なぜ野田首相は解散に踏み切ったのか

竹中 治堅【Profile】

[2012.11.29] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 |

11月16日に野田佳彦首相は衆議院を解散した。読者(特に海外読者)の中には、この時期に解散したのはなぜか、疑問に感じる方も多いのではないか。そう感じる最大の理由は、野田内閣や民主党への世論の支持が低迷しているからである。解散直前の主要紙の世論調査では、内閣支持率は20%を割り、総選挙の際に比例区で民主党に投票すると答えた回答者も10%台に低迷している。

このように与党にとって不利な状況で総選挙を行うことにしたのはなぜか。カギは「社会保障と税の一体改革」関連法案の審議、特に参議院での法案可決の経緯にある。

衆議院が解散され、万歳する議員(2012年11月16日、写真=産経新聞社)

 

「一体改革」参院可決に必要だった衆院解散の約束

野田首相は、内閣の最重要課題として、消費増税を柱とする社会保障と税の一体改革の実現を目指し、3月に関連法案を国会に提出した。だが、「ねじれ」国会のもと、法案を通すためには、野党自民党の協力が必要であった。民主党は自民党、公明党と協議を行い、法案を自公両党の主張に沿う形で修正することに合意する。この結果、法案は共同修正され、6月26日に衆議院を通過した。

詳細は以前の筆者の記事に譲るが、自民党が民主党に協力した理由は、(1)2010年参議院選挙において消費増税を公約していた、(2)法案採決によって民主党が分裂することを期待した、(3)「決められない政治」が続くことで、「維新の会」が台頭するのを警戒した、という3点にある。

しかしながら、衆議院での可決で法案が成立した訳ではなかった。もともと自民党内の一部は、法案の成立を阻止して、解散に追い込むことを強く求めていた。参議院の審議過程で、これに同調する動きが強まり、自民党内は、3党合意を破棄し、内閣不信任決議案や問責決議案を提出することでほぼまとまる。そこで野田首相は8月8日に谷垣禎一自民党総裁、山口那津男公明党代表と党首会談を行い、法案が成立した場合には「近いうちに」解散することを約束した。こうして社会保障と税の一体改革関連法案は参議院で可決、成立した。

もし自民党が不信任決議案や問責決議案を提出していれば、3党合意は破棄されて、法案の成立は不可能になっていたはずである。野田首相は苦境に陥り、その時点で解散か総辞職に追い込まれた可能性が高い。このため、首相は谷垣総裁の早期解散の求めに応じて、「近いうちに」と言明せざるを得なかったのである。

解散を先延ばしできなかった野田首相

この後、自民党は野田首相に早期解散の約束を果たすよう求め続けた。これに対し、首相は解散の条件として、(1)特例公債法案の成立、(2)衆議院の定数是正と定数削減を中心とする選挙制度改革法案の成立、(3)社会保障制度改革国民会議の設置を挙げた。

自民党は応じる姿勢を示す。野田首相は11月14日の党首討論であらためて選挙制度改革法案成立への協力を求め、引き換えに16日の解散を提案した。

首相は条件をいろいろと挙げたものの、これ以上解散を先延ばしすることは難しかった。引き延ばせば有権者の多くは首相が約束を破ったと感じ、民主党にとって情勢はさらに悪化したであろう。また、自民党も法案審議への協力をことごとく拒み、政治は膠着(こうちゃく)したはずだ。このような場合、過去の例からすれば、ほとんどの批判は内閣と与党に向かうものである。

要するに、8月の党首会談で「近いうちに」という言質を自民党に取られた時点で首相の解散権は制約されていた。言明せざるを得なかったのは法案を参議院で人質に取られたからである。この解散は参議院の影響力をあらためて裏付け、参議院が今や首相の解散権をも拘束しうることを示している。

(2012年11月23日 記)

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  • [2012.11.29]

nippon.com 編集企画委員。1971年東京都生まれ。1993年東大法卒、大蔵省(現財務省)入省。1998年スタンフォード大政治学部博士課程修了。1999年政策研究大学院大助教授、2007年准教授を経て現在、教授。主な著書に『参議院とは何か 1947~2010』(中央公論新社/2010年/大佛次郎論壇賞受賞)など。

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