日本外交の活路はグローバル・プレイヤーをめざすことにある

渡邊 啓貴【Profile】

[2011.10.14] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

野田新政権が発足した。新首相の外交デビューは9月国連でのスピーチであり、オバマ大統領との首脳会議であった。野田首相は、「国際公共財」としての日米同盟を最重視し、アジアの安全保障を模索するという姿勢を当初より鮮明にした。鳩山首相が東アジア共同体構想や日米普天間基地機能の移転を唐突に主張し、対米関係をぎくしゃくさせた反省に立ってのものである。それはもっともなことである。

しかし私自身はこの日本の外交のあり方を現実的であると評価しつつも、やはり新政権には外交の視野をもっと広げてほしいと思う。

日本はすでにグローバル・プレイヤーとして世界で認められている。通貨・経済・ハイテクなどの面での日本の世界での存在感は誰しも認めるところであろう。それは日本の世界での政治的プレゼンスに対する評価にもつながっていくはずである。

経済に限らず、安全保障分野を見ても各国のコミットは世界的視野でのものでなければならなくなっている。EU共通防衛政策としてインドネシア・アチェに警察活動の任務の文民活動支援が行われたことは今では驚くべきことではない。安保問題はもはやグローバルな視点で考えなければならなくなっている。そのことはすでに冷戦終結後まもなくして世界では自明となっていた。

不可欠な外交視野の拡大

その一つの例は実は普天間基地返還問題にみられたのである。それは冷戦終結後のアメリカの西側同盟関係の再編、日米安保条約の再検討という文脈の中でとらえねばならない。冷戦終結後1996年、当時のクリントン大統領が来日し、普天間基地の返還と日米同盟のアジアへの拡大(再検討)を表明した。それは沖縄での女子小学生に対する海兵隊の暴行事件が直接的なきっかけではあったが、同時にアメリカの世界的な同盟関係の中で太平洋同盟の見直しの順番がめぐってきたからでもあった。日本では海兵隊の不祥事がもたらした結果であることが強調されるが、グローバルな安全保障体制の再編の必然的な道筋の中での出来事であったと考えた方が国際関係論的には正しい。

アメリカにとって最も重要な同盟パートナーはイギリスをはじめとする西欧諸国である。しかしアメリカの大西洋関係と太平洋関係はまったく別のものではない。冷戦期にはアメリカの軍事力によってその安全を保障されていたヨーロッパが冷戦終焉後その防衛上の自立性を主張するようになり、米欧の妥協が正式に成立したのは1994年初めのNATO首脳会議であったからである。

アメリカの日本へのアプローチはその少し前からが始まったのであった。それは筆者自身が93年に渡米した時の経験から明らかであった。アメリカのアジア・太平洋政策の中枢の人々がしきりに日本人である私に会いたがり、日本ではまだほとんど話題にもなっていない北朝鮮の核開発の脅威について私に意見を求めてきたことに明らかであった。つまり彼らは東アジアでの安全保障体制の再編を模索していたのである。それは米欧関係における安全保障体制に一応の目途がついたころのことであった。

二つめの経験は、私自身当時ワシントンのジョージ・ワシントン大学の客員研究員の時の経験であった。それはイラク戦争の時であった。イラク戦争直前の時期、わが国では「湾岸トラウマ」と呼ばれた負い目から、とにもかくにも早期のアメリカ支持が提唱されたが、グローバルな視野からすると大西洋関係において独仏の支持がなく、二つの安保理常任理事国である中ロが協力的ではない状況で、アジアからアメリカの立場をサポートしたのが日本であったことを忘れてはいけない。それはわれわれが考える以上に大きな意味があったことであった。日本に続いて戦争を支持し、アメリカに対する「忠誠心競争」を始めたのはそれまで戦争に否定的であった韓国・インドネシアなどの極東の国々であり、その意味では日本はアジアの意見をまとめたのである。

日米同盟の向こうにある世界情勢を真に理解する

これらの例に見る日本外交は、日本国内での議論よりはるかに大きな意義を持っている。それはグローバルな文脈ではじめて理解されることでもある。ヨーロッパでの出来事は一見間接的なことばかりであるようにもとられがちであるが、世界はまだ米欧中心的な価値観や行動規範にリードされている。近視眼的な外交からの脱皮は広い視野を持つことから始めなければならず、野田首相は「内向きになってはいけない」と言いつつも、「和の政治」を説くところに一抹の不安がある。東日本大地震による未曾有の災害からの復興のためには国内政治の一致団結は不可欠であるが、そのことで外への関心が後退しては困る。あるいは日米関係しか視野にないのも困る。日米を基軸としつつ、より広い視野から多角的な同盟の機能も考慮に入れたものでなければならない。

日本外交はグローバル・プレイヤーとして振舞っていくことにこそその活路はあるからである。たとえば、今問題になっているTPPをめぐる議論であるが、国際的には自由貿易化の波は避けては通れない。そうした中でいかに競争力を確保していくかという厳しい課題をわれわれは突きつけられている。しかしTPPの議論は他方で、アメリカ抜きのアジア自由貿易圏の構築なのか、アメリカを軸とするアジア・太平洋自由貿易圏なのか、という選択の問題としても提起されている。日本外交の永遠のジレンマにここでも直面する。

この事態を克服していく発想は結局日本がグローバル・プレイヤーとしての国際見識を、どこまで自覚を持って世界に主張していくことができるのか、ということにかかっている。

経済と政治・外交を切り離して考えていくことは世界では許されない。経済問題となると、グローバルに論じることに抵抗がないわが国の論壇であるが、こと外交となると日米関係とアジア地域外交に議論が限定されてしまうのは、私たちの「太平洋戦争トラウマ」なのであろうか。

日米同盟はグローバル・パートナーシップである。文字通りグローバルな視野を持つということは日米同盟にも益することである。日米同盟の向こうにある世界情勢を真に理解してこそアメリカのよりよきパートナーとなるはずである。こうしたことも視野に入れた外交を新政権には望む。

(2011年10月13日 記)

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  • [2011.10.14]

nippon.com分科会委員。東京外国語大学国際関係研究所所長。1978年東京外大フランス語学科卒、80年同大大学院地域文化研究科修了、83年慶大大学院法学研究科博士課程修了、88年パリ第一大学大学院博士課程修了、99年から東京外大教授。2008~10年在仏日本大使館公使(広報・文化担当)。『Cahiers du Japon』『外交』各誌の編集委員長を歴任。著書に『ミッテラン時代のフランス』(芦書房、1990年=渋沢・クローデル賞受賞)、『フランス現代史』(中央公論新書、1998年)、『ポスト帝国』(駿河台出版、2006年)、『米欧関係の協調と対立』(有斐閣、2008年)、『フランスの文化外交戦略に学ぶ』(大修館書店、2013年)、『シャルル・ドゴール』(慶応義塾大学出版会、2013年)、『現代フランス—栄光の時代の終焉、欧州への活路』(岩波書店、2015年)、『アジア共同体を考える』(編著、芦書房、2015年)など多数。

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