日本人にとって人間関係の潤滑油とは?

イハーブ・アハマド・エベード【Profile】

[2013.11.07] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

町中で日本人が携帯電話片手に、「すみません」と頭を下げているのをよく目にする。話している相手は目の前にいないにも関わらず、一生懸命心から謝ろうとしている。

日本人はよく謝る、というのは世界的認識でもある。

一方でアラブや中東、欧米では謝ることは責任を認めたことになるため、なかなか謝ろうとしない人が少なくない。謝ることで立場が弱くなり、裁判沙汰にでもなろうものなら不利となる場合さえあるからだ。

「謝る」に凝縮された日本人の心

長年日本で暮らした私は、人に「謝る」というのは勇気がないとできないことであり、自分に対して「素直」になれるからこそ「謝る」ことができるのだと考えるようになった。つまり謝る側の方がある意味強いのではないのかと思う。自分の非を認めて相手に謝罪するというのは、決して自分を卑下することでもなく相手に対する媚(こ)びでもない。

ある偉人が残した言葉に次のようなものがある。

「人間誰しも過ちを犯しやすいものであるが、その過ちを認めようとしないこと自体が本当の過ちである」

少しでも相手に迷惑をかけたり傷つけたりしたら、自分の非を素直に認め、反省した上でお詫(わ)びの気持ちを、そして何事に対しても「ありがとう」と感謝の気持ちを持つことこそ人間関係の潤滑油である。

仏教には感謝の五訓と呼ばれる言葉もある。『はい』という素直な心、『すみません』という反省の心、『お陰様(かげさま)で』という謙虚な心、『私がします』という奉仕の心、『ありがとう』という感謝の心。

人として大切なことがここに凝縮されている。

このような道徳観念は、宗教に関わらず世界共通のものであり、親から子へと伝えられているはずだが、その表現の度合いは国によっても人によっても大きく違っている。

わが子には上記の五訓をしっかり持った子に育ってほしいと思う。そのためには、まずは親である自分が五訓の心を常に忘れずにいるべきであろう。

多くのことを日本で学んだが、これもそのひとつである。

(2013年11月6日 記)

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  • [2013.11.07]

1970年、エジプト・ギザ生まれ。サウジアラビア国立イマーム・ムハンマド・イブン・サウード・イスラーム大学東京分校アラブ・イスラーム学院講師。1991年カイロ大学文学部日本語日本文学科卒業、1997年大阪大学言語文化研究科修士終了。カイロ大学文学部日本語日本文学科助講師、東京外国語大学世界言語社会教育センター外国語主任教員(2011年~2015年)を経て、現職。編著には『パスポート日本語アラビア語』、『基礎日本語学習辞典アラビア語版』、『大学のアラビア語 文法解説』、『大学のアラビア語表現実践』がある。

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