ラマダン カリーム! “断食”こそ恵みへの感謝

アルモーメン・アブドーラ【Profile】

[2014.07.22]

心待ちする寛大な断食月

「ラマダン、カリーム!(恵み多い月ラマダン、おめでとう)」……夏の時期、街中でこのあいさつが賑やかに取り交わされる。それもそのはず、みんなが待ちに待った寛大な断食月「ラマダン」がやってきたのだ。

イスラム世界の全地域は、イスラム暦9月(西暦7月)に、一大行事の「ラマダン」(断食月)を迎える。これを受けてまもなくイスラム世界、とりわけアラブ世界はどこもラマダン一色となる。ラマダンによる断食(サウム)は1カ月も続くことになる。もちろん断食といっても、24時間、30日も断食し続けるわけではない。断食は毎日、夜明け前から日没までの間だけである。

イスラムのカレンダーは「朔望月(さくぼうげつ)」(※1)に合わせているので、1年ごとに太陽暦とは12日ほどずれが生じる。そのため、ここ数年のラマダンは夏の時期と重なってしまっている。この時期、気温が40度を超える地域も少なくないアラブ地域で、1日16時間以上も食べず、飲まずに過ごす。ヨーロッパ(夏の場合)など、19時間以上も断食する地域もある。その過酷さが想像できるだろうか。

空腹のあとにしみわたる食事や水の“おいしさ”

「お腹すいたなあ。どうしようか」。時刻はすでに午後4時を回っている。

「昨日、夜中に起き損なったのは大失敗だった。スホール(断食開始の前の食事のことで日の出前に断食に備えてフルーツジュースや暖かい紅茶、ヨーグルト、パンなど食べる)を食べられなかったからだ。でも、ガマン、ガマンだ。もう少しで食事の時間が始まる」

断食の1日が終わる時間にさしかかったころには、「お腹すいた、お腹すいた。ほんとにお腹すいたな~」とばかり考えてしまう。お腹が不平不満を訴えているような幻聴まで聞こえてくるような気がする。実際、最後に何かを口にしたのはもう11時間も前なのだ。

しかし16時間以上空腹な状態で、断食が明けて初めて口にする飲み物、食べ物の味や香り、それはもう格別である。特に水は格別においしく感じる。水の一滴一滴が身体にしみわたってくるような感覚だ。もちろん、この水の豊かな感覚は断食明けが一番である。

1日中、腸の中に食べ物が入っているという現代人の生活習慣は、身体にとってかなりの負担となる。断食をすると、腸が消化吸収の働きから解放されて、浄化される効果も抜群である。断食の経験のない方でも健康上に理由がなければ断食を一度くらい経験してみるとおもしろいような気がする。本当にお腹がすいたときに食べる食事、本当にのどが渇いたときに飲む水のおいしさ。これは普段いつでも好きなときに食べられる日常を過ごしているとなかなか体験できないことだ。

断食で断つのは“悪行”や“悪態”

普通、「断食」と聞くと何を連想するだろうか。「明け方から日没まで、食べず、飲まずに過ごすなんて大変で嫌だ。どうしてそんなことしなければならないのか」と、まず疑問に思うだろう。

あるアラブの知識人の話によれば、「断食という行為は、世界のさまざまな宗教に見られるが、イスラム教の場合は、物理的に飲食を絶つだけでなく、悪態や、社会や他人に害を与える行為を絶つ。これこそが、イスラム教が考える断食の本当の意味なのである」という。イスラム教徒がみな、このような精神を忠実に実行しているかどうかは別にして、イスラムの普遍的な哲学がそこにある。

多くの人は、食事を毎日3食規則正しく食べるべきものだと考えているから、「断食」と聞くと何だか“苦行”のようなものを連想するのではないだろうか。まあ、そう思うのも無理はない。

しかし、実際の「断食」はお祭りである。「ラマダン(断食月)」の時期に特別な思いをはせるイスラム教徒にとっては、ラマダンといえば、心待ちにしている楽しい行事である。仲間が集まり、おいしい料理をたくさん食べる。夜はライトアップされ、嬉しい、楽しいことが目白押しの日々が始まるのである。

日没後の食事はお祭り、家族の団らん

断食が明ける時間である日没の30分前は、家も外の町も慌ただしい。日が沈むにつれてみなそわそわとして落ち着かない気持ちになる。

子どものころ、私にとってその日没前の慌ただしい時間はいつも心躍る特別なひと時だった。食事の支度に母親がキッチンで張り切っている姿、フルーツたっぷりの創作ジュース、香ばしい香りのする焼きたてパンの買出し、お祭り用の特別な焼き菓子、ケーキ、家路を急ぐ人たちの姿など、家族みんな街中の人が忙しい。まもなく断食の時間が明け、家族の団らんが始まる。

ラマダンの断食月は毎日の日没前に大人も子どももみなでわくわくして過ごすのだ。

イスラム教徒であるアラブ人にとって、おいしい食事を囲んで家族が集う楽しい時間を心待ちに1日を過ごすことが断食への原動力になっているのかもしれない。

ラマダンの時期になると、街中のにおいまでが変わる。夕暮れ時は街中が大きなキッチンのようになり、どこからもおいしそうな料理の香りがしている。年に一度の大切な時期である。家族のみなが張り切って準備している。

「今日は、母親はどんなおいしい料理を作るのだろう」と、期待に胸を膨らませながら、「それにしてもお腹がすいたなあ」と思う。ラマダンでは、毎日、特別メニューで違うのが当たり前。父親も知恵を絞って、家族を喜ばせる一品を捜し求める。「今日はスイカにしよう。すいません、これを2つください」と、父親は張り切ってスイカ2つを買ってくる。

若者はラマダン・イベントで連帯感を高める

若者もラマダンを思う存分楽しんでいる。ラマダンがやってくると、あちこちでラマダンに合わせたさまざまなイベントが一斉に始まる。町はライトアップされみんなが浮足立っている。

ラマダンにちなんだセールやサッカー大会、ディナー、遊園地のイベントもあるし、テレビ、映画でもさまざまな特集が組まれる。そしてとにかく、食べる、食べる、食べまくる。そして食べたあとは、遊ぶ、遊ぶ、遊びまくる。町全体がイルミネーションや彩り鮮やかなライトで飾られるのも、ラマダンのときだけの楽しみのひとつ。

もちろん食べることや遊ぶこともよいけれど、礼拝も大切で、ラマダンはイスラム教徒の連帯感の強さを実感させられる時期でもある。普段の5回の礼拝とは別に、善徳の高い礼拝が合同で毎日夜の時間に行われる。

そして「神様への願いごと」といえば、イスラム暦の9月、ラマダンがもっとも「願いごとができる」季節である。

明日への希望をつなぐ「願いごと」の季節

ラマダンの最後の10日間のうち、ある特定の日にアッラーに願いを込めてお祈りすれば、「すべての願いごとがかなえられる」「これまでのすべての罪を許してくれる」などという聖なる一夜がある。その一夜を「ライラ・アルカドル」という。

ただ、そこには大きなハードルがひとつあって、具体的には、「ライラ・アルカドル」が、ラマダンの何日に当たるかなどは明確にされていない。人々は、神から与えられるこの「恩赦」のチャンスを心待ちにして、アッラーへの礼拝に励みながら、ラマダンのこの「ラスト10days」を過ごすのである。

「今年、大学入試に合格できますように」、「母親の病気が早く治りますように」、「就職や留学ができますように」などなど、人々の願いごとがラマダンの神聖な時間を駆け巡り、明日への希望をつないでいく。これもまた、イスラム教徒が抱くラマダンへの特別な思いの源だといえるだろう。

アラブ人(イスラム教徒)はこうして、ラマダンを全身全霊で楽しむ。断食の1日をやり遂げた自分へのご褒美(ほうび)として、夕方から翌日の明け方まで、思う存分に食べて、遊んで、そしてアッラーが与えてくれた恵みと祝福に感謝することを忘れず礼拝にも勤(いそ)しむ。これがラマダンなのである。

タイトル写真=カイロ郊外でラマダン用の飾りを売る露天商(写真提供=時事)

(※1)^ 朔望月とは太陽に対して月が天球を1周する時間で29.530589日。太陽と月の黄経の差が0度のときを「朔」、黄経の差が180度のときを「望」と呼ぶ。

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  • [2014.07.22]

東海大学・国際教育センター准教授。エジプト・カイロ生まれ。2001年学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科で、日本語とアラビア語の対照言語学を研究、日本語日本文学博士号を取得。元NHKテレビ・アラビア語講座講師、NHK・BS放送アルジャジーラニュースの放送通訳のほか、天皇・皇后両陛下やアラブ諸国首脳、パレスチナ自治政府アッバース議長などの放送通訳を務める。元サウジアラビア王国大使館文化部スーパーバイザー。主な著書に『地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人』(小学館)、「アラビア語が面白いほど身に付く本」(中央出版)などがある。

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