恋愛ゲームの当て馬となった「日朝協議合意」

政治・外交

北朝鮮の金正恩第一書記は、ここまでは実にうまくやった。要するに彼は二股をかけているのである。わかりやすく言えば「恋の駆け引き」だ。そして本命は安倍晋三首相ではなく中国の習近平国家主席。相手の気を引きたいとき、相手のライバルと仲の良いところを見せる、というのは個人ではよく使われる手だ。これで本命の中国が食いついてくるかどうかはまだわからないが、「当て馬」の日本を自分が望む条件で釣り出したということでは、お膳立てとしては成功といえよう。

結果を見る前にカードをすべて切った日本

その条件を見てみよう。5月29日に日本政府が発表した日朝政府間協議における合意内容によると、北朝鮮は、1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨および墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者および拉致の疑いが排除されない行方不明者を含むすべての日本人に関する包括的かつ全面的な調査を行う。

また日本は、北朝鮮がこの包括的調査のために特別調査委員会を立ち上げ“調査を開始する時点”で、人的往来の規制措置、送金報告や携帯輸出届出の金額に関して北朝鮮に対して講じている特別な規制措置、および人道目的の北朝鮮籍の船舶の日本への入港禁止措置を解除する、ということになっている。

問題は、この“調査を開始する時点”で日本の対北朝鮮独自制裁を緩和するという点にある。“結果を見て”ではない。その結果がどうなるかは、まだこれから調査を行うのであるから、日本側が満足するものとなるか、否か、まったくわからない。もし、満足できない内容、国内の拉致問題解決の圧力に終止符を打つことのできない結果となった場合どうするのであろう。独自制裁は日本にとってほとんど唯一の圧力材料である。これを手放してしまった後、日本はどのような交渉が可能なのだろうか。

在日朝鮮人の資金パイプ復活が望みだった

北朝鮮は慢性的な経済危機の状態にあり、常に外からの投資を渇望している。日本の制裁緩和は、在日朝鮮人の資金というかつてのドル箱を復活させることを意味する。このことが北朝鮮の対日要望の本線であって、彼らは満足する回答を得たことになる。

日本国内では、東京都千代田区にある朝鮮総連本部ビルの競売問題が交渉の焦点という見方がある。しかし、北朝鮮はこの間の動きを見て、結局、行政府である日本政府が司法当局の決定に手を出せないことを学んでおり、いまやまったく期待を持っておらず、単に交渉で難題を吹っ掛ける意図で使ってきた節がある。

もちろん日本側にも十分な動機がある。安倍首相は政権としても政治家個人としても拉致問題の全面解決を打ち出し続けている。拉致被害者家族の高齢化が進む中、早く何らかの結果を示す必要を感じていたと思われる。

習近平に会うためのステップ

北朝鮮にも動機はある。しかしそれは別な方向を向いている。日本との修交は残念ながら本命ではない。もちろん、在日朝鮮人からの資金流入は渇望してきたところであろうが、北朝鮮の存立を考えた場合、絶対的に必要なのは中国の支援なのである。そして日本に接近しても生き残れないのである。2013年12月に金正恩が中国とのパイプ役とみられていた張成沢・前国防委員会副委員長を粛清した後、中朝関係は険悪化している。その修復が現在の金正恩の最高の戦略目標である。それ以外は、これに従属するものと考えなければならない。

今後、金正恩が日本に向ける顔がどのような表情になるかは、本命である習近平の態度次第である。恋する相手に振り向いてもらえるなら、当て馬など袖にしても気にはなるまい。

筆者は、「包括的全面調査」の見通しに悲観的である。いくばくかの遺骨、自分の意思で入国した日本人の帰国にプラスアルファで、お茶を濁される可能性は十分にあると思う。制裁を放棄した後でそうなったら、今度こそ本当に手詰まりになってしまう。あとは北朝鮮の誠意に期待するしかない。それが何を意味するか、日本人なら誰でも想像がつくだろう。

カバー写真・日朝協議の合意内容を明らかにする安倍首相(写真提供=時事)

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