「知的アクロバット」では国は守れない

政治・外交

安倍晋三首相は5月15日、私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書提出を受けて記者会見し、集団的自衛権行使を可能にするため、政府に憲法解釈を変更するよう求めた報告書に沿って、本格的な検討に入る方針を表明した。

政府は40年以上、「集団的自衛権の行使は禁止されている」という国会答弁を繰り返してきた。しかし、安倍首相の方針表明を受けて、政府与党は今後、集団的自衛権行使に関する憲法解釈を変更するための調整を加速させる。

「普通の国」への重要な一歩

この首相会見をどう見るかだが、日本がようやく“普通の国”に立ち返る重要な一歩を踏み出したと言えるだろう。世界のどの国を見ても「国際法上、集団的自衛権は保有しているが、憲法上はその行使を認めていない」というような奇妙な解釈がまかり通ってきた国はない。

北岡伸一・安保法制懇座長代理が報告書の説明ブリーフで指摘したように、日本のこれまでの安全保障論議は法律論に固執した“知的アクロバット”であったことは紛れもない事実だ。間違いなく「知的アクロバットでは国は守れない」という強いメッセージが報告書には込められている。実際、政府は長い間、集団的自衛権は行使できないと説明してきたが、朝鮮戦争はもちろんベトナム戦争、湾岸戦争などで日本が米軍に協力してきたことは、実体として集団的自衛権の行使に等しい事態であったと言えるのではないか。

思えば、“普通の国”という概念は、湾岸戦争(1991年)当時、軍事を含めた積極的な国際貢献活動を推進しようとした小沢一郎元自民党幹事長が言い出したことだった。あれから実に四半世紀が経過している。この間、日本を取り巻く安全保障環境は大きく変わった。

北朝鮮は傍若無人にミサイル・核開発を続け、中国は海洋進出を加速させ、尖閣諸島周辺の日本領海をたびたび侵犯している。直近の事例で言えば、東シナの西沙諸島における中国とベトナムの衝突は"対岸の火事“のように傍観しているわけにはいかない事例だ。今回の報告書は、そうした著しく変化する安全保障環境に即応する形で「国民の命と暮らし」を守るための必要な措置だと言える。

歯切れの悪さの背後に政治的配慮

しかし同時に、首相会見は、その意欲とは裏腹に歯切れの悪さを残したのも事実だ。集団的自衛権の行使について、「限定的容認論」を強く意識し、憲法の「平和主義厳守」を繰り返し強調した。急がば回れということもあるが、与党・公明党への配慮が強くにじみ出たことは疑いがない。首相の記者会見発言内容にも、公明党サイドから注文がついたと聞く。その結果、本来、“大きな政治”として語られるべきこれからの「国のかたち」、それを支える安全保障・外交への説明は十分とは言えず、報告書が重視したもう1つのポイントである「国際協力」への言及も十分な時間が割かれることはなかった。

与党・公明党の山口那津男代表は、集団的自衛権の行使容認について「政府の考えを急に変えることはよくない。これまでの理論体系とずれていれば政府自身が信頼を失う」と意固地なまでに慎重姿勢だ。条件付きで容認しそうなのは武力攻撃に至らない侵害である「グレーゾーン」事態でしかない。

このため、今後の見通しについて、秋の臨時国会では「グレーゾーン事態」の処理にとどめ、本格的な集団的自衛権の限定的行使容認は来年の通常国会後半での決定といった“2段階処理論”がささやかれている。

果たして、これでうまくいくのであろうか。与党内協議という形で重要な協議が進められるが、法的なアクロバット論に固執した時間稼ぎに逆戻りしたり、政治的妥協を誘発する事態にはならないだろうか。本質に迫った議論を大きな政治論の中で、正々堂々と展開することが、国際社会からの理解と支持を得られる近道であることは言うまでもない。

カバー写真=記者会見する安倍晋三首相、5月15日午後、東京・首相官邸、写真提供=時事

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