STAP論文不正疑惑に見る科学研究の深刻

サーラ・スヴェン【Profile】

[2014.05.10] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

理化学研究所を含め複数の研究者が共著者として名を連ねた論文に不備が見つかるという一大スキャンダルが発覚し、日本のメディアは事件を大きく取り上げた。この一件は、日本の科学界が抱えている問題のみならず、研究管理全般にまつわる課題をも露呈させた。

問題ある近視眼的なメディア報道

論文不正疑惑に対するマスメディアの関心は、「研究にかかわった者のうち何人がデータの盗用や改ざん、ねつ造といった不正行為に関与したのか」という点にもっぱら集中していた。しかしこの事件が投げかけたものはそれだけではないのではないか。メディアの報道のあり方、『ネイチャー』などの専門誌の質を保証するはずの査読制度の問題点、そして科学・学問のあり方、ひいては研究機関や雑誌といった科学を扱う組織の内実に対する正しい認識が一般社会では不十分であることも問われていたと私は思う。

4月9日、論文不正疑惑が発覚し、加熱するメディア報道と理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダー(檀上中央)。(写真提供=時事)

まずはメディアの問題から見てみよう。2014年1月、14人の研究者よる刺激惹起性多能性獲得細胞(STAP細胞)の論文2本が権威ある(と言われている)科学雑誌『ネイチャー』に掲載されると、メディアは尋常でないほど熱狂的な報道を行った。メディアにしてみれば願ってもない話題だったに違いない。世界をリードする科学技術力は戦後日本の誇りであり、アイデンティティーの一部なのだから。おかげでメディアが描いた「ヒーロー物語」は人々にすんなり受け入れられた。しかし「将来有望な若き研究者率いるグループの論文が著名な科学雑誌に掲載された」という華々しい側面ばかりが強調され、論文に対して批判や反論がなされる可能性については十分に伝えられなかった。

それだけに、疑惑が持ち上がった時の失望は大きかった。後から報道内容が覆されるケースは少なくないのだから、近視眼的で浮ついた報道を行うことに対して、メディアはもっと慎重であるべきだったのだ。また、曲りなりにも大学を卒業した記者なら、学術論文が公開後に第三者によって検証されることぐらい知っていてしかるべきだろう。多くの研究者は発表された論文を読み、内容を分析して検証や反論を行う。研究結果が批判や精査にさらされ、時には「不都合な真実」が発見されることも、科学の世界では想定内の出来事なのだ。

本当に「科学は正確なもの」なのか?

不備のある論文が、『ネイチャー』に掲載されたことも問題だった。『ネイチャー』は、論文の審査を当該分野の著名な学者に依頼する「査読」と呼ばれる制度を取っており、査読者は論文の矛盾点や剽窃(ひょうせつ)の疑いのある記述を見つけ出し、クオリティーや構成、文章技術などを精査する責任を負う。にもかかわらずSTAP論文の剽窃の可能性を発見できなかったのは、査読という制度自体に欠陥があるからに他ならない。

査読には匿名性が求められるが、たとえ査読者に論文の執筆者名が伝えられなくても、匿名性が保たれるとは限らない。例えば幹細胞、とりわけSTAP細胞の場合、研究者の数がそれほど多くないので、共著者が14人もいれば、たとえ匿名にしていても執筆者が誰かをおおむね推測できてしまうのだ。たまたま査読者が執筆した研究者(または研究グループ)に好感を持っていれば、論文内容をそれほど精査することもなく掲載にゴーサインを出すかもしれない。また反対に、内容が優れているにもかかわらず、研究者に対する心証がよくないために掲載見送りとすることもあり得る。掲載しない理由などいくらでも見つけられるのだ。

さらに科学に対する世間一般の認識という問題も絡んでくる。マスメディアが論文問題をこれほど大きく報じた理由の1つに、「科学は正確なもの」といまだに広く信じられていることが挙げられる。一般の人の多くは学問を「science(科学)」と「humanities(人文学)」に分けて考え、科学を正確な学問ととらえる一方で、人文学には必ずしも正確性や客観性を求めない。(ちなみに日本語ではscienceが「自然科学」、humanitiesが「人文科学」と表され、両者の差異は英語ほど強調されていない。)

しかしSTAP論文問題を見ていれば、「科学は正確なもの」とは言えないことがよく分かる。科学の場合、研究に投じられる資金が莫大なうえ、時にはマスコミからの注目が高いこともあり、データが操作される可能性(というか、その誘惑)は人文学よりもはるかに高いのだ。

研究費の大きさだけではない。例えば「遺伝学の父」グレゴール・メンデル(1822年~1884年)は遺伝の法則を発見したことで知られるが、実は実験データには不備があり、記録されたとおりの実験方法では法則を発見できなかった可能性が指摘されている。なのになぜ発見できたのか? 現在定説とされているのは、「実験の方向性が正しいことを強く確信していたがゆえに、いわゆる『確証バイアス』(※1)が働いた」という見方だ。助手が実験結果を操作したという説もあるが、おそらくメンデルは、望んだ結果が得られるようなデータを無意識のうちに選び取ったのだろう。知らず知らずのうちに研究結果を左右し得る確証バイアスと、意図的なデータ操作。その境目は非常に微妙だ。しかし世に信じられているほど科学が正確でも客観的でもないことは間違いない。

研究不正をなくすための原因究明を

加えて今回の論文疑惑によって浮き彫りになったのが、剽窃、すなわち知的財産の盗用という問題だ。STAP論文の関係者がどれほどの責任に問われるのかは分からないが、近年、剽窃は世界の教育や研究の現場で深刻な問題になっている。ドイツでは博士論文に剽窃が見つかったという理由から、過去3年間で2人の閣僚が辞任に追い込まれた。また私が教える学生も最近、剽窃の被害に遭った。論文が無断で使用され、別の大学で修士論文として提出されたのだ。

剽窃が研究倫理に反する重大なルール違反であることは、現在、多くの大学で教えられており、「Turnitin」などの剽窃検出ソフトを利用する大学も多い。それでも改善の余地はまだまだある。STAP論文問題で取り沙汰されている理化学研究所や早稲田大学といった一流の研究機関も例外ではない。剽窃はちょっとしたカンニングではなく許し難い盗みなのだということを、あらゆる手立てを使って学生や若い研究者たちに認識させなければならない。

結局、今回の一件は、科学界に深く根ざした問題が表面化したものであり、STAP論文は氷山の一角にすぎないのだ。マスメディアも個々の研究者の落ち度をあげつらうのではなく、より本質的な部分に焦点を当てた報道を行うべきだろう。しかし残念ながら研究者の世界はタテ社会だし、メディアの報道熱は冷めやすい。だから差し迫った問題を解決するための措置は取られても、深く掘り下げた原因究明が行われることはない可能性もあろう。

(2014年3月27日 記、原文英語)

(※1)^ 自分の願望や信念を裏付ける情報を重視・選択し、それに反する情報を軽視・排除する心的傾向のこと。

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  • [2014.05.10]

上智大学准教授、フリードリヒ・エーベルト財団東京事務所日本代表。1968年ドイツ生まれ。マインツ大学、ケルン大学、ボン大学で歴史学、政治学を学ぶ。4年間の金沢大学での留学を経て、1999年ボン大学文学部日本研究科博士号取得。ドイツ日本研究所人文科学研究部部長、東京大学大学院総合文化研究科准教授などを歴任。共編著に『明治初期の日本―ドイツ外交官アイゼンデッヒャー公使の写真帖より』(OAGドイツ東洋文化研究協会・Iudicium/2007年/和独文)『Pan-Asianism: A Documentary History(史料で読むアジア主義)』(Rowman & Littlefield/2011年/英文/2 vols.)など。

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