ザビエルの生地、パンプローナにみたスペインと日本のつながり
牛追い祭りの地と欧州の精神性

細田 晴子【Profile】

[2015.01.29] 他の言語で読む : ESPAÑOL | Русский |

欧州の中の精神性

2014年秋、パンプローナ市内-ヘミングウェイの「日はまた昇る」で有名な牛追い祭りが開催されるパンプローナ市の私立ナバーラ大学のセミナーに招待され、欧州におけるスペインの精神性について話す機会があった。

スペインはフランコ独裁政権(1939~1975年)下、まずキリスト教という共通の文化によって、次に経済によって欧州に接近した。民主化プロセス下のスペインも、政治的にも欧州に接近し、人権、民主主義という規範を欧州と共有するようになった。そしてミドルパワーのスペインは、欧州においての自らのミッションを探求し、EU統合プロセスで「欧州の精神」を強調していった。たとえばフェリペ・ゴンサレス元首相(任期1982〜1996年)は、欧州市民権をアピールし、マーストリヒト条約に盛り込んだ(※1)

現在政治・経済的に閉塞感があり、EUに対する懐疑主義が徐々に強まる欧州で、過去の歴史を振り返り大衆扇動にならぬよう留意しつつ、近代化と融合した精神性が再び強調されても悪くないだろう、と私は締めくくった。先生方や学生は、大きくうなずいていた。

日本人が高く評価したザビエル

ところでパンプローナ市郊外にはイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエル(※2)が生まれた城がある。ザビエルの絵は日本史の教科書に必ず掲載されており、広く国民に認知され、「ざびえる」という名を冠したお菓子も発売されるほど、日本では親近感を持って迎えられている。ザビエルが布教、滞在した山口市と姉妹友好都市であるパンプローナ市には、ヤマグチ公園とよばれる公園がある。

パンプローナ市郊外にあるザビエルが生まれた城。

ザビエルの父は地方貴族であり、父方の親類には軍人が多かった。彼の生まれた城(父は地方の貴族)は司馬遼太郎の「街道をゆく 南蛮のみちI」(朝日文庫)の記述でも有名になり、毎年多くの日本人が訪問している(現存のものは再建された城)。ザビエルは1549年(日本人ならば誰もが覚えたごろ合わせ、「以後よく広まるキリスト教」)日本に到着し、鹿児島から平戸、山口、大分などで布教した。

彼は日本人を好意的に高く評価し、優れた人種であると力説している。また、名誉を重視すること、知識欲が旺盛で識字率が高いこと、窃盗が少なく(極刑がある)、賭博はしないことなどを書簡に記している。この彼の日本に対する高い評価が、カトリック教会における日本の最初のイメージ構築に貢献したと言えよう(※3)

日本での布教を3年と定めていたザビエルは、日本を離れて中国での布教を目指したが、志半ばで1552年中国において没した。その遺体は、布教の中心地であったインドのゴアのボン・ジェズ教会に安置された(今年は10年に一度のザビエルのミイラが一般公開される年で、2015年1月まで公開中)ほか、腕、耳、毛、歯などが聖遺物として各国に分散されてまつられている。

日本の「伝統と近代」の両立に関心―ナバーラ大学

一方ナバーラ大学は、オプス・デイ(※4)によって創設された医学部も含むカトリックの大学-近代的で機能的な建築-で、特にビジネススクールは世界的にも高い評価を得ている。2014年は、エコノミスト誌の世界ランキング第5位であった(※5)。精神性と企業家精神が両立しているのだろうか。

夜は同大学の男子寮において、男子学生70名ばかりを対象に日本に関する講演を行った。敷地内の男子寮は、あたかも小さな中世の館を思わせる外観であった。そういえば、お昼をごちそうになった教授用のダイニングは、アンティークの並ぶ落ち着いた空間で、料理も伝統的なスペイン料理であった。この大学の建物は、外からの客には「スペインのイメージ」を裏切らせない伝統的なものを見せつつ、実用性が必要な面では効率を重視し、うまく両立しているように思えた。

学生たちからは、ちょうどテニスの錦織選手が活躍している頃だったので日本のスポーツ選手(スペインはサッカーのみならず、ナダルなどのテニス選手、ゴルフ選手も活躍している)、日本の映画(クロサワはもちろん「硫黄島からの手紙」、ジブリの「風立ちぬ」まで)、日本の企業家精神、日本人の精神性、ザビエル布教以降の日本のキリスト教の状況、に関する質問があった。

やはりザビエルと日本の関係に非常に興味を持つ彼らにとって、ザビエルはこれだけ人気を博しているのに、日本ではカトリックを含むキリスト教徒全部でも人口のわずか1%(※6)であるのは、理解に苦しむところであろう。

最も驚愕したのは、「最近の日本の小説は、何百ページにも及ぶ大部がない」というコメントであった。スペイン語にも翻訳されている大江健三郎の作品との比較かと思ったら、彼の念頭には「源氏物語」があったのである…(彼は理系の学生である)。これらの質問に共通するのは、日本という伝統がある国で、なぜ伝統的なもの、心と、技術など近代的なものが両立できたのか、その秘密を知りたいということであった。彼らは精神性、スピリチュアルなものについて関心があるように思えた。

充実させたい日欧の人的交流

川島真氏(nippon.com編集長)が指摘したように対外外交としての日本研究の推進のためには、人的交流プログラムを一層充実させる必要があろう。更には彼らと交流する、日本の受け入れ側も入念な準備が必要である。前述の男子寮で学生のうち数人が日本に留学したいといい、具体的に奨学金について興味を示し、外交官になるにはどうしたらよいかという質問まで出た。医学や経営学を専攻する彼らは、リップサービスでも、決してオリエンタリズムから日本に行きたいというわけでもないようだ。

ときには効率主義、合理性だけでは説明できない精神性と企業家精神。ザビエルは、最初から日本を目指したわけではなかったが、マラッカで知識欲旺盛な日本人アンジローと知り合い、日本布教を決心する。

外国の日本研究者育成に加えて、日本人の心・技術を知りたいという一層多くの経済や政治など自然科学を専攻する学生、理系の学生・学者も日本に招聘して、同じ分野の学生、学者、関係者との交流も実施できれば、新たな掛け合わせが生じ、より深みを増した日本理解が可能となるであろう。そして400年以上も前に未知の国を目指したザビエルの出身地の彼らだけでなく、日本側も、当時と同様に南欧からの新しい視点を得ることで良い刺激を得ることであろう。

(タイトル写真:パンプローナ市の景色。)

(※1)^ 詳細は、以下を参照。細田晴子『戦後スペインと国際安全保障 米西関係に見るミドルパワー外交の可能性と限界』千倉書房、2012年。

(※2)^ 現代スペイン語読みでは、ハビエル。

(※3)^ 浅見雅一『フランシスコ=ザビエル 東方布教に身をささげた宣教師』山川出版社、2011年。その他ザビエルの日本観については、ピーター・ミルワード『ザビエルの見た日本』講談社学術文庫、1998年、河野純徳『聖フランシスコザビエル全生涯』平凡社、1988年などにも詳しい。

(※4)^ 1928年創設され、カトリック教会の位階制に含まれる属人区。仕事や家庭生活といった日常生活のあらゆる場面に神を見出そうとしている。

(※5)^ 過去2005,2006,2009年には1位の座を獲得している。

(※6)^ 平成24年現在。総務省統計局資料による。

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  • [2015.01.29]

日本大学商学部准教授。マドリード・コンプルテンセ大学歴史学博士。外務省に入省、在スペイン日本国大使館等勤務等を経て現職。著書に『戦後スペインと国際安全保障』(千倉書房/2012年)、『カザルスと国際政治—カタルーニャの大地から世界へ』(吉田書店/2013年)、“La diplomacia pública de Japón: De la reconstrucción de postguerra a la actualidad,” E.Starkie y F.Rodríguez, Coords. Estrategias de Diplomacia cultural en un mundo interpolar (Ramón Areces / 2015)など。

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