東京観光の新名所、赤レンガアーチの旧「万世橋駅」

哈日 杏子【Profile】

[2014.01.06] 他の言語で読む : 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية |

東京・JR秋葉原駅のそばにあった交通博物館。2006年に鉄道博物館としてさいたま市に移って以降、跡地のことは多くの人々からしばらく忘れられていました。ましてや、その場所にかつて「万世橋駅」があったことを知っていた人は、鉄道ファンや東京の歴史に詳しい人を除けば、決して多くはなかったでしょう。

東京屈指のターミナル駅だった「万世橋駅」

近くを流れる神田川に架かる「万世橋」にちなみ、万世橋駅が開業したのは1912年(明治45年)。東京から甲府を経由して名古屋を結ぶ中央本線のターミナル駅として、上野駅、新橋駅と並ぶ東京を代表する駅でした。鮮やかな2階建ての赤レンガ造りの初代駅舎は、東京駅丸の内駅舎の設計者である辰野金吾(1864-1919)と葛西万司(1863-1942)によるもの。聞くところでは、台湾の総統府や台湾大学医学院付属医院、紅楼劇場(西門紅楼)なども辰野金吾のスタイルを受け継ぐものだそうで、当時の駅舎の写真や絵葉書を見ると、私にとってはどこか懐かしさを覚えます。

東京駅(1914年[大正3年]開業)より先に建てられ、東京市電(路面電車)の乗り換えターミナルとしても大いににぎわった万世橋駅は、1919年(大正8年)に中央本線が東京駅まで延伸すると徐々に寂れていきました。乗降客数減少により、1943年(昭和18年)に駅の営業は中止。まだ駅が営業していた1936年(昭和11年)には旧鉄道博物館(のちに交通博物館に改称)が設置され、70年もの長きにわたり人々に愛されましたが、2006年にその役目を終えました。

1912年(明治45年)開業当時の初代駅舎(国立国会図書館所蔵『日本写真帖』より)。東京駅丸の内駅舎のデザインに通じるこの駅舎は1923年(大正12年)の関東大震災で焼失する。その後、1925年(大正14年)の2代目駅舎、1936年(昭和11年)の3代目駅舎(旧鉄道博物館併設)に引き継がれた(2代目、3代目の駅舎写真はフォトギャラリー参照)

東京観光の新スポットとして再生

しかし、この場所が2013年9月、モダンでノスタルジックな商業施設「マーチエキュート(mAAch ecute)神田万世橋」として、再び私たちのところに帰ってきました。ちなみに「マーチエキュート」の名は、JR東日本の“駅ナカ”商業施設である「エキュート」が、駅から離れた“街”の中に初めて出店することから付けられています。

「マーチエキュート神田万世橋」は、駅開業当時の姿をとどめる赤レンガ高架橋のアーチを生かしたシンプルで大胆なデザインの空間の中に、フラワーショップやワインショップ、レストラン、雑貨ショップや期間限定の鉄道グッズショップなど、さまざまなお店が出店し、エレガントな雰囲気を醸し出しています。まだら模様の壁面タイルが歴史を感じさせる階段で2階に上がると、駅の旧プラットホーム上に設けられた展望デッキとカフェが現れ、電車が左右を走っていく姿をガラス越しに見ることができます。

これまでにない特別な空間がそこにはあります。2013年にオープンした東京観光の新名所の一つとして、ここは外せません。

(原文中国語)

神田川に架かる「万世橋」と「マーチエキュート神田万世橋」

展望デッキとカフェのすぐ横を通り過ぎる電車は迫力満点

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  • [2014.01.06]

漫画家、エッセイスト。台北生まれ。幼少時より漫画家、小説家を志望し、中学生から投稿し始めたのをきっかけに、4コマ漫画『阿杏』でデビュー。1996年、4コマ漫画集『早安日本(おはよう日本)』の中で、「哈日症」の言葉を創作し、台湾全土に広めた。2013年7月現在、訪日歴は60回以上、日本滞在のべ日数は約1600日に及ぶ。2010年から福岡県の「福岡達人旅行団」団長と高知県観光特使を務める。日本での著書に『哈日杏子のニッポン中毒』(小学館/2001年)など。フェイスブックブログYoutubeでも活発に情報発信している。

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