日本人にとって人間関係の潤滑油とは?

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町中で日本人が携帯電話片手に、「すみません」と頭を下げているのをよく目にする。話している相手は目の前にいないにも関わらず、一生懸命心から謝ろうとしている。

日本人はよく謝る、というのは世界的認識でもある。

一方でアラブや中東、欧米では謝ることは責任を認めたことになるため、なかなか謝ろうとしない人が少なくない。謝ることで立場が弱くなり、裁判沙汰にでもなろうものなら不利となる場合さえあるからだ。

「謝る」に凝縮された日本人の心

長年日本で暮らした私は、人に「謝る」というのは勇気がないとできないことであり、自分に対して「素直」になれるからこそ「謝る」ことができるのだと考えるようになった。つまり謝る側の方がある意味強いのではないのかと思う。自分の非を認めて相手に謝罪するというのは、決して自分を卑下することでもなく相手に対する媚(こ)びでもない。

ある偉人が残した言葉に次のようなものがある。

「人間誰しも過ちを犯しやすいものであるが、その過ちを認めようとしないこと自体が本当の過ちである」

少しでも相手に迷惑をかけたり傷つけたりしたら、自分の非を素直に認め、反省した上でお詫(わ)びの気持ちを、そして何事に対しても「ありがとう」と感謝の気持ちを持つことこそ人間関係の潤滑油である。

仏教には感謝の五訓と呼ばれる言葉もある。『はい』という素直な心、『すみません』という反省の心、『お陰様(かげさま)で』という謙虚な心、『私がします』という奉仕の心、『ありがとう』という感謝の心。

人として大切なことがここに凝縮されている。

このような道徳観念は、宗教に関わらず世界共通のものであり、親から子へと伝えられているはずだが、その表現の度合いは国によっても人によっても大きく違っている。

わが子には上記の五訓をしっかり持った子に育ってほしいと思う。そのためには、まずは親である自分が五訓の心を常に忘れずにいるべきであろう。

多くのことを日本で学んだが、これもそのひとつである。

(2013年11月6日 記)