日本スペイン交流400年、大きな転機の予感

千野 境子【Profile】

[2014.06.05] 他の言語で読む : ESPAÑOL |

仙台藩・支倉常長を団長とする慶長遣欧使節団の派遣から2013年が400年になるのを記念して始まった日本スペイン(日西)交流400周年は、もしかするとこれまで必ずしも緊密とは言えなかった日西関係を変える第一歩になるかもしれない。

2014年3月、400周年の記念行事の一つで、スペイン日本研究学会によるセビージャでの会議「『日本と西洋』文化遺産に見られる接点」に参加して感じたことである。

若き日本研究者の多さに驚きと関心

コリア・デル・リオにある慶長遣欧使節団の資料を集めた記念館のホールで行われたシンポジウム。

まず会議の盛況ぶり。海外からも含めて100人を超す日本研究者が3日間、一堂に会した。顔ぶれも『日本の美術』の著者のフェルナンド・ガルシア・グティエレス氏や同学会会長で俳句の研究家フェルナンド・ロドリゲスーイスキエルド・イ・ガバラ氏など日本研究の重鎮からポケモン・マニアを自認する10代の高校生まで多彩。海外からの参加者には、同じスペイン語圏の中南米とスペイン、そして日本と日本研究の世界的ネットワーク作りを目指す意欲的な研究者もいた。

研究発表の希望者は「締め切り間際に申込みが殺到」(会議事務局長のアンハラ・ゴメス・アラゴンさん)し90人にも上った。このため発表時間は大御所も新人も一律10分間。俳句、小説、浮世絵、建築、映画、アニメ、マンガ、少林寺拳法、観光…と皆が思い思いのテーマをパワーポイントやスライドを使い、入れ代わり立ち代わり発表する様子は学会の研究発表とは大分趣が違ったが、若い研究者の多さや日本への熱い思い入れは、かえって日本研究の今後に期待を抱かせた。

そもそもスペイン研究者でもない私が会議に招かれたこと自体、日本熱を物語るものだろう。2年前にスペインを訪れた際に産経新聞に書いたコラム「絆求めるハポンと日本」(拙著『女性記者』に所収)が会議関係者の目にとまり、呼ばれることになった。コラムはセビージャ近郊にある慶長使節団ゆかりの地コリア・デル・リオに暮らす、日本に帰国しなかった使節団員たちの子孫といわれるハポン(日本)姓の人々がスペイン・ハポン・ハセクラ・ツネナガ協会を作るなどして、互いの絆や日本への思いを深めて来たことを紹介したものだった。

なぜ400年前の三陸大津波について発表したか

会議は最終日、そのコリア・デル・リオに会場を移し、支倉常長の立像がある公園や市内を見学した後、シンポジウム「慶長遣欧使節団から400年 日本と日本人」が行われた。私以外のパネリスト3人に2人がハポン氏である上に司会者もハポン氏、まるでハポンの揃い踏みのようだった。発表は主に使節団やハポン姓に関するものだったが、私は「使節団と慶長の三陸大津波について考える」と題し、概略次のような発表をした。

東日本大震災は400周年の2年前に起きたが、奇しくも使節団派遣の2年前にも三陸大地震と大津波が発生し、甚大な被害を出した。しかも使節団と行動を共にしたメキシコ副王答礼大使でスペインの探検家セバスチャン・ビスカイノが地理測量中にそこに居合わせ、目撃の記録がスペイン国立図書館に残っている。400周年を迎え、これらは単なる偶然の一致以上の深い意味を東北の人々に与えている。

ビスカイノは被災者たちが家族や家屋を失う苦難に遭いながら、来訪者を厚遇することに注目し感謝している。どんな状況にあっても客人を丁重に遇する日本のおもてなしの心が、17世紀の東北地方ですでに根付いていたことを物語るもので、感動的だ。

その目撃は東日本大震災によりあらためて信憑性を高め、支倉らを乗せたサン・ファン・バウティスタ号が出航した港に近い石巻にある、新装なった慶長使節船ミュージアムには慶長三陸大津波の解説コーナーが作られ、ビスカイノの体験も紹介されている。400周年と東日本大震災は歴史的遺産を継承することの大切さを私たちに投げかけている。

また同館館長の濱田直嗣氏はじめ研究者たちの間で、仙台藩主・伊達政宗が使節団を派遣したのは慶長三陸大津波からの復興・再生を願ってのことであったとの見方が出ていることも興味深い。復興に取り組む東北の人々ならではの実感ではないかとも思う。

最後に日本は西欧と比べて地震や津波、台風など自然災害が多い。しかしそこから自然に逆らわず、自然を師として仰ぐ受容の精神も生まれた。日本の地震学の基礎を築いた科学者寺田虎彦は「天然の無常」という言葉で日本人の自然観を説明している。

スペインで感じた心の復興の大切さ

使節団が上陸したグアダルキビル川をのぞむ公園に立つ支倉常長像の前で記念撮影する日本研究者たち。

私が慶長大津波に焦点を当てたのは、東日本大震災を忘れないでほしかったことと支援への感謝の気持ちもあった。セビージャの大聖堂では3・11のメモリアル・サービスが行われ、コリア・デル・リオでは毎年、支倉の像の前で追悼式が行われている。

気になる反響は、素晴らしい通訳のお蔭もあって、好評だったと聞いてホッとした。

「福島出身なので心にひとしお響きました」と感想を伝えてくれたセビージャ在住の日本人もいた。日本からの復興報道に接していると、公共事業や建設分野など経済面ばかりが目立ち、精神的な面がおざなりになっているようで残念に思うとの彼の指摘にはハッとさせられた。復興にはもちろん物資やお金が欠かせない。しかし精神的な、いわば心の復興を軽んじてはなるまい。

スペイン・マドリード市内で支倉常長展が開かれた際には、交流400周年の日本側名誉総裁である皇太子もご訪問され、支倉家13代当主・支倉隆さんと言葉を交わされた。写真提供=時事

日本語習得の動機は“憧れ”

今回の400周年で、もう一つ印象深かったことがある。スペイン人にとって外国語を学ぶ動機が、ドイツ語は仕事のため、中国語は将来(の仕事)のためであるのに対して、日本語は憧れとの指摘である。

日本経済の低成長で、就職に有利な言葉は今や中国語に取って代わられた現実は現実として、より純粋な憧れという動機は、美しき誤解もあるかもしれないが、やはり嬉しいことだ。冒頭に紹介した会議での発表テーマの多様さや熱気とも重なりあう。

日西交流400周年は間もなくフィナーレを迎える。401年目からの交流でも、日本はスペインの人々の憧れを裏切ることのないような国でありたいものである。

(2014年6月4日 記 写真提供=著者)

この記事につけられたタグ:
  • [2014.06.05]

横浜市生まれ。1967年に早稲田大学卒業、産経新聞に入社。夕刊フジ、マニラ特派員、ニューヨーク支局長。外信部長、論説委員、シンガポール支局長などを経て2005年から08年まで論説委員長・特別記者。現在は客員論説委員として産経新聞のコラム「視線」に寄稿している。東南アジア報道で1997年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。15年9月に『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』(草思社)を出版のほか、『インドネシア9.30クーデターの謎を解く』(草思社)、『女性記者』(産経出版)、『なぜ独裁はなくならないのか』(国土社)など著書多数。

関連記事
その他のコラム

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • シンポジウム報告