私もその一人である。

日英のユーモア

日本の場合に、「ぼけ」と「つっこみ」の役割分担がある芸風が好まれることは、見方を変えれば他者の存在に「依存」していることである。また他者を攻撃すれば、一部の視聴者を含めた広い意味での「他者」が傷つく場合もあるだろう。しかし自らのことを嘲笑すれば、攻撃すべき他者に「依存」することもないし、他者が傷つくこともない。笑いにおける、個人主義といえるかもしれない。さらに重要なのは、自嘲できることは自らを客観視できることである。他者の視点から自らがどのように見られているか、そしてどのような欠点があるかに気がつくことは、自らが広い視野と客観的な精神を持つことを意味する。それは高い知性が要求される。イギリス人が自らの天気や自らの国の料理を自嘲するのも、同様の理由からかもしれない。プライドの高いドイツ人や、正義感の強いアメリカ人が、そのように自国の文化を自嘲する姿はあまりみない。もちろん本当の意味でプライドがなければ、自らの欠点を笑うこともできないのだろう。

「どじょう」という泥臭さから感じられる知性

自らの姿を「どじょう」にたとえて、さらにはそこからひねって「泥臭く」政治に邁進することを誓った野田首相の言葉に、イギリスのメディアがかすかな知性を感じるのも興味深い。民主党も自民党も、必ずしも自嘲する必要があるとはいわないが、そのように客観的にユーモアをこめて自らの姿を認識する精神を持ち合わせていることは意味がある。深刻な問題に溢れ、悪い意味での自虐的なシニシズムが溢れるいまの日本で、これ以上の自嘲はいらないかもしれない。ただし、親密な空気を生み出すユーモアの精神や、自らを客観的に認識する広い視野は、ぜひとも日本政治にも浸透して欲しいと思う。

野田政権成立後の内閣支持率が6割を超えて、野田首相自らの想定以上に高かったのは、おそらくは国民が表層的なポピュリズムに飽きてしまい、むしろ地に足がついた「泥臭い」政治を欲しているからであろう。そして、自らが進める政策が国民からどのように見られていて、また日本の行動が国際社会でどのように見られているかという客観的な視座を、つねに失わないことを期待したい。それでこそ、本当に日本に必要な政治を断行することができるのだろう。

(2011年9月22日 記)

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  • [2011.10.07]

nippon.com編集企画委員。慶應義塾大学法学部教授。1971年千葉県生まれ。立教大学法学部卒業。2000年慶大大学院政治学専攻博士課程修了。北海道大学法学部、慶大法学部などの専任講師を経て2006年慶大法学部助教授。2011年から現職。著書に『戦後国際秩序とイギリス外交——戦後ヨーロッパの形成、1945-51年』(創文社/2001年/サントリー学芸賞受賞)、『大英帝国の外交官』(筑摩書房/2005年)、『倫理的な戦争——トニー・ブレアの栄光と挫折』(慶應義塾大学出版会/2009年/読売・吉野作造賞受賞)など。

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