韓国は中国に抱かれるのか?

政治・外交

同盟パートナー探しに苦慮する韓国

「韓国は中国に抱かれるのか?」。太平洋戦争の終結によって独立を得て、近代国家としてひたすら頑張り、G20という国際的地位にまで成り上がった「大韓民国」の前にこんな乱暴な質問がクローズ・アップされることを予見した人はいたのだろうか。「韓流」の世界的輸出を誇る一方、超大国アメリカの「太平洋同盟での核心」(linchpin)といわれるこの国が、1世紀前に経験した地政学的同盟パートナー探しの苦境に再び直面する有様は、世界の現代史に類例があるのだろうか。でも、韓国人の当惑と屈辱感に関係なく、韓国は現実として中国への依存を迫られている。

「当然そうなる」。乱暴な質問には、まず乱暴な答えを提示してから、その内容を論じてみることにする。では、「抱かれる」というアナロジーの意味はなんなのか。他人の腕の中に抱かれた人は、身動きの自由が制限される。抱き合った二つの国家の関係を指す国際政治学の用語として「相互依存」がある。米国の政治学者ロバート・コヘイン(Robert Keohane)とジョセフ・ナイ(Joseph Nye)が1977年に出した著作『権力と相互依存』(Power and Interdependence)で定義したように、相互依存には二つの種類がある。

一つは、相手の変化に「敏感」な場合で、それに対応するには「費用」がかかる。もう一つは、相手の変化に「脆弱」な状態で、それに対応するには自分の意思を超えて「費用」を払うこととなる。自分の身動きが制限された形で「抱かれた」姿には敏感性のみならず脆弱性が内包される。

韓国を「中華」に染める中国の「点穴式外交」

2014年7月4日に行われた習近平中国主席の韓国訪問が総じて意味することはなんだろうか。1950年の「抗米援朝」戦争で一緒に血を流した北朝鮮を横に置いて韓国に国賓訪問した中国主席が世界に示そうとしたことは、中国の朝鮮半島観が変わったという事実だろう。

今回の習主席の韓国訪問には「中華文明」に韓国を安着させようとする狙いがあることは否定できない。中国人民大学の国際政治学者・金燦栄(チン・チャンロン)は習外交を「点穴式外交」とよぶ。戦略的目標を定めてそれを漢方の鍼灸針で刺すような外交ということだ。中韓の貨幣直接取引市場の開設、中国主導の「アジア・インフラ投資銀行」(AIIB)の設立提案、TPPに対抗するRCEP(東アジア地域包括経済連携)構想、歴史問題の共同研究および対応などが、個別の点穴に刺し入れる針であることに違いない。

変動する北東アジアの国際関係が新しい「冷戦」と捉えられて久しい。この新しい冷戦の要諦は「中西冷戦」構造と理解してよいだろう。かつての世界レベルでの「東西冷戦」が資本主義と社会主義のイデオロギー競争だったことに対して、「中西冷戦」は米国を中心とする西洋文明と中国を囲む中華文明の衝突として捉えることができる。去る5月に上海で開かれた「アジア交流及び信頼構築会議」(CICA)で、習は「アジアの安全は結局アジア人が守るべき」と唱えた。

韓東大の国際政治学者キム・ジュンヒョンは、中国が韓国に求めるのは「米日韓の繋がりを切ること」ときっぱりと言いながら、「その繋がりで一番脆弱な部分が韓国であり、その韓国と中国が手を組める対象が対日共闘」という。

大陸国家から海洋国家に意識が転換する中国

中国を中心とする新しいアジア秩序をつくるという北京の思惑は徐々に表面化している。中国共産党の機関紙『環球時報』の英語版“The Global Times”は7月3日の社説で「米中関係が競争と協調の両面を持つとき、アジアの国家が米国に安保を求めるのは愚か(silly)なことだ。それは、米中が戦略的対決の局面にならない限り、損するはずである」と宣言した。その上で、「日本が米国に政治的に極めて傾斜したことに比べ、韓国は米中の間で緩衝(buffer)として行動しながら戦略的利益を得た」と決めつけた。

ここで読み取れる重要なポイントは、中国の「緩衝地帯論」が北朝鮮を超えて朝鮮半島全体を含みつつあることだ。と同時に、この新しい朝鮮半島観は中国の「地政心理」が大陸国家から海洋国家に転換することを示唆する。中国の近代史には地政心理の葛藤があった。疲弊した清朝は新疆地域での混乱を巡って「海防派」と「塞防派」の対立でエネルギーを消耗した。そのとき塞防派の主張は、「新疆が崩れるとモンゴルが崩れ、そのあげく北京が崩れる」ということだった。だが、今回は方向が変わり、「緩衝としての朝鮮半島が崩れると東中国海(東シナ海)が危なくなり、そのあげく北京が危なくなる」という発想が見える。

ソウル入りの直前に行った演説で習主席は、「中国の領土主権と海洋権益の守護を堅持し、辺境と海岸防御において金城鉄壁を構築する」ことを強調した。そういう戦略的目標のためには、形骸化した「血盟同盟」の北朝鮮より、実際的相互依存関係を持つこととなった韓国へ国家主席が足を運ぶことは当然の計算だったといえよう。

本当にパートナーを代えたいのか

中韓の接近がビジュアルに上演される最中に、日本はそれに対応するような恰好で北朝鮮との対話の場を持ち始めた。このような国際政治のダイナミズムを俯瞰しながら中国ウォッチャーのドナルド・カーク(Donald Kirk)は7月4日付の「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト(“South China morning post”)」での評論記事で、「北東アジアの競争のチェス・ボード」の上で「パートナー交換のゲーム」が行われていると書いた。

果たして韓国はチェンジング・パートナーをやっているといえるのか。パートナーを代えることには意思と行動の自由がいる。先に述べたように相互依存する相手に対し敏感性の上に脆弱性を構造的に持つ者には自由があるとはいえない。中国に対する韓国の今の姿はダンス・フロアで能動的にパートナーに手を伸ばすことではなく、確信がないまま中腰で相手を迎えることに近い。

その姿は世論調査に正確に反映されている。現代グループ系のシンクタンクの峨山(アサン)政策研究院が習主席訪問直後に行った調査によると、1010名の調査対象の内、「安保協力」の仕組みとして「韓中」を選んだのは26.5%。これは「韓米日」安保協力体制を支持した59%と大きくかけ離れている。「中国との協力を強化すべき」という事項について、24.9%が肯定したが、4か月前の調査での同じ項目への肯定意見29.4%よりむしろ4.5%が下がった反応である。肯定意見の比率が上がった唯一の項目は「韓中FTAが両国に利益になるのか」で、48.9%が肯定して、1年前の41.6%より7.3%上昇した。

韓国の宿命としての「機会主義」

こうした韓国の中腰の姿から読み取れるものはなんなのか。決まり文句が好きな人は「政冷経熱」というだろう。だが、それは表面の観察で中身の「心理」を描いてくれない。米中日といった強大国の間で腹が決まらなく常に悩む韓国の姿を指す言葉は、辞書から探すとすれば「機会主義」が一番ふさわしい。機会主義とは韓国社会を皮肉するようなものでもなく、人類史にもまれな地政学条件に縛られて長い歳月を生き残ってきた民族のDNAに定着した生存原理であろう。この生存原理を故金大中大統領は韓国を伝来の牛に例え、「こっちの草も食うしあっちの草も食う」運命であるといった。こうしてみると、韓国の対外行動を「戦略的選択」というフレームで論じることには空しささえ感じられる。

機会主義を宿命的行動原理として持つ韓国の外交の行方を、国際政治学者ソ・ジンヨンはあえて「不動産屋外交」と言った。韓国は米国と中国の狭間の中で両大国の葛藤を緩和させ、協力を拡大させる道をとるべきだという。また、金泳三政権で駐中大使をやったチョン・ジョンウクは「微細外交」とう表現を使った。新しい地政学環境での韓国外交の方向とは、「巨大国たちが作った大きな仕組みの中で、繊細な部分を見つけてその外交的接点を拡大することによって戦略的価値を高めること」という。

異なる思惑が交錯する日中韓の「70周年」

不動産屋外交であろうが微細外交であろうが、韓国が入っている現下のダンス・フロアーはいつまでも機会主義が使える甘い場所ではない。そろそろパートナー選びの腹を決めなければならない事情がある。2015年は北東アジアの人々の英知が試験台に上がる節目になるからだ。

その年は、日本には「終戦」から、中国には「抗日勝戦」から、そして韓国には「光復」から70周年になり、盛大な国際政治パーティーが繰り広げられる。1945年に終結した戦争について、これだけ異質的な名称をつける三ヵ国の国民は、かつてのない規模の観念的葛藤を経験する恐れがある。

習主席が韓国訪問で日本に対する歴史論争で「共同戦線」を敷こうと男らしく手を伸ばしたことに、気持ち良く「ハイ」と手を添えて行けない朴槿恵韓国大統領の女らしい姿には、北東アジアの新しい国際政治がシェイクスピア演劇の一幕のように演出されている。

 

中国 韓国 朝鮮半島