革命後2年のチュニジアに見る現実

水口 章【Profile】

[2013.03.14] 他の言語で読む : 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | العربية |

2010年12月、チュニジア中部の町シディ・ブ・ジッドで若者が焼身自殺をした。この事件はその後、チュニジア(2011年1月)、エジプト(2月)、リビア(10月)、イエメン(11月)での政権打倒へとつながった市民の抗議運動の発端となった。今回の旅(2013年2月)では、それから約2年を経たチュニジアの首都チュニスとその近郊を訪ねた。

スパイスの効いた夕食と政治談議

チュニスのメディナ(旧市街)。

現地に住む友人に連れられ、13世紀からの姿を残すメディナ(旧市街)のレストランで伝統的なチュニジア料理に舌鼓を打った。一番気に入ったのはトウガラシがピリッと効いた香辛料ハリッサである。まだブランド力はないが質の高いチュニジア産ワインを飲みながら、政治談議に花が咲いた。

「イスラム的服装の女性をたくさん見かけたが、イラン革命後と似ているのでは」と友人に尋ねると「革命後、スカーフの女性は増えたし、ニカブ(顔まで隠す服装)を着た女性も見かける。でも、強制的ではないので、トルコの公正発展党が政権をとった後のようかな」

1979年2月のイラン革命では、「革命ガード」や「革命裁判所」といった組織がつくられ、市民生活におけるイスラム的価値を復興させた。しかし、チュニジアのイスラム主義の与党「アンナハダ」(復興)は、現在のところそこまでは社会的圧力を強めてはいないという。ただ、チュニジアでも「革命ガード」は結成されているそうだ。

野党党首暗殺の余波

「2月23日(土曜日)に労働組合系の市民デモが予定されている。そこにサラフィー主義(純粋イスラム主義)者が乱入すると、ブルギバ通りが封鎖されるかもしれない」と友人が言う。それを聞いて、2月6日、厳しい政府批判を行ってきた野党のベライド党首が暗殺された事件を思い出した。チュニジア政治史上初の政治家の暗殺である。それに抗議した市民が翌7日に革命以降最大のデモ、8日にゼネストを実施している。この事態の対応により、9日にはジェバリ首相が辞任した。

街を歩いた感じでは、チュニスの治安状況は悪くなさそうだと尋ねると、「治安機関にアンナハダ関係者の登用が目立っていて、中には最近まで投獄されていたりゴロツキだった者もいて、警察の能力は落ちている」と香辛料ハリッサのように辛口のコメントが返ってきた。

在チュニス・フランス大使館の周辺。辺りには鉄条網が張られ、チュニジア軍のトラックがとまっている。

革命についても、最後の段階で、ラシド・ガンヌーシ(72歳、ロンドンで22年間亡命生活を送る)率いるアンナハダに乗っ取られたと感じている市民は少なくない。さらに言えば、アンナハダ自体も一枚岩ではなく、若者を中心に長老と外国亡命政治家たちが主導する政治に反感を持っているようだ。

その一方、厳格なイスラム復興を目指すサラフィー主義者たちもアンナハダの現実路線には不満で、暴力行為を選択しつつある。こうした政治談議が自由にできるようになった反面、多様な意見の収集がつかず憲法制定、国民議会選挙は予定よりも大きく遅れると見られている。

白壁と青い扉の美しい町

首都チュニスの北東約20kmに位置するシディ・ブ・サイド。その美しい景観から、毎年多くの外国人が訪れる。

友人の助言に従って、土曜日はチュニスを離れ、パウル・クレーやボーヴォワールなどの芸術家たちが愛したと言われるシディ・ブ・サイドで過ごした。この地中海を望む丘の町には、1231年に没したスーフィー(イスラム神秘主義)の導師アブ・ザイドの聖者廟(せいじゃびょう)(※1)があることでも知られている。

滞在先のプチホテルから白壁と青い扉の家並みに沿って石畳の小道を歩いていくと、黒くすすけた聖者廟が見えた。革命後、国内の聖者廟のいくつかが、イスラムに反するとしてサラフィー主義者に焼き討ちされている。地元の人々に愛されているここの廟もそのひとつだという。ヨーロッパからの観光客を魅了してきたこの町でも、サラフィー主義者が街頭デモを先導したり、モスクでの影響を強めていると聞いた。

そう言えば、前日、チュニスのリベルテ通り近くのモスクで金曜の集団礼拝に集まる人々が路上にあふれているのを見た。このモスクはサラフィー主義者の影響力が強いモスクのひとつだと後で知った。このように、チュニジアでも革命後、イスラム復興の動きが続いているが、その落ち着き先はまだ見えない。

険しい革命後の国づくり

海の見えるホテルでドイツから来たカップルに出会った。ヨーロッパのメディアはチュニジアの政治・治安情勢の悪さを頻繁に報じているが、思い切って来てみてよかったと二人は笑った。チュニジア経済の回復には主要産業である観光産業の復興が重要である。しかし、このような欧米文明との対立を深めるサラフィー主義者の台頭は、その障害となる。その向かう先は、仕事を求めて立ち上がった市民が望む寛容なイスラム社会とは異なる方向のように見える。

「アラブの春」が起きた国々では、チュニジア同様、雇用問題や経済格差が改善されていない。また、自由化や民主化による市民の政治参加が促されたものの、「路上」での抗議活動で政治を動かそうとする段階にとどまっている感がある。人々が革命の果実をまだ手にしていないと思っている限り、新たな国づくりの道は険しい。

(2013年3月6日 記)

(※1)^ イスラムで「廟」は、葬られている聖人の墓に付属する施設を指す。

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  • [2013.03.14]

敬愛大学教授。1954年生まれ。日本大学文理学部史学科卒業。専門は中東地域研究、国際社会学、対外政策。財団法人中東調査会上席研究員、『中東研究』編集長などを歴任。2010年4月より現職。著書に『中東を理解する―社会空間論的アプローチ』(日本評論社/2010年)など。

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