AKB48を頂点に押し上げた日本の凋落

間宮 淳【Profile】

[2014.05.27] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

民主党大敗北でボツになった『AKB48の政治論』

ちょうど2年前、日本の民主党政権の末期のことである。そのころ、とある出版社の編集者をしていた私は、公立大学の学長である著名な政治学者と、人気評論家の社会学者と3人で新しい書籍の企画会議をしていた。テーマは「日本政治の崩壊」。その席上、終わったばかりの女性音楽グループAKB48の「総選挙」(新しい曲を発表するたびにステージでの立ち位置を選挙で決める、このときは2012年6月6日実施)が話題となった。議論は本筋からどんどんずれて行ってなんと「AKB48は日本政治より立派である」という結論に達したのである。さらに書籍の仮タイトルまで『AKB48の政治論』に決まってしまった。この年の年末に本物の総選挙が行われ、政権交代が起き安倍政権が発足したことで、日本政治のパフォーマンスは一転して好転。結局この企画もお蔵入りになってしまった。

暴漢事件で神格化された“スター”の仲間入り

そのAKB48が5月25日、岩手県内で行っていた握手会でのこぎりを持った暴漢に襲われ、メンバー2人、スタッフ1人がけがを負った。

被害にあった方々には気の毒だが、実はメディアに露出している著名人や芸能人が、見ず知らずの人間に狙われて暴行の対象になることは珍しいことではない。ジョン・レノンの殺害はそのもっとも有名な例であろう。日本でも舞台公演中に客席から塩酸をかけられた美空ひばり、コンサート中に観客に鉄パイプで殴られた松田聖子の例をはじめ、小さなトラブルに至っては枚挙にいとまがない。

暴漢の心象風景の中でこれらの「スター」達の存在がどのように肥大化していたかは犯罪心理学の領域なのでコメントのしようもないが、私が興味を引かれるのは、むしろAKB48がこれらきら星のごとき、いまだに神格化されている被害者たちと同格の存在に、ついに成り上がっていたという事実である。というのも、そもそもAKB48はファンにとって身近な存在であることを「売り」にしていたからである。

「成長する姿」がコンセプト

AKB48は、2005年の結成以来、秋葉原というポップカルチャーの街にある専用劇場を拠点にし、普通の女子高生をオーディションで選び、握手会をはじめとしたファンとの直接交流を売り物にした「会いに行けるアイドル」として売り出してきた。総メンバーは今や100人を超え、序列のあるいくつかのグループに分かれている。神格化とは正反対の手法である。そして2008年ごろから、CDの売り上げが爆発的に伸びだした。

評論家の多くは、流行や社会の風潮を先取りした楽曲をその人気の原因として挙げるが、私は違う見方をしている。AKB48は社会構造のカリカルチャーといえる組織をもっている。オーディションでの選抜後も階層構造の組織を自力ではい上がっていかなければならない。新しい楽曲が決まるごとに「総選挙」によってすべての序列が変わるのである。「成長する姿を見せる」がコンセプトにあるというが、そのもくろみが成功しているのだろう。

AKB人気は日本社会に枯渇したものの“映し鏡”

「総選挙」という名の人気投票だけで序列が決まる実力主義、舞台裏での練習に次ぐ練習といった努力の姿を表に出す演出法、握手会に代表されるようにファンへの礼儀や社会的訓練の徹底、などなどがAKB48の特徴である。この姿は、日本の政治家が2世、3世といった世襲の政治基盤を背景に実力とは関係なく選出され、プロの政治家としての訓練がなされず、社会人としても未熟、といった体たらくにあったことと対照的である。これが2年前の会議の結論だった。同じころ、私の友人のパーティーで「永田町の政治家と会うよりAKB48の公演に行きたい」と公言した政治ジャーナリストがいた。少なくとも、研究者やジャーナリストを含めた日本社会のかなりの数の人々にはそのように思われていた。

なぜだろうか。ここに挙げたAKB48の特徴は、まさにかつて活力があったころの日本社会の美質であったと、いまだに多くの日本人に信じられているものなのである。もしこれらが今も当然のように日本社会の標準的価値であると思われているならば、憧憬の対象になることはあるまい。ただ、それが実際に失われてしまったものなのか、そもそも存在していたのか、「美質」などという実態のないものの動向など追跡すべくもない。先の議論では、ダメな日本社会への失望が、政治や社会のエリートの人物評価への失望に置き換わり、その対象物としてAKB48が際立ったのかもしれない。少なくとも私の周辺はそうだった。

これは、偶然の符合かもしれないが、AKB48の人気が跳ね上がったのはちょうど、小泉政権が終わりを告げた、世界的な経済危機に巻き込まれた迷走の6年間が始まったころであった。そして、日本のパフォーマンスを一変させることに成功した第二次安倍政権もまた、はっきりと保守的な価値への回帰を打ち出すことを特徴としている。

AKB48が巻き起こした一連の社会現象は、このような文脈で読み解かれるほうが、私にはしっくりとくるのである。

カバー写真=AKB48の公演(2014年3月29日撮影、写真提供=時事)

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  • [2014.05.27]

編集者。1959年大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東洋経済新報社『金融ビジネス』編集長、中央公論新社『中央公論』編集長、nippon.com編集委員・編集担当理事などを歴任。

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