ウクライナ問題をめぐる岸田外相の訪露と関与の提言
グローバル・プレイヤーとしての顔を見せる外交を

渡邊 啓貴【Profile】

[2014.09.25] 他の言語で読む : FRANÇAIS | Русский |

岸田外相はロシアに行くべきだった

ウクライナ情勢が動揺し続けている。筆者は、この問題は国際秩序維持国と維持修正派の角逐であると考えている。そうした構造の中では当然、「意志の強さの不均衡」が起こり、修正派の勢いに押されて、現状維持国は宥和的姿勢をとりがちとなる。欧米では第二次大戦前のドイツとの攻防を彷彿とさせる議論も多く出ている。これは単なる地政学的発想の回帰や資源をめぐるグレートゲームではない。もっと大きなグローバルな係争である。そこに日本が傍観者でいてはならない。

安倍首相の積極外交を基本的には筆者も支持する。日本の「顔」を少しでも海外で見せるということには賛成である。しかし同時に、その積極性はグローバルな視野からの高い見識に支えられている必要がある。そうであれば、日本の積極外交は同盟国アメリカに対する助け舟にもなる。日本がロシアと直接渡り合うことは、米露関係が冷えているときに、アメリカに不信感を生む可能性が確かにあるが、他方、ものは考えようで、日本が米露の橋渡し役をする可能性も高いと考えることはできないだろうか。

その意味では、五月に延期となった岸田外相のロシア訪問は、実現していれば日本外交がビジブルとなる千載一遇のチャンスとなったかもしれない。岸田外相の訪露延期は、表向きは日程調整がうまくいかなかっということであるが、昨今のウクライナ情勢を受けて、アメリカとの関係を配慮した結果の決断と伝えられた。もしこの決断がアメリカからの強い圧力に抗し切れなかった結果でないとすると、筆者は是非とも行くべきであったと思う。

おそらく外務省を含む政府内部でもそう主張する人はいたであろうが、下手に動いてロシアの嫌気を買ったり、対米関係との齟齬(そご)が出てきてはいけないという意見が通ったということであろう。北方四島交渉を控えている状況で岸田外相が訪露して、ウクライナ問題をめぐって日露が関係が紛糾することを回避したいという意向が働いたのであろう。

日本の対外広報は何が不十分なのか

筆者はそうしたことを考慮したうえで、やはり岸田外相は予定通り訪露すべきであったと考える。そして世界が冷戦の再現かと懸念する焦眉の急であるこのウクライナ問題に、正面からコミットする姿勢を日本は示すべきであったと思う。北方領土問題だけでなく、尖閣・竹島、さらに従軍慰安婦、拉致問題など日本が中韓朝など周辺諸国との間に抱える諸問題を有利に展開していくには、米欧諸国を中心とする国際社会の後押しがぜひとも必要である。実際、政府は数年来、領土問題などの広報のために欧米諸国に公式のミッションを派遣するだけでなく、民間レベルの活動も通した広報活動に力を入れている。そのための予算も昨年は例年にないつぎ込みようであった。

日本ではいろんな形で話題にされたが、BBCのテレビ番組で日中の在英大使が間接的に討論したことは、中国の積極的な海外宣伝活動に対して日本もそれに応じたことを意味した。また日本の広報活動は決して十分ではないことも痛感させられた。筆者自身、毎年、日仏知的交流有識者会議を主催しているが、昨年末パリでの討論では日本の立場がよく理解されておらず、さまざまな偏見が残されていることを改めて実感した。

つまり日本は国際社会、とくに米欧の支持を得て初めて、周辺諸国との間にある懸案の諸問題をめぐる論争を有利に展開できるはずである。逆にそうでなければ、日本のナショナリズム高揚と近隣諸国との歴史的摩擦の問題に論点は一般化されてしまう。そうならないためにも、日本が世界的懸案の解決に積極的な関心を持っており、広い視野からの外交を展開している姿勢を世界に示すべきである。

グローバル・プレイヤーになる

またそのやり方も、事態が自然と落ち着くのを待つという日本特有の「待ちの外交」(筆者は「なる外交」とよんでいる)からの脱却を筆者は主張したい。ここで筆者は積極的主体的に外交懸案を解決しようという姿勢を提唱しているつもりである。安倍政権流にいうと、それこそ真の「積極的平和主義」であると思う。また「グローバル・プレイヤー」としての外交という意味である。お付き合いとしての「グローバル・パートナー」としての外交ではない。

――わたしたちは世界的な問題であるウクライナ問題に本気で関わっている。冷戦の再来となってはいけないからである。その上で、日本が直面している周辺諸国との問題についても日本は正面から法的根拠を持つ論理的に正しい論争を行う中で、米欧の支持を受け、対処したいと思っている――そういう米欧に対する姿勢を見せるべきである。これが筆者の主張の真意である。

もちろん理屈では分かっていても、それは難しい。改めて言うまでもなく、米欧はウクライナを支持し、ロシアの一方的で侵略的な一連の対応を批判している。その状況で、日本が北方領土返還の議論を担保しておくために、とりあえずウクライナ問題ではロシアと直接に接することなく、基本的には米欧支持だが、それ以上踏み込むことはしない、ということで日露関係にウクライナ問題が飛び火しないように慎重になることはもっともだと思う。それはひとつの外交的選択である。

したがって無難な対応としては、岸田外相の訪露延期にも理はある。日本人としてはよく分かる。しかし、この論法はやはり「グローバル・プレイヤー」の外交ではない。むしろその役割を回避した外交である。

論法を逆転させることはできないだろうか。北方問題があるからこそ、ウクライナをめぐる論争解決のために仲裁者としての役割をあえて引き受けたことを内外に示すべきであろう。ロシアとウクライナとの間に入ることはできなくとも、米欧のメッセージを日本流にロシアに伝え、ロシアからの妥協案や言質を取る姿勢を見せても良かったのではないか。そのときには、あくまでも北方領土問題は切り離して考える。もしロシア側がどうしても北方領土問題を日露対話の中で人質に取るということであれば、その対案を考えればよい。たとえばシベリア開発における投資のための条件の緩和などである。多少の身銭を切る覚悟は必要であろう。

失ってきた機会

実は、日本は数々の千載一遇の機会を逃してきた。冷戦終結直後の最初の禍根は、湾岸戦争前に当時の海部首相がイラク訪問を取りやめたとことであった。筆者はそのときも是非に予定通りイラク訪問を実現すべきと主張したのであったが、セキュリティへの配慮から訪問は取り止めとなった。もちろんアメリカとイラクが激しく対立する中で、日本にどれだけ和解の労がとれたか、疑問である。

しかし日本人もイラクで人質になっていた。海部首相はセキュリティが心配であれば、空港の外に出なくてもよいから、ともかく危険なところに日本の首相が来たということ、一言そこで「日本に無縁ではないその地域の安定と世界の平和を憂慮している」というメッセージを首相の映像とともに世界に流せばよかった。そうすれば、日本は大量の資金援助をしたにもかかわらず、湾岸戦争後「貢献しなかった国」という冷遇を受けることもなかったであろう。

イラク戦争が始まる前に、日本は西側諸国の中ではいち早く、アメリカのイラク攻撃支持を出した。その結果、反米姿勢を示したり、躊躇していた東アジアの大半の諸国がアメリカ支持に反転した。日本はアジアの支持をまとめたことになった。しかし日本は世界を見てそうした決断をしたわけではなかった。日本の決断は日米同盟という狭い枠組みの中だけの決断であった。決して米欧対立を世界的枠組みから考え判断したわけではなかった。同盟の中で大いなる貸しを作ったにもかかわらず、そのことを十分に理解できていなかったのである。

示すべき見識とは

リスクをとること。もちろん自分に利益があり、同時にグローバルな利益があることを前提とする議論が出発点である。しかし決して自己中心的な議論というのではない。よく考えてみるとよい。ドイツのエネルギーの30%以上がロシアの天然ガスに負っている。またドイツ企業はロシアとの企業提携を進めており、ロシアに対する経済制裁によって20万人以上の失業者が出るという予測もある。クリミア問題が頂点の三月上旬にドイツ企業団がロシアを訪問、なかにはシュレーダー元首相の顔もあった。同時期のドイツ企業との別の会合にはゴルバチョフ元大統領、メドベージェフ首相も臨席していたと伝えられる。経済相互依存が進む今日、経済制裁の効果は不確定である。プーチン大統領はその点をよく知っている。

岸田外相の訪露による、ウクライナ問題に切っ掛けを求める外交の可能性は確かにあったと、筆者は思う。もちろん実質的な解決の道をすぐに見出すことは難しかったであろうが、日本がグローバルなイシューに顔を見せたと評価されたではないだろうか。それは安倍首相の訪欧とオバマ大統領の訪日のよい手土産になった可能もある。無難な日本外交の発想の背景にはやはり「グローバル・プレイヤー」としての意識の欠如が依然としてある。それはある特殊の局面においてだけ、変わり得るものではない。日ごろからの心がけの問題である。そうした感想を改めてもった岸田外相訪露延期の報であった。それは状況判断の正確さというよりも世界へのかかわり方と日本自身の見識を露呈したことになったと思う。外相の訪露は今からでも遅くはない。

カバー写真=2007年9月の安倍・プーチン日露首脳会談(提供・ロイター/アフロ)

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  • [2014.09.25]

nippon.com分科会委員。東京外国語大学国際関係研究所所長。1978年東京外大フランス語学科卒、80年同大大学院地域文化研究科修了、83年慶大大学院法学研究科博士課程修了、88年パリ第一大学大学院博士課程修了、99年から東京外大教授。2008~10年在仏日本大使館公使(広報・文化担当)。『Cahiers du Japon』『外交』各誌の編集委員長を歴任。著書に『ミッテラン時代のフランス』(芦書房、1990年=渋沢・クローデル賞受賞)、『フランス現代史』(中央公論新書、1998年)、『ポスト帝国』(駿河台出版、2006年)、『米欧関係の協調と対立』(有斐閣、2008年)、『フランスの文化外交戦略に学ぶ』(大修館書店、2013年)、『シャルル・ドゴール』(慶応義塾大学出版会、2013年)、『現代フランス—栄光の時代の終焉、欧州への活路』(岩波書店、2015年)、『アジア共同体を考える』(編著、芦書房、2015年)など多数。

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