安倍首相の解散に思う

政治・外交

解散権行使という首相の意思

安倍晋三首相の解散・総選挙への決断をどう見るか。

野党は「解散に大義はない。理不尽だ」、国民の間からは「なぜ今なのか」、さらには保守支持層からも「議席が減るのではないか」と様々な声が出ている。

だが、解散は確実に行われる。“解散権”というものが、これほどまでに、首相の専権事項として色濃く行使される例は、戦後政治史の中でも極めてまれだ。まるで、水戸黄門様の印籠(いんろう)のような印象さえ与える。

振り返ってみると、1993年、自由民主党は総選挙で下野し、戦後38年間の長期政権に一応のピリオドを打った。その時、38歳の安倍が政界入りする。

「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人とも雖(いえど)も吾(われ)ゆかん」

首相の郷里、長州(山口県)出身の吉田松陰の言葉だ。出典は孟子。自分が間違いではないと思うならば、断固として前進すべきだという意味である。

安倍がいつ、どういう理由で解散・総選挙を決断したかも大事だが、肝心なのはその決断が瞬時のひらめきのように鋭く、そして断固として決然たるものであったかということに尽きる。

3代の執念

安倍首相は第二次安倍内閣の発足(2012年12月)にあわせて『新しい国へ――美しい国 完全版』(文春新書)を刊行し、その中で宣言している。

「私は政治家として大きな挫折を経験した人間であります」と。

安倍首相の今の力はここにある。そして、明らかに“闘う政治家”としての決断が、今回の解散・総選挙であると言えるだろう。

父親・安倍晋太郎元外相は、首相になれないまま逝った。その晋太郎の言葉は印象的だ。「政治家は自らの目標を達成させるためには淡泊であってはならない」と。

今回の解散決断に関連して、戦後政治史で「巨魁」「妖怪」と言われた祖父・岸信介元首相が、日米安保条約改定(1960年)という重要な決断をしながら、ついに解散・総選挙を打つことなく退陣したことが、“大きなトラウマ”になっている、との論評がある。

それは事実だろう。そして、その岸信介の回想は意味深い。

「総理、政治家というものは、あんまりあっさりしてはいけない。地位に恋恋としてかじりつく必要がある」(『岸信介――権勢の政治家』原彬久、岩波新書)。

岸、安倍家の“血脈”を感じる。

消費増税延期の陰に隠れた真の争点とは

今回の解散の理由の一つに「消費増税の延期」がある。極めて便宜的な理由で、そもそも争点になじまない。景気の下振れ懸念があるから延期すると言うなら、延期すれば財政危機はさらに深刻化する。

一方で、2006年に安倍政権が発足した時に声高に主張した「戦後レジームからの脱却」という看板は隠れている。なぜ、表に出さないのか。

2015年は「戦後70年」という極めて歴史的な節目である。歴史的なテーマとは、やはり「安全保障」であり、もう一つは国民の将来的な生活の安定のための「社会保障」問題だ。アベノミクスも消費増税も、こうした大きな課題を克服するために不可欠だとして推し進めている重要政策ではないのか。

拉致問題の影

最近の北朝鮮との日本人拉致問題を巡る交渉は、いつものことながら難航している。しかし安倍には強いこだわりがある。

安倍が拉致問題を知ったのは1988年。有本恵子さんの両親が、父、晋太郎を訪れた時に始まる。「家族会」が発足するまで10年。2002年9月には小泉純一郎元首相の電撃的な訪朝で蓮池薫さんら5人が帰国する。その時、「国家の意思として(北朝鮮へ)帰さない」という決定のために体を張って行動したのは安倍だった。

マスメディアは「知と情」論で蓮本さんらを「帰国させるべきだ」との論陣を張った。しかし安倍は反論した。

「拉致は国際テロであり安全保障問題だ。それを三面記事的な“情”の問題にするのは意図的な情報操作だ」と。

小泉首相にとって、訪朝は政権のための人気浮揚策であったが、安倍は愚直なまでの「国柄」の問題として取り組んだ。今もそうであるはずだ。

「戦後」はどこに行った

自民党が55年体制の崩壊という中で政権から転落した後、“反自民・非共産“の細川護煕内閣も10カ月の短命政権に終わる。この間、野党・自民党は理念・綱領を見直す「党基本問題調査会」を発足させ、長く眠っていた自主憲法制定問題を焦点に論議を行った。

自民党にとってこれこそが、「戦後」の起点であったからに他ならない。38歳の安倍は、その先頭に立って議論を続けた。しかし、自民党がその後、決定した「自民党刷新宣言」に自主憲法制定はなかった。

今回の解散・総選挙は、明らかに「戦後70年」という歴史を意識した選挙でなければならないのではないか。

安倍第二次内閣は、集団的自衛権行使について“条件付きの容認”を実現したが、その一方で日米同盟の象徴的な懸案事項である沖縄県・米軍普天間基地の移設問題は、一向に埒があかない。歴史問題、歴史認識を声高に主張する中国、韓国とどう向き合うのか。

否が応でも今後の日本の針路を決める選挙になる

日本の年金、医療、介護などの社会保障問題も瀬戸際に立たされている。2013年度の社会保障費関係費は総額約76.4兆円。これが、2025年度には、総額で約140兆円に膨れ上がる。その時、65歳以上は、全人口の25%を占める超高齢化社会だ。あと10年ちょっとで、財政は破綻という最悪のシナリオに直面しかねない。世界の「課題先進国」だと自慢している暇はない。

安倍首相が、いま語らなければならないのは、そうしたことについての大きな構図と展望ではないのか。

安倍の尊敬する政治家は英国保守党党首で第2次世界大戦の難局を乗り切ったウインストン・チャーチル首相だという。偉大な功績を挙げたチャーチルだったが、大戦終結直後の総選挙で労働党に敗北し退陣する。しかし、チャーチルは6年後に政権に返り咲く。生涯戦い続けた政治家であった。

今回の解散・総選挙は、“多弱”と言われる野党の選挙準備不足を衝いた、極めて政略的な選挙だといえる。一部には、「これで安倍政権は6年の長期政権になる」といった皮算用の声も聞かれる。

自民党の二階俊博総務会長は、今回の解散劇について「作・演出・主演、安倍晋三」と論評したという。実に、言い得て妙である。解散権が、黄門様の「印籠」のようだと言ったのは、永田町全体が解散権行使にひれ伏しているように見えるからでもある。しかし、おごりは許されない。

安倍は、前述の自著の中で書いている。「初当選して以来、わたくしは、つねに『闘う政治家』でありたいと願っている」と。大事なのはそのあとのくだりだ。安倍は明確に言っている。

「それは闇雲に闘うことではない。『スピ-ク・フォー・ジャパン』という国民の声に耳を澄ますことなのである。」と。

解散権は首相の専権事項だが、選挙は国民のものだ。

カバー写真=このときにはもう腹は決まっていた。北京APEC首脳会議での安倍晋三首相(提供・時事)