政治家による暴言と日本のイメージ

サーラ・スヴェン【Profile】

[2013.08.13] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL |

世界から注目される日本の歴史認識

橋下徹大阪市長、麻生太郎副総理兼財務大臣等の一連の発言によって、日本の歴史認識が改めて世界の注目を集めている。いわゆる従軍慰安婦問題における日本の責任を曖昧にする橋下市長に続き、今度は麻生大臣が、憲法改正実現のために、戦前ドイツのナチス政権の「手口に学んだらどうか」と発言した

かつてから、戦争と戦争犯罪を相対化・美化し、歴史を暴論的に解釈する政治家による発言が世界における日本のイメージを悪化させてきた。このような暴言には、幾つかのカテゴリーがある。戦争の正当化・美化、戦争犯罪の相対化またはその否定以外に、マイノリティーの侮辱、旧来の価値観に基づいて女性を「子供を産む機械」などとする発言や、国民全体に対する侮辱(たとえば3・11を「天罰」として位置付ける発言)がある。

2国間関係に基づく戦争の解釈に関する発言が世界で注目されるのは当然だが(戦争は最低でも2国によって戦われるので、論理上その解釈が1国に限られることはあり得ない)、近年ではその他の暴言も注目を集めており、各国メディアによって大きく報道されている。これはなぜだろうか?

暴言批判は日本への関心と高い評価の表れ

単純に考えると、これはまず世界の多くの人々が日本に関心を持っているからだ。日本では近年、日本に対する世界の無関心が言われるが、本当にそうであれば政治家の暴言に誰も興味を持たないはずだ。だが、実際はそうではない。日本の文化に対する関心は相変わらず高く、日本の映画を観たり、日本の食事を好む人は世界中で増え続けている。当然、日本の政治にも関心を持っている人も多い。

では、何故政治家の暴言に限って、これほど批判の声が上がるのだろうか?これもそれほど複雑な問題ではない。日本はいわゆる先進国のひとつであり、先進国たるべき政治が期待されている。暴言への批判は日本に対する関心と高い評価の表れであり、高く評価されている国の政治的リーダーシップに対する失望の表現だ。これは決して日本に限った問題ではない。すべての先進国において、無責任な発言をする政治家が持論を展開すれば国際的に問題とされる。イタリアのベルルスコーニ元首相はその不適切な行為・発言のため、未だに悪名高い。また、アメリカのブッシュ前大統領がブシズム(Bushisms)という「暴言・失言集」を歴史に残したことが有名だ。

政治家に欠けている異なる考えの理解と配慮

このようなことが問題とされるのは、人々の意識の根底に、政治家に求める特別な倫理感や、誠意と信頼性への期待があるからである。それ故、政治家が暴言を吐くと失望がより強くなる。問題がさらに深刻化するのは、暴言が持論に変わり、謝罪よりも言い訳が続く場合だ。日本では暴言が吐かれた後、「誤解された」とか「誤報だった」というような言い訳が聞かれ、「記憶にない」という「善後策」もとられる。実際のところは、ほとんどの場合誤解ではない。

問題の本質は別にある。暴言を発する政治家が、自分自身の捉え方以外に他の捉え方もあり得るという可能性を基本的に考慮しておらず、相手の受け止め方への配慮を欠いていることが問題なのである。たとえば、「性暴力」を相対化する男性政治家が、他者(たとえば性暴力を受けたことがある女性等)の異なる立場に基づく異なった捉え方があるという可能性さえ想像していないということが、問題なのではないだろうか。これは「誤解」ではなく、暴言を吐く者の視野の狭さと想像力の欠如、閉鎖的な思考、そして異なる考え方に対する無理解・無知の証拠であろう。

(2013年8月5日 記、原文日本語)

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  • [2013.08.13]

上智大学准教授、フリードリヒ・エーベルト財団東京事務所日本代表。1968年ドイツ生まれ。マインツ大学、ケルン大学、ボン大学で歴史学、政治学を学ぶ。4年間の金沢大学での留学を経て、1999年ボン大学文学部日本研究科博士号取得。ドイツ日本研究所人文科学研究部部長、東京大学大学院総合文化研究科准教授などを歴任。共編著に『明治初期の日本―ドイツ外交官アイゼンデッヒャー公使の写真帖より』(OAGドイツ東洋文化研究協会・Iudicium/2007年/和独文)『Pan-Asianism: A Documentary History(史料で読むアジア主義)』(Rowman & Littlefield/2011年/英文/2 vols.)など。

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