オバマ訪日に思う安倍首相と日本のマスタープラン

政治・外交

オバマ米大統領が訪日し(2014年4月23~25日)、日本政府は招聘の最高ランクである国賓として盛大に大統領を出迎えた。18年ぶりの米大統領国賓待遇には「日米蜜月関係復活」をアピールしたい日本の思惑が明らかだ。オバマ大統領も日本の要望に応じて、滞在日数を一日延ばすことを承諾。これは、これまでで最大の滞在日数となった。

“対等”には見えない日米関係

共同記者会見を終え、握手を交わす安倍晋三首相とオバマ米大統領。写真提供=時事

3年半ぶりの大統領訪問に日本はもちろん世界各国のメディアも盛り上がった。新聞やテレビなどあらゆるメディアがオバマ大統領訪日の様子をきめ細かく報じた。安倍首相が、ありとあらゆる「おもてなし」を使ってオバマ大統領の機嫌を取ろうとしている様子も鮮明に映し出されていた。

最近の日米関係を男女関係で例えるなら、「すれ違うばかりの仲」だった。米国という「女性」に対し、「男性」である日本が今回の訪問を機に関係を修復させようと懸命になるのも無理もない話だ。寿司屋で食事する場面など両首脳の親密さを象徴する映像を眺めても、第三者であるアラブ人の私の目には、日米同盟の現状が対等な関係には映らない。確かに日米同盟は日本に平和と繁栄をもたらしたが、恋愛で求められるのは対等な関係。彼氏または彼女に依存してしまう関係というのは最終的にはウザがられて終わるだけだ。まるで、アメリカの言いなりになっているように見える日本……だが、そう単純な関係ではないと私は思っている。

「ナショナリズムアレルギー」に陥った日本

オバマ大統領訪日に絡んで、日本のメディアでは安倍首相のアジア外交戦略が大きく取り上げられた。靖国参拝や歴史認識問題などの言動が批判の的ともなり、首相の言動が日米同盟にも暗い影を落としているとの見方までもがメディアや評論家の間で広がっているようだ。

「脱戦後レジーム」「美しい国」「再チャレンジ」などをキーワードに首相が掲げる構想をナショナリズム的思考だと厳しく指摘するメディアや評論家も少なくない。長い間平和教育を受け、戦争に対するトラウマを植え付けられたせいなのか、何だか一種の「ナショナリズムアレルギー」のような状態だ。

安倍晋三首相は先日の参院予算委員会で「私は戦後レジームから脱却をして、戦後70年が経つ中で、今の世界の情勢に合わせて新しいみずみずしい日本を作っていきたい」と述べた。その上で、「日本は平和国家としての道を歩み続けてきたが、憲法自体が占領軍の手によって作られたことは事実だ」とも答弁している。

首相の「脱戦後レジーム」とは、何を意味するのか。その中身がまったく見えないという点では危険なのかもしれないが、日本を独自の方法で見つめ直そうとしているのは間違いではない。

求められるのは「日本のかたち」を整えるマスタープラン

米国は“相手のことをよく勉強する国”として定評がある。かつても、そして今も日本のことをよく勉強し、日本人のマインドとその扱いに慣れている。日本はどこに向かっていくのか、安倍首相自身は日米同盟で何を目指しているのかなど、日本国民には安倍首相のマインドが読めなくても、米国には読める可能性が高い。

米国が武力を行使するのは、自らの国益が致命的な侵害を受ける恐れがあるときだけだ。自国の領土を自国以上に守ってくれる同盟国など存在しない。これらの事実を安倍首相も間違いなく知っている。だからこそ、日本には自分で自分を守れる備えが必要だと認識し始めている。ただ、それを可能にするのは、日本人をひとつにする“マスタープラン”なのだ。こう考えると、安倍首相が「美しい日本」や「脱戦後レジーム」などで作ろうとしているのは「日本を再生する」ためのマスタープランなのだと分かってくる。

司馬遼太郎は著書『この国のかたち』(文芸春秋)で「日本史に英雄がいないが、統治機構を整えた人物はいた」と記している。安倍首相も英雄にはなれないとしても、日本のマスタープランを作り統治機構を整えられる力があるのかもしれない。防衛や経済など様々な課題に対し自ら備えを用意し、アメリカとの同盟関係を踏み台に、より自立した国としての新たな次元を目指そうとしているように見える。

いずれにせよ、アメリカを後ろ盾にマスタープランを完成させるのが急務だと私は考える。