2020五輪招致―東京はなぜ勝ったのか―

小倉 和夫【Profile】

[2013.09.20] 他の言語で読む : 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

招致戦略、3次元の分析

9月7日、ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会における投票により、東京がライバル都市のマドリードとイスタンブールを破って、2020年オリンピック・パラリンピック大会の開催都市に選出された。

なぜ東京が選ばれたのかについては、東京の招致活動の成功のせいばかりではなく、ライバル都市の戦略や作戦の失敗という裏の面も考えねばならない。さらに、東京、イスタンブール、マドリード、各々の意図、作戦、活動を越えた、国際情勢や、各国の政治経済情勢の上での要因が、東京に有利に働いたとも考えられる。

すなわち、東京の勝因の分析は、第一に東京の戦略分析、第二に対抗馬の都市の戦略分析、そして、第三に各都市がコントロールできないその国全体の政治、経済という三次元の分析に分かれるといえよう。ここでは、第一の点についてのみ、とりあえずの分析を試みてみた。

東京の弱点克服戦略こそが勝因

ひとことで言えば、東京の戦略は皮肉なことに、東京の弱点と見られていた点を克服しようとする戦略と努力に結晶していた。

東京の弱点としてまず広く指摘されていたことは、都民と国民の五輪招致への支持が低いことであった。2012年の段階で、支持率は50%を切っていた。

支持率を盛り上げるために、招致関係者はオリンピックバッジの配布、各種のパンフレットの作成、後援会やイベントの企画、ネット上での各界の指導者とのインタビューなどを行った。加えて、商工会議所やロータリークラブなどの経済界の会合での五輪招致支持活動、さらには、国会、都議会、区議会などの決議や都議会議員の地方出張など、各種の広報活動が、ゆっくりとではあるが、着実に支持を広めていった。

こうした活動は、ロンドンオリンピックをきっかけに一層世間の注目を浴びることとなり、とりわけロンドンオリンピックのメダリストによる凱旋パレードは、全国的に五輪招致に弾みをつける契機となった。そして、皮肉なことに、このようにゆっくりと上昇する支持の過程こそ、日本人の心を堅固に一つにしてゆく触媒となり、それが、最後の段階で、選挙戦における日本のチームワークの良さに結び付いていったのである。言い換えれば、当初の支持率の低さが、逆に、関係者の熱心なキャンペーンにつながり、国民各層の熱意をあおり、それが跳ね返って招致活動に直接携わる人々の連帯と団結を生み、勝利へとつながったのである。

(左)3月5日のサイトビジットで、IOC評価委員を国技館前で出迎える子供たち。(右)アスリート、関係者などのサインが入った五輪招致旗。(写真提供=東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会)

表立った妨害工作をしなかった中韓両国

第二の東京の弱点は、アジア、とりわけ隣国の中国や韓国に東京支持の声があがらないということであった。特に国際社会では、日本と韓国、中国との緊張関係の存在を、東京のマイナス点としてあげる向きも多かった。もとより、個別のIOC委員対策においては、東京の関係者もいろいろな形で、中韓両国のオリンピック関係者の指示をとりつけるよう、陰では努力していた。しかし日本政府やスポーツ界の指導者が表から、中国、韓国の指導者に指示を要請することは、目立った形ではあまり行われなかった。

これは、オリンピック関連事項に、政治色を持ち込むべきではないとの見方を、間接的ながら中国、韓国に浸透させる方が、目立った政治工作を行うことより効果的であるとの戦略に基づくものであった。事実、最後まで中韓両国の政治指導者は、五輪東京招致にいわば「我関与せず」との態度をとり、両国のIOC委員も積極的に日本支持を第三者に訴える動きは一切見られなかった。このことは、逆説的ではあるが、中韓双方をして五輪東京招致支持をなんらかの政治問題と絡めて取り引きすることを困難にした。それによって、逆に日本と両国との緊張関係という次元からオリンピック招致問題を隔離することができたのであった。その結果、中国、韓国とも、東京招致に対して目立った賛同もしないかわりに、表立った妨害工作も行わなかった。

より広い意味でのアジアの団結については、折からIOCの次の委員長候補6名の中に2名もアジア出身の候補がおり、アジアに2020年の五輪を持ってくることは、アジア人の委員長実現をかえって困難にしかねないというジレンマもあって、最後まで明確な形では実現しなかった。しかし、それがかえって、日本の主張として、五輪大会を躍動する一大経済圏たるアジアで開くべし、と言いやすくした面もあったといえる。

このように、今回の選挙戦では「アジア」という要素は、微妙に見え隠れしており、そこがかえって東京に有利な状況を生んだと言っても過言ではない。

大きかった東日本大震災復興という“大義名分”

第三の東京の弱点は、招致の大義名分が弱いという点であった。マドリードもイスタンブールも、初めての開催をアピールすることができ、それぞれ「華やかな国際的観光都市」の実績と魅力を訴えることができた。それに対して、東京は当初、大義名分にはあまりこだわらなかった。東京の安全、安心な都市環境と日本の効率や組織力といった地味なアピールポイントを打ち出すのがせいぜいであった。しかし、これは招致合戦の終盤になって、むしろ日本の強みとなった。

なぜならば、東京は他の都市とは違い、「なぜ開催するのか」より「どのように開催するのか」の方が重要であり、東京にまかせれば安心ですよとアピールする作戦をとることができたからである。

同時に東京も、招致の大義名分を次第に前面に出すことを控えめながら並行して行った。それは、東日本大震災からの復興とオリンピックを結び付けたことである。とりわけ、災害から立ち直る過程で、スポーツの力を活用できた点を国際的に訴えた。このことは、災害や放射能の影響に今なお若干の懸念を持つ人々の見方を逆手にとって、むしろ、災害からの復興に力を注いでいる日本を支持するか否かにこそ、スポーツマンやアスリートのチャレンジ精神が問われている―という図式を示唆することとなったのである。

このように、東京の勝利は、実は東京が各種の弱点を抱えながら、むしろそれをプラスに転じる戦略をとったからであったと言ったら、勝利の女神は苦笑するだろうか。

(2013年9月13日 記)

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  • [2013.09.20]

青山学院大学特別招聘教授。東京2020オリンピック・パラオリンピック招致委員会評議会事務総長。1938年生まれ。東京大学法学部、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。1962年外務省入省。文化交流部長、経済局長、外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使などを歴任。2003年10月から 2011年9月まで独立行政法人国際交流基金理事長を務める。著書に『グローバリズムへの叛逆』(中央公論新社/2004年)など。

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