韓国は4・16危機を乗り越えることができるか

政治・外交

転換点という韓国の危機的状況

2014年4月16日、韓国で発生した貨客船の沈没事故は韓国を大きく揺さぶった。

表面的にみれば、その衝撃は、政治的、経済的、社会的、いずれの側面でも明白だ。政治的には事故の事後処理のまずさに端を発した政治不信と危機管理能力への疑問、経済的には安全を無視した利潤追求体質と癒着構造の発覚、そして社会的には若い命を失った修学旅行生徒たちへの哀悼と事故責任者への怒りの爆発がある。

そうした衝撃は韓国政府批判の渦を生じ、その渦は、大統領の度重なる謝罪や総理を始めとする幹部の辞任、責任官庁の改編といった流れを生んでいる。社会的自粛ムードが広がり、政治的不安定がささやかれ、韓国は一つの転換点にさしかかっているという意味で、危機的状況にあるとも言える。

韓国旅客船沈没事故で、行方不明の乗客の家族らが待機する体育館を訪れた朴槿恵大統領。写真提供=時事

露呈した韓国の政治的、社会的な未熟さ

ここで真の問題、表面の現象の奥深くに潜む真の問題は何かをよく考えねばなるまい。

4・16危機は、実はこれまで韓国がたどってきた政治的、経済的軌跡に、誤りとまでは言えないものの、大きな欠陥があったのではないか、という疑問符を提示した。

ほぼ先進国の地位を得て、かなり成熟した社会になったと一見思われていた韓国という国家の品格が今や問われている。しかも、重要なことは4・16事故が起こったことの背後にある社会的、政治的欠陥よりも、むしろ、この事故に対する韓国社会の反応自体にどこか異常な、未成熟なものが漂っていることだ。事故の責任追求の仕方、謝罪や辞任といった政治的対応の仕方、そして何よりも悲しみや哀悼の気持ちを怒りにかえて、責任者の糾弾に走る社会的傾向は、気持ちの上では理解しうるとしても、政治的、社会的未熟さを露呈しているのではなかろうか。

IMF危機で機能した3つの要因

1997年から98年にかけて韓国を襲った、いわゆるIMF危機を韓国が見事に乗り切った背景には、少なくとも3つの重要な要因があった。その一つはIMFを中心とする外圧であり、第2の要因は日本を始めとする友好国の協力と援助であった。そして、第3の要因は韓国が新政権であり、しかも、民主主義精神を貫徹しようとする信念をもった政権であったことである。

これら3つのいずれの要因も、現在は機能する状況にはない。外圧はなく、日本との政治関係は緊張しており、韓国は保守政権である。

奇しくも、4・16は喜劇俳優チャップリンの誕生日である。多くの犠牲者を出した悲劇を政治的喜劇にしてはならないであろう。今大事なことは、責任者の処罰もさることながら、事故の責任者の人権擁護をも含めた法の支配の貫徹、政治的癒着構造の解体と大事故の歴史的意味を反すうするための国民的冷静さと謙虚さの堅持ではなかろうか。

その後韓国で相次いで発生した事故

2014年4月16日 珍島(チンド)沖旅客船「セウォル号」転覆事故
5月2日 ソウル地下鉄2号線衝突事故
5月19日 ソウル地下鉄4号線電車絶縁装置破裂
5月26日 高陽(コヤン)市総合バスターミナル火災
5月28日 全羅南道長城(チョルラナムド・チャンソン)郡高齢者向け療養型病院火災

 

タイトル写真は、客船「セウォル号」沈没事故犠牲者の合同慰霊所ですすり泣く弔問客(写真提供=時事)。

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