ニッポンの職人に感じたカルチャーショック

廖 八鳴【Profile】

[2014.05.05] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | العربية | Русский |

数年前のことだ。

中国の友人が同僚とともに日本に出張でやってきた。日曜日に東京を散策した私たちは、お昼に上野の回転寿司店に入った。二人とも初めての日本で、初めての回転寿司だったので、目の前にやってくる皿の中から好きなものを取れば良いというルールと魚の特徴を教えつつ、私が勧めたい寿司ダネの握りを板前さんに別途注文した。

初めての回転寿司で浴びた罵声

程なくして、突然、「そんなふうに食べるならここに来るな!とっとと出て行け!」という罵声が聞こえてきた。

友人の同僚の皿を見ると、タネを一つの皿に、シャリをつぶし粒状にもどしてもう一つの皿にまとめ、お刺身定食のように食べていたのだ。このことが板前さんを大いに怒らせてしまった。

郷に入っては郷に従えである。私はただちに板前さんに詫びを入れ、事情を話し何とかその場を切り抜けたが、小さなカルチャーショックだった。

この一件は、私にはとても印象深いものとなった。日本人にとって「お客様は神様」だとすっかり思い込んでいたが、意外な一面を見せつけられたのだ。神様であっても、運悪く不機嫌な店員さんに会ってしまうということか。しかし、板前さんが怒ったのは心情的に理解できるものの、罵声を発したのはやり過ぎだったのではないだろうか。「お客様は神様」という大事なことを忘れてしまっては、商売人としては失敗だろう。

板前が「お客さまは神様」よりこだわるものとは?

ある日、私は法律コンサルティング番組をテレビで観た。4人の弁護士が壇上で、番組内で取り挙げた事例に対し、自分たちの判断を下すというものだ。その中で、あるラーメン店についての事例を挙げた。そのラーメン店では店主が作った店のルールとして、一口目には必ずスープを飲むこと、それから麺を食べることというものがあった。しかし、ある客が一口目に麺を食べてしまい、店主が客を追い出したところ、それに不服だった客が店主を訴えたというものだ。番組の弁護士は、2人が客を支持し、2人が店主を支持した。

法律問題としては大変興味深い。しかし、私がもっと興味を持ったのは、なぜラーメン店の店主は客の恨みを買ってでも、一口目はスープを飲ませたかったのか。「お客様は神様」ではなかったのか?

しばらく考えた後、私はこのように理解した。

ラーメン店の店主は、商売人であると同時に職人である。仮に自身を商売人だけに位置づければ、客が気に入るように応対して金だけもらえれば良い。しかし、この店主は明らかに自身を職人と位置づけ、職人としての自負から最高の作品を客に披露したいと願っている。ラーメンの最高の味を体現するには客がまずスープを飲むことが必要で、店主はそこに職人としての価値を見出しているのだ。この信念を実現するには「スープをまず飲む」という客の協力が必要だからこそ、このようなルールを作った。「お客様は神様」というのは、自身に協力してくれる客だけに適用され、協力できない客は最初からお断りなのだ。

こう考えると、上野の寿司屋の板前さんが怒ったのも、ラーメン店主と同じく職人の意地からであり、譲れない一線を必死に守っていたのだ。

今の日本における職人文化は、このようなたくさんの人達が守っているのだろう。職人の意地に比べ、「お客様は神様」だけを追い求める商売は確かに薄っぺらい。

(原文は中国語)

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  • [2014.05.05]

1958年中国四川省成都市生まれ。1982年洛陽大学日本語文学部卒業。その後郵電部(郵政省)衛星通信技術研究所、国家科学技術委員会科学技術人材交流センター翻訳員、外文出版発行事業局日本語月刊誌『人民中国』記者を歴任。1993年10月東京大学大学院総合文化研究科に留学。1996年4月より芝浦工業大学、日中学院等で講師を担当。在日中国語メディアフリーライター。著書に『天安門燃ゆ―激動の北京現地報告』(共著、読売新聞社中国特派員団/1989年)等がある。

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