“長州ファイブ”に学ぶ、希薄化した日英交流を見直す

原野 城治【Profile】

[2013.09.05] 他の言語で読む : ENGLISH |

2013年は日本と英国の交流開始400周年の節目の年。同時に、日本の近代化のために訪英した“長州ファイブ”の150周年という記念すべき年でもある。しかし、両国民はそのことを十分に知らないし、意識することも少ない。

400周年とは、東インド会社の船クローブ(Clove)号が1613年6月に長崎、平戸(現在の長崎県長崎市と平戸市)に来航したことに始まる。150周年は、伊藤博文、井上馨ら江戸時代幕末の長州藩(山口県)の5傑が1863年11月に英国留学したことを意味する。特に伊藤博文らは留学当初から、鎖国・日本から来た青年ということで、現地では“長州ファイブ”と呼ばれる存在だったという。

成功だった日英グローバルセミナー

ロンドンの有名な英国王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)で、日本財団と同研究所の共催、グレイトブリテン・ササカワ財団の協力による日英グローバルセミナーが6月20、21日に開催され、筆者も参加した。

「日英グローバルセミナー:戦略的パートナーシップ構築に向けて」というセミナーの会場となったチャタム・ハウス

日本側パネリストは、北岡伸一国際大学学長、伊藤元重東大教授、藤原帰一東大教授、細谷雄一慶大教授らそうそうたるメンバー。英国側からも政治家、著名な学者、チャタムハウスの研究者、ジャーナリストが参加、日英の知的交流セミナーとしては久しぶりの重厚な会合となった。

今後5年間、年次セミナーを東京、ロンドンで交互開催する。その第1回だったので、内容も多岐にわたり議論も活発で、セミナーは成功裏に終わった。だが、それだけになぜこれほどまでに日英交流が希薄化していたのか、極端な言い方をすれば、なぜ疎んじられていたのかという印象を持たざるを得なかった。

同時に、セミナーを通じて、日英関係を再考しなければならないことにも気づかされた。それは、国際社会における歴史の大事さであり、英国の持つ長い経験とネットワークづくりに学ぶということだといえる。

日本近代化の“先兵”となった長州5傑

(萩博物館所蔵)

長州ファイブと呼ばれる5傑とは、伊藤俊輔(博文)、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉(井上勝)の5人の若い長州藩士のこと。伊藤は初代の内閣総理大臣、井上馨も初代の外務大臣、山尾は工部卿となり「工業の父」と呼ばれ、遠藤は造幣局長を務めた「造幣の父」、野村は「鉄道の父」といわれている。

5人は1863年11月に5カ月かけて英国入りし、主にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジに留学した。同大学構内には「長州ファイブ (Choshu Five)」 として顕彰碑が建てられている。

その後、長州ファイブに続き1865年には薩摩藩(鹿児島県)の五代友厚(政商)や森有礼(初代文部大臣)ら19人の学生が英国に留学した。

さらに、明治期の日本の近代化にとって重要だったのは、1871~73年に欧米に派遣された「岩倉使節団」だった。同使節団は、岩倉具視を特命全権大使とし、大久保利通(元勲)、伊藤博文ら総勢約100人が参加した。

大久保、伊藤らは欧米諸国に何を見たのか。帰国後、彼らは明治維新後の日本のために「対外政策重視」より「内政重視」を打ち出す。残念ながら、最も影響を受けたのは英国ではなく、当時ビスマルクが率いていたプロイセン(ドイツ)だったが、彼らの西洋理解が近代日本の確立の礎になったことは言うまでもない。その意味で、幕末期に、危険を冒して訪英した長州ファイブこそ、近代日本建設の先兵に他ならない。

忘れられている日英同盟

セミナーでもう1つ指摘されたのが、1902年に締結された日英同盟だった。パネリストから、「1648年のウエストファリア条約以降、西欧と非西欧が締結した最初の同盟条約」との発言があったが、いま日英同盟の歴史的意義とその再評価をしようという空気は少ない。

セミナーに参加した細谷教授が、著書『国際秩序』(中公新書)で指摘しているように、20世紀の国際秩序の最大の課題の一つは、「とりわけ日本や中国といった非西洋諸国を加える形で、いかにして『価値の共有』を実現するかであり、『協調の体系』『共同体の体系』を発展するかであった」(188頁)わけで、その最初の証こそが日英同盟の締結であった。しかし、西欧と非西欧の「価値の共有」を目指したにもかかわらず、日英同盟は1923年当時の緊迫する国際情勢の中で、失効してしまう。

複数の日英パネリストからは現状について「なぜ、日本と英国は対中政策で協力できないのか」「中国はサイバー空間についてみる限り法治国家ではない。そういう防衛面で日英はコンセプトを共有すべきだ」などの意見や指摘があった。

歴史を振り返れば、帝政ロシアが極東に進出し、満州鉄道の敷設や旅順・大連の租借などを着々と進めているときに、当時の英国が日英同盟を提案、これに日本が呼応し、中国を帝政ロシアの侵略から保護する政策をとった。その意味からいえば日英は、中国において長い歴史的経験を有している。もっとそうした経験を活用できないか、との声は多かった。

活用すべき日本の5つの「多面性」

多かったもう1つの指摘は、日英双方から出された「日本の国際社会における影響力低下」だった。その処方箋への回答は、日本の経済再生と外交活性化が中心だったが、日本側参加者から日本の持つ5つの“多面性”をもっと国際社会でアピールし、活用すべきだとの興味深い指摘もあった。

第1はヒロシマ、ナガサキの原爆投下という事実であり、核兵器を保有しないという政策だ。

第2は、第1次世界大戦で「戦勝国」となり、第2次世界大戦で「敗戦国」になった事実だ。20世紀において、先進国でこの両面性を持つ国は日本しかない。「勝者と敗者の仲介」に立つことができる歴史的経験を有するというわけだ。

第3は、戦後、ドイツと同様に高度成長経済を実現し、テロ、紛争が極めて少ない民主国家としての地位を確立したこと。

第4は、宗教的なユニークさだ。神道から仏教、キリスト教、イスラム教などあらゆる世界的な宗教を受け入れながら、それでいて宗教的な大きな摩擦がないことだ。

最後の5番目は、自然と水の豊かさ。つまり天然資源には恵まれていないが、環境や自然に恵まれた日本だ。

英国の参加者の反応は総じて良かった。

全体として、2日間のセミナーでは参加者から多くの質問が相次ぎ、日英交流の活性化への期待が高まった。しかし、「英国の外交力、日本の技術力」といった定型的な意見を超える、多面的でバランスのある日英協力、交流実現までにはまだまだ多くのエネルギーを割かなければならない課題が残った。

(注)発言者の名前は、チャタム・ハウスの会議方式で非公開。

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  • [2013.09.05]

政治ジャーナリスト。1972年時事通信社入社。同社政治部記者、パリ特派員、解説委員、秘書部長、編集局次長、ジャパンエコー社代表取締役を経て、2011年から16年3月までニッポンドットコム代表理事。2006年より日本国際問題研究所評議員。2008年「イタリア連帯の星」カヴァリエーレ章受章。2009年TBS番組コメンテーター。

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