文科省は果たして必要な役所か

谷口 智彦【Profile】

[2012.05.30] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

日本における文教行政の混迷は続いている。小学校から大学まで、文部科学省が何か新機軸を出せば出すだけ、その都度教育の質が落ちる。常識に照らして意味の分からない施策が増える。

「ゆとり教育」を中止したら、今度は武道とダンスの必修化

「ゆとり教育」なるものを、文科省は過去に試みた。暗記の必要な科目の負担を減らし、代わりに創造性を養おうとの触れ込みだった。しかし創造力に富む人材の発生頻度が、この教育で有意に高まった証拠はない。一方、円周率などはただ「3」と覚えるのでよいと教わり、自分はあまりにモノを知らずにきたと気付いて悩む若者を大量につくった。いま企業社会へ入り始めている世代だ。

「ゆとり教育」の中止で教科書の厚みがやや復旧すると思ったら、今年の4月、新年度入りとともに、中学校で武道とダンスが必修になったと聞き驚いた。武道とは剣道と柔道を主に指すらしいが、道具が少なくて済む柔道の選ばれる場合が多い。ところが指導を誤ると生命に関わるのが柔道だ。またダンスとは腰パン兄ちゃんに人気のヒップホップを教えてくれるようだが、一方は危険、他方は税金で教わらせるべきものか納得が行かず、いずれにしろこんな方針変更を承知した覚えはないと違和感を覚える親たちが多いだろう。

英語での講義には日本語ができる中韓の学生ばかり

日本の大学に来る留学生を増やしたいと考えた文科省は、英語で単位を取れる科目を増やし、日本人以外の講師を増やす施策を始めた。補助金というニンジンをぶら下げるので大学も躍起になった。ところが自分自身英語で講じるクラスを担当して思うことは、英語の水準で妥協しない場合、日本人学生は往々にして落伍する。残るのは留学生ばかり。しかも日本語に本来問題のない中国人・韓国人学生がその大半という光景が頻出するのである。悲喜劇的だ。

役所と役人が給料分の仕事をしようと働くと、しなくていいことをし、付け加えなくていいことを始めがちだ。しかも先輩やOBの顔にドロを塗るわけにいかないから、変化は改廃を伴わず追加ばかりになる。揚げ句が日本の教育、今日の混迷だ。人が生きるのに必要な能力や社会で求められる人材の性格を文科省が決めることなど、嘗て(かつて)できたためしはない。今日ではもっと難しい。文科省は果たして必要な役所なのか、徹底的な議論がほしい。

(2012年5月24日 記)

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  • [2012.05.30]

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。1957年香川県生まれ。1981年、東京大学法学部卒業。『日経ビジネス』記者、編集委員を経て外務省に入省。外務副報道官、広報文化交流部参事官を務める。米プリンストン大学ウッドロー・ウィルソン・スクール国際研究センター・フルブライト客員研究員、ロンドン外国プレス協会会長、上海国際問題研究所客座研究員、慶應義塾大学特別招聘教授などを歴任。2011年4月から2013年1月までnippon.com編集委員。著書に『通貨燃ゆ 円、元、ドル、ユーロの同時代史』(日本経済新聞社/2005年)など。

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