バンドン精神―先人たちが敷いた平和を願うレール

政治・外交

真夏の8月、私はインドネシア・ジャワ島西部の町、バンドンをようやく訪れることができた。1955年4月、反植民地主義、アジア・アフリカ諸国の民族自決などを掲げた「バンドン会議」(アジア・アフリカ会議)の開催地として知られている場所だ。

中国からは周恩来首相率いる一団が参加していたこの会議では、全会一致で『世界平和と協力の推進に関する宣言』(※1)、いわゆる『バンドン十原則』が採択された。アジア・アフリカ諸国は自国と世界の平和と友好に寄与することを宣言したのだ。バンドン精神と呼ばれる崇高な精神は、幼い頃に父母が私に説いた自彊不息(じきょうふそく)(※2)の精神に相通じるものがあり、私の子供の頃の記憶に深く刻み込まれた。以来、いつか行ってみたいとずっと思い続けてきた。

2013年8月22日、イスラム学者評議会(MUI)とインドネシア儒教最高会議(MATAKIN)の共催による「2013年イスラム教と儒教サミット」に出席するためにインドネシアに出張していた私は、首都のジャカルタから2時間列車に揺られてバンドン市に向かった。目的地のアジア・アフリカ会議博物館は、1980年に会議開催25周年を記念して建てられたもので、当時の会場を利用して会議に関する各種写真や資料が展示されている。最も貴重なのは、当時の参加各国代表団団長等の発言を録音したものだ。「我々は、アジア・アフリカ諸国間には様々なイデオロギーや社会制度が存在することを認めつつも、我々が共に求める共通性と団結を妨げるものでは無い」と発言した周恩来首相の肉声も聞くことができる。

翌23日に、ジャカルタに戻った私は、周恩来首相の言葉が時空を超えた瞬間に立ち会うことができた。「2013年イスラム教と儒教サミット」の歓迎レセプションにおいて、インドネシア宗教相代理、インドネシア外務省報道部ファチル部長、イスラム学者評議会(MUI)代表、ムハマディヤ(Muhammadiyah)議長、インドネシア儒教最高会議(MATAKIN)議長、インドネシア宗教及び文化交流協会会長、マレーシア、シンガポール、中国、台湾、日本、ペルー等、各国地域代表ら出席者たちの発言から、往時のバンドン会議やその精神を確かに感じることができたからだ。

会議のテーマは「イスラム教と儒教の平和新文明への貢献」で、4つの議題に即して討論が行われた。その4つとは、(1)シルクロードと関連する場所から儒教文化とイスラム文化の関連性を探る(2)両宗教が全インドネシアの宗教信者と協調発展するには(3)イスラムと儒教文明がアジアと世界の平和協調への貢献について(4)『世界平和のためのジャカルタ宣言』を制定し、信仰の促進と宗教間の安定的関係へ新しい方法を世界に届けるである。

24日午前の開幕式での、インドネシアのブディオノ副大統領の発言もまた、私にとって忘れ難いものとなった。

「社会を不安定化に陥れる衝突事件というのは、往々にして政治や経済的利益によるところが大きく、宗教保護のスローガンを掲げることもしばしばである。どんな宗教でも暴力的行為を容認することはない。信者の人口比率から見れば、ムスリムと儒教信者が協調しあえば、人類の文明、社会の平和と安定に寄与できる」と発言されたのだ。

同日夜には、世界平和を謳った『ジャカルタ宣言』が発表され、ナスルディン・ウマル宗教副大臣が閉会宣言を行った。この平和宣言は、香港孔教学院院長・湯恩佳博士、世界孔学研究協会のタンスリ李金友会長を始め、世界各地より参加した200名以上の研究者、教育関係者、宗教家が見守る中で読み上げられた。

閉会後、私はジャカルタの華人学校と幼稚園、さらに当地の華人等の歴史や生活を展示する文化館を訪問した。そこで、私は初めて、どんな年齢層でも、どんな民族でも、周恩来首相の名前を知らない者はいないことに気付いた。皆中国や日本と手を携え、アジアや世界の平和を願っている。

私たちは皆、先人たちがバンドンに敷いた平和を願うレールに沿って生きているのだろう。

(2013年9月3日 記、原文中国語。写真提供=著者)

(※1) ^ 『バンドン十原則(ダサ・シラ・バントン)』とも呼ばれ以下の通り:(1)基本的人権と国連憲章の趣旨と原則を尊重、(2)全ての国の主権と領土保全を尊重、(3)全ての人類の平等と大小全ての国の平等を承認する、(4)他国の内政に干渉しない、(5)国連憲章による単独または集団的な自国防衛権を尊重、(6)集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない。また他国に圧力を加えない、(7)侵略または侵略の脅威・武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立をおかさない、(8)国際紛争は平和的手段によって解決、(9)相互の利益と協力を促進する、(10)正義と国際義務を尊重

(※2) ^ 『易経』乾卦からの引用で、自分からすすんでつとめ励んで怠らないという意。