虎ノ門ヒルズ開業——「魅力あふれる東京」と東京しか魅力ある投資先がなくなった日本

間宮 淳【Profile】

[2014.06.12] 他の言語で読む : 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS |

幹線道路の上に立つ高層ビル

2014年6月11日、東京港区の虎ノ門に高層の複合商業施設「虎ノ門ヒルズ」が開業した。開発したのは、日本を代表するデベロッパーで「アークヒルズ」「六本木ヒルズ」など都市再開発の大型案件を手掛けてきた森ビル。建物は地上52階、地下5階。高さは247メートルで、2007年に六本木の防衛庁旧庁舎跡地の再開発でできた「東京ミッドタウン」の248メートルに次いで東京都内で2番目の高さとなる。

ただ、この建物が話題を呼んでいるのは、その高さでも、「アークヒルズ」や「六本木ヒルズ」にすでにみられるような都市機能をまるまる一塊の施設の中で完結させた機能性でもない。実はこの高層ビル、東京の幹線都市道路の「上に」建っているのである。

わずか1.4キロメートルのために68年……

この道路、正式名称を「東京都市計画道路幹線街路環状第2号線」といういかめしい名前を持つ。いうまでもなく東京都管轄の事業で、2020年の東京オリンピックの会場となる江東区有明を起点に、皇居の西側を巡って千代田区神田佐久間町に至る馬蹄形の道路である。問題は今回、「虎ノ門ヒルズ」に先立ち3月に開通した新橋-虎ノ門間の1.4キロメートル。都市計画道路としての計画承認はなんと1946年。わずか1.4キロメートルの道路を通すのに実に68年かかったのである。

停滞した原因は言わずと知れた用地収用の難航である。戦後の日本では、地権者は実に手厚く法的に保護されている。土地所有者だけでなく借地・借家の権利保有者も同じように守られている。そのため、公用の土地買収でも政府や地方自治体には強制力がなく、個別の売買交渉に頼るしかない。

日本の足を引っ張り続けた土地問題

要するに中国のような乱暴な手法は使えないのである。この点、民主主義的といえるのだが、一方で地価の高騰を招き、バブル期などの土地需要が高まった時期などには民間業者による「地上げ」という暴力団の脅迫を使った土地買い上げまで横行した。しかし、日本経済を破壊するほど地価を上げ、アングラ勢力を総動員したにもかかわらず、まとまった土地の収用は進まず、バブル経済崩壊に伴い東京都内には地上げが途中で挫折した「虫食い」の土地がそこここに残る結果になった。

そもそも、東京の都市計画は収拾のつかない混乱状態にあった。かつて1923年の関東大震災の後の復興事業はかなりしっかりしたビジョンと計画のもと、現代の東京の基盤となる都市開発が行われた。しかし、1945年の戦災後の復興は、およそ計画性というものとはほど遠いものだった。政府も民間企業も個人も経済的に破たん状態にあり、まずそれぞれが生き残る算段を立てることが優先された。「借家者の権利を守りすぎている」として、のちに都市開発の阻害因子と目されるようになる「借地借家法」も、この時期、緊急避難的に他人の土地の上にバラックを建てて生活していた被災者を、「中国式立ち退き強制」から守るため作られたものだった。

この状況は高度経済成長期になっても変わらなかった。土地を集約して大規模に再開発するコストはあまりに大きく、基本的にすでにある土地の上に建て替える以外に新しいものを作ることはできなかった。1964年の東京オリンピックは東京の都市整備のきっかけとなったが、それでも首都高速道路を地面ではなく、既存の川や堀さらには道路の上の空間に高架としてつくるしかなかった。その結果、都心部に一戸建ての住宅地域が残り、主要駅前に終戦直後からの闇市のバラック街が広がるという、およそ経済大国の首都にふさわしからぬ状況が続いた。

都市再開発のイノベータ―、森ビルの“得意技”は?

東京ではバブル崩壊以降、規制緩和で投資を誘引して大規模な都市再開発が続いてきた。しかし、そのほとんどがお台場や汐留の旧国鉄貨物駅跡地のような新たに供給された更地か、東京駅周辺や防衛庁跡地など既存の大型物件の建て直しが中心になってきた。

そのなかで、今回「虎ノ門ヒルズ」を建設した森ビルは、日本の大手デベロッパーとしてはかなり異色な存在である。すでに集約された土地を開発するのではなく、利用度の低く地権者が細分化されている区画を丸ごと再開発することを“得意技”にしているからである。

その手法は、1969年に施行された「都市再開発法」の権利交換方式と呼ばれるもので、地権者が権利を供出する形で協同組合を作り再開発した後、新しい物件の権利を応分の比率で手にするというもの。土地を買い上げるわけでも住民を追い出すわけでもない。しかもより高度な開発が行われれば土地の資産価値も上がるという仕組みだ。しかし、これでも土地の集約は容易ではなかった。地権者の3分の2の参加があれば事業は成立するが、その3分の2の説得が容易ではないのである。

職住に文化施設までそろえた複合施設として世間の耳目を集めた赤坂溜池の「アークヒルズ」は17年間、ITブームの象徴のような存在となった「六本木ヒルズ」も16年間以上の時間を計画開始から開業までに費やしているのである。その時間のほとんどは地権者の説得に充てられたのである。

今回の「虎ノ門ヒルズ」に至っては、70年間近く止まっていた道路計画を復活させた。道路と建築物を一体建設する立体道路制度(1989年施行)を活用することが最大の特徴で、道路拡幅に伴う収用対象の土地のみならずそれ以外の土地も再開発の対象に組み入れることで利用価値も上げ、地権者が事業参加に応じやすくする効果を使ったのである。

東京の魅力と日本の価値

これらのプロジェクトの推進役だった森ビル会長の森稔氏は残念ながら2012年に逝去された。筆者が生前、インタビューしたとき森氏は「東京は、国際的な都市間競争においてギリギリのつばぜり合いをしている。にもかかわらず、日本という国はまだ『都市』に目が向いていない。……まず、何より都市づくりに関する基本的な方針が間違っている。たとえば、戦後、日本はある段階から、都市への人やモノ、金の集中を抑制しようとしてきた。……そして、住むところ、働くところ、遊ぶところといった都市機能を分化し、用途純化を進めてきた。……その結果、都心部にまで戸建て住宅が残り、都市の高度利用が阻害されてきた。グローバル化が進むなかでは、国内の均衡より、国際的な都市間競争への対処が急務であろう。しかし、日本はグローバル化という大きな潮流に逆行し、東京への集中を抑えることで地方との格差を縮めようとしている」(『中央公論』2010年3月号)と戦後日本の国土開発を批判していた。

森氏が指摘するように、東京は戦後半世紀以上にわたり都市整備が不十分だった。ただそのおかげで、東京ではまだまだ多くのプロジェクトが可能である。それらは膨大な時間と労力と才能と資本を投下する必要があるが、それに見合った投資効果を見込めるはずだ。経済の合理性に則って、これからも開発投資が行われるであろう。

しかし、このようなダイナミズムは東京の再開発事業以外にはすっかりお目にかからなくなった。日本の問題は、東京の魅力がますます増してしまい地方との差が開くことにあるのではない。開発事業だけでなく産業投資も含め、日本には、もはや東京に比肩しうるほど巨大投資を行う魅力をもった対象が見当たらないことではなかろうか。

カバー写真=6月11日開業した「虎ノ門ヒルズ」と一体開発された東京都都市計画道路「環状2号線」(写真提供=時事)

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  • [2014.06.12]

編集者。1959年大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東洋経済新報社『金融ビジネス』編集長、中央公論新社『中央公論』編集長、nippon.com編集委員・編集担当理事などを歴任。

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