戦後70年を迎える日本の動向を注視する

サーラ・スヴェン【Profile】

[2015.02.18] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL |

日本の“歴史修正主義”への懸念

2015年は第二次世界大戦の終結から70年目の節目の年にあたり、政府、国会から声明が発表される見通しとなっている。戦後50年を迎えた1995年には、村山富市首相が日本の戦争を「国策の誤り」と指摘し、日本の過去の侵略を謝罪する談話を発表した。この談話は世界中から高い評価を受け、その後の日本の歴代内閣はおおむねこれを踏襲してきた。

1995年の村山談話は、日本の過去の戦争に対する政府の最終見解として受け止められた。(写真・時事)

2012年末、首相の座に返り咲いた安倍晋三氏は、戦後70年目の終戦記念日に村山談話に代わる新しい談話を発表する意向を表明した。(※1)首相は、侵略の定義は定まっておらず(少なくとも首相が受け入れるものはない)、そのため日本の戦争が侵略戦争であったかどうか疑問をもっていると述べるなど、新しい談話の中身をうかがわせるような発言をしている。

また、首相は数回にわたり、戦時中に旧日本軍が利用したいわゆる「従軍慰安婦」の動員に、国家が直接関わっていたかどうかは疑わしいと答弁している。こうしたことから、安倍首相は“歴史修正主義者”とみなされ、世界の中での日本のイメージを傷つけ、国際社会で信頼される一員としての日本の立場を損ねているとみられている。

終戦への関心薄い欧州

今年は、それぞれ春と夏に欧州と東アジアが終戦記念日を迎え、世界のメディアの注目を集めるとみられる。しかし、今のところ欧州では、近づく5月の終戦記念日に深い関心を抱いている報道関係者や政治家は少ないようだ。この関心の薄さはどこから来るのか? もちろん欧州でもいくつか記念式典が予定されている。しかし、先の大戦に関して大きな意見の隔たりはないため、戦争に対する大きな解釈の枠組みを変えようとする試みどころか、ドイツ高官が戦争犯罪者として裁かれたニュルンベルク裁判(1945~46年)のやや一方的な裁定でさえ、変えようとする動きもない。

戦時中のドイツ各都市への空襲や、戦後における東欧などからのドイツ人追放に対する正当性に疑問を持つ人がいたとしても、侵略戦争勃発の原因が、枢軸国の日本、ドイツ、イタリアにあるか否かを議論する人はいないであろう。その理由として、これら3カ国が事前の軍事的挑発や、場合によっては宣戦布告さえなしに他の国を攻撃したという事実があり、戦争責任は疑う余地のないものと広く受け止められているからである。

一方的な攻撃の大部分を主導したのはドイツだが(ポーランド、デンマーク、ノルウェー、ソ連に対してすべて宣戦布告なしに行われた)、イタリア(エチオピア、アルバニア)と日本(中国、英国領マラヤ、米国、オランダ領東インド)も世界的な戦争拡大に加担した。どの枢軸国も、他の国から一方的な攻撃を受けたことはなかった。

欧州がこの戦争から得た最も重要な教訓は、将来、そうした紛争はどんな犠牲を払ってでも避けなければならない、ということである。そのため、欧州各国の政府は、個々の役職者が基本的な歴史認識に全面的に賛成していなくても、第二次大戦に関する前任者の声明を当然のものとして踏襲している。欧州の平和と安定を維持するためには、個人的な見解を少しぐらい犠牲にしてもより大きな利益を優先すべきだと受け止められているのである。

安倍首相「一族」の問題?

一方で、東アジアでは状況は異なる。安倍首相の祖父である岸信介(1896~1987年)は、東條英機(1884~1948年)の戦時内閣で1941年から戦争終結まで軍需次官(※2)を務め、その後A級戦犯被疑者となった。そのため、安倍首相は別の視点から歴史を見ている。つまり、自分の一族の問題と首相としての責務を切り離せないといえる。首相は「歴史認識については歴史家に任せるべき」と述べたこともあるが、彼は歴史に対するコンセンサスづくりを拒み、歴史学者でない人の助言に基づいて「事実を明らかにしよう」とすることが多々ある。

1956年、祖父の岸信介(中央)と遊ぶ幼少期の安倍晋三首相(左)と兄・寛信(右)。(写真・毎日新聞社/アフロ)

そうした経緯から、安倍氏は自民党の「歴史・検討委員会」(1993~95年)への参加を手始めに、歴史修正主義の動きとみられる活動の中心に身を置いてきた。東アジアの平和と安定のため、首相が2015年に自身の狭い個人的問題より日本全体の利益を優先することを願うとともに、戦争における日本の役割に関する挑発的な談話によって世界における日本のイメージをこれ以上傷つけないことを祈るばかりである。「和」がまさに日本人の美徳であるなら、戦後70年を迎える今、かつて敵だった国々との「和解」はそれほど実現困難な仕事ではないのではないか。

(2015年1月5日記、原文英語。カバー写真=2014年8月15日の全国戦没者追悼式で、天皇皇后両陛下が黙とうされる様子。写真・時事)

(※1)^ 2012年12月30日の産経新聞の安倍首相へのインタビューを参照。

(※2)^ 東條内閣発足時(1941年)に商工大臣として入閣し、1943年に商工省から軍需省へ改組されたのち、軍需次官(兼無任所国務大臣)に任命された。

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  • [2015.02.18]

上智大学准教授、フリードリヒ・エーベルト財団東京事務所日本代表。1968年ドイツ生まれ。マインツ大学、ケルン大学、ボン大学で歴史学、政治学を学ぶ。4年間の金沢大学での留学を経て、1999年ボン大学文学部日本研究科博士号取得。ドイツ日本研究所人文科学研究部部長、東京大学大学院総合文化研究科准教授などを歴任。共編著に『明治初期の日本―ドイツ外交官アイゼンデッヒャー公使の写真帖より』(OAGドイツ東洋文化研究協会・Iudicium/2007年/和独文)『Pan-Asianism: A Documentary History(史料で読むアジア主義)』(Rowman & Littlefield/2011年/英文/2 vols.)など。

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