第一次世界大戦と今も続く「戦争責任」論争

サーラ・スヴェン【Profile】

[2014.07.25] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية |

積極的に関与した日本

今からちょうど100年前にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発した。この戦争が「世界大戦」と呼ばれるようになったきっかけは、オーストリア、セルビア、ロシア、ドイツ、フランス、英国に続く、1914年8月23日の日本の対ドイツ宣戦布告である。オスマン帝国が1914年11月に参戦し、中近東まで戦闘が広がる前に、この戦争に「世界大戦」という意味付けをしたのは、他でもない日本の参戦だった。

第一次世界大戦の主戦場は欧州にあったが、日本は、中国、太平洋、地中海、南アフリカ、シベリアなどに部隊や戦艦を派遣し、連合国の英国、ロシア、フランス等を支援した。日本は、ロシアに対しては1915年にライフル銃50万挺を、またフランスには1917年に駆逐艦12隻を提供した。兵器の大量生産は、当時の増大する日本の生産力を象徴していた。

1917年末、フランス軍の最高司令官のフェルディナン・フォッシュ将軍(Ferdinand Foch、1851年10月2日~1929年3月20日)がついに日本軍の欧州への派遣を要請した。この要求は拒否されたが、日本はその代わりにシベリア出兵に踏み出し、当時激化しつつあったロシア内戦に干渉した。7000人を派兵することが米国と同意されたが、軍部の独走によって、最終的に7万人以上の兵士がシベリアと北満州地方に派遣された。要するに、日本は一般的に知られているよりも積極的に第一次世界大戦に参加したのだ。

ドイツの戦争責任を盛り込んだベルサイユ条約

日本の第一次世界大戦における役割、そして、この大戦と日本の参戦の世界史的な意義について、最近あらゆる方面で新しい研究成果が発表されている。また一方で 、第一次世界大戦の勃発の背景をめぐってヨーロッパで激しい議論を巻き起こしたものもある。戦争責任がどの国にあるのかという議論だ。戦争終結後、戦争が勃発した全責任はドイツにあるとされ、ベルサイユ条約(1919年)にも明記された(231条)。「戦争責任」を平和条約で明記するのはベルサイユ条約が最初であり、ドイツはこれを激しく批判した。

第二次世界大戦後も、第一次世界大戦の戦争責任をめぐる論争がドイツなどで続いた。第一次大戦の責任をドイツだけに負わせるのはふさわしくない、責任は本来ヨーロッパの同盟の仕組みなどにあったのではないか、という意見が1945年以降も引き続き聞かれた。しかし、歴史家のフリッツ・フィッシャー(Fritz Fischer、1908年5月5日~1999年12月1日)が、第一次世界大戦はドイツによる侵略戦争であったと主張し、この1960年代の有名なフィッシャー論争によって、その後、第一次世界大戦の戦争責任を主として負うのはどちらかといえばドイツである、という見解が支配的になった。

歴史学者の著書『The Sleepwalkers』が投げかけた波紋

2013年、この解釈を再度ひっくり返すとされる本が出版された。オックスフォード大学の歴史学者であるクリストファー・クラーク(Christopher Clark)の著書『The Sleepwalkers(夢遊病者達)』だ。ヨーロッパ中で大きな注目を集めているが、ドイツの学界などではクラークの主張について意見が分かれている。

クラークの主張する第一次世界大戦を無自覚に誘発した人物とは、フランス大統領レイモン・ポアンカレ、ロシア外相セルゲイ・サザーノフ、駐フランス・ロシア大使アレクサンドル・イゾルスキーなどだ。彼の主張に対し、ドイツの責任を相対化するのはあまり好ましくないという反応もあり、また、クラークの学術方法を批判し、彼のテーゼは成り立たないとする強い批判もある。

しかし実際に本を読んでみると、本のタイトルこそドイツの責任を相対化するような印象を与えるが、不思議なことにその内容は「ドイツ免罪論」的なものではない。『Sleepwalkers』という言葉は本の刺激的なタイトルにはなっているが、電子版を検索すると、タイトルをのぞけば本文の最後の部分に1度登場するに過ぎない。やはり、第一次世界大戦に関して、現在まで長い時間を経て定着してきた「ドイツに戦争責任がある」という解釈を「修正」するには、かなり無理があるということは明らかである。

(2014年7月10日 記、原文日本語)

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  • [2014.07.25]

上智大学准教授、フリードリヒ・エーベルト財団東京事務所日本代表。1968年ドイツ生まれ。マインツ大学、ケルン大学、ボン大学で歴史学、政治学を学ぶ。4年間の金沢大学での留学を経て、1999年ボン大学文学部日本研究科博士号取得。ドイツ日本研究所人文科学研究部部長、東京大学大学院総合文化研究科准教授などを歴任。共編著に『明治初期の日本―ドイツ外交官アイゼンデッヒャー公使の写真帖より』(OAGドイツ東洋文化研究協会・Iudicium/2007年/和独文)『Pan-Asianism: A Documentary History(史料で読むアジア主義)』(Rowman & Littlefield/2011年/英文/2 vols.)など。

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