東アジアにおける「抗議外交」の矛盾

小倉 和夫【Profile】

[2012.11.08] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 |

昨今、日本と韓国の間では、竹島問題や日本の過去の植民地支配をめぐる謝罪のあり方をめぐって、政治的、外交的摩擦が生じている。日本と中国の間でも、尖閣諸島の領有権をめぐって紛争があり、両国の国内政治状況もからんで、複雑な政治問題となっている。

コミュニケーションの断絶による政治的抗議

領土問題や歴史観に関する事項は、とかく国民感情を刺激しやすいため、外交的対応も、短期的な国内政治上の考慮が優先し、長期的戦略が軽視されやすい。その結果、こうした問題については、相手国への「抗議外交」が華々しく展開される場合が少なくない。最近の日韓、日中間の問題についても、そのような傾向が読み取れる。

特に著しい傾向は、「抗議外交」の一環として、相手国への要人の訪問停止、面談の拒否、交流の取りやめといった措置が相次いだことである。これらの行為は、相手国とのコミュニケーションを断絶するという行為によって、抗議や、不快感の意思表示を行ったものである。いってみれば、コミュニケーションの断絶という行為によって、政治的抗議の意思をコミュニケートしたものにほかならない。

このような「抗議外交」行為は、政治家や政府高官の往来、あるいは、外交的に重要な会議や訪問について適用されているだけではない。文化行事を取りやめ、または延期したり、スポーツ関連行事への参加を拒否したりする例すら少なくない。

文化、スポーツにまで及ぶ国家の「抗議外交」

しかし、政治的、外交的摩擦が、文化交流やスポーツ関連行事に及ぶことは、芸術、美術、スポーツに政治をいたずらに持ち込むことになりかねず、望ましいことではない。なぜならば、芸術やスポーツ活動は、なによりもそれ自体の価値の実現のために存在するのであり、いわば、人類共通の目的に貢献するものであって、狭い意味での国家利益に奉仕するものではないからだ。

このことは、とりわけグローバリゼーションの進展に伴って、ますます明らかになってきている。グローバリゼーションに伴って、経済人や企業以上に、芸術家やスポーツマン(またはウーマン)は、国境を自由に越えて活動し、特定の「国」のラベルを持った芸術家や運動選手としてではなく、「世界」のタレントとして活躍している。今や、国境を越え、国を離れて活躍しうる人々の活動に、国家の「抗議外交」の網をかぶせ、行事を取りやめさせたり、参加を拒否させたり、活動に制限を加えることは、グローバリゼーションの進んだ世界においては、自己撞着(どうちゃく)である。

文化やスポーツが国境を越えている以上、国境の中の論理に従わざるを得ない「抗議外交」という政治的行為が、文化、スポーツの領域に踏み込むことは、極力回避されるべきである。

東アジアの政治指導者は、たとえ多くの問題について合意できなくても、少なくともこの点については、「政治的」な基本合意を達成すべきである。

(2012年10月31日 記)

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  • [2012.11.08]

青山学院大学特別招聘教授。東京2020オリンピック・パラオリンピック招致委員会評議会事務総長。1938年生まれ。東京大学法学部、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。1962年外務省入省。文化交流部長、経済局長、外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使などを歴任。2003年10月から 2011年9月まで独立行政法人国際交流基金理事長を務める。著書に『グローバリズムへの叛逆』(中央公論新社/2004年)など。

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