日本が世界で勝ち残るために重要な2015年の日韓関係

東郷 和彦【Profile】

[2015.01.13] 他の言語で読む : 简体字 | 繁體字 |

「どうしようもない」では済ませられない日韓関係

2015年、安倍第3次内閣が抱えているさまざまな外交課題のなかから、日韓関係についての意見を述べておきたい。言うまでもないが、日韓の政治関係は、ここ数年、際立って悪くなっている。歴史的には、両国間がもっと激しい緊張状態にあったことはあったが、さまざまな経緯の後に、この期に及んでどうしてここまで対立するのか、理解に苦しむ点が多い。問題の根っこには歴史問題があることは明らかであり、従来はともすれば、日本の反省の足りなさがやり玉にあげられてきたが、最近数年間については、韓国側から特に攻撃的なシグナルが送られてきており、これもまた理解に苦しむ点が多い。

しかしながら、それでは今、日本の論調で強くなっている「どうしようもないならほっておくのがいい」という見方が正しいのだろうか。日本の国益に照らして、どうしてもそうは思えない。ここは、自らの困惑を乗り越えて、歴史的・地政学的観点から冷静に考えたほうがいいように思うのである。

以下に取りまとめた論考は、筆者が2014年の夏から秋にかけて韓国の学者等との国際会議で口頭および文書で述べ続けてきたことの要点である。会議で発表したもののいくつかは、韓国語に訳されて出版される予定であるが、逆に日本語での発信が遅れてしまった。反省を込めて、掲載する次第である。

過去10年、日韓の認識ギャップが急速に拡大してきた背景には、日本人のナイーヴな楽観主義があった

戦争が終わってからの70年、平均的日本人の韓国に対するものの見方は随分変わってきたと思う。戦争が終わったとき、日本人は、植民地体制がどのような爪痕を韓国側に残したかについて、十分な認識をもっていなかった。1952年に始まった外交関係設定の交渉が65年までかかったことも、このような背景があったからと思う。

しかしながら、外交関係の開設とその後の過程を通じて、日本側の認識は随分変わってきたと思う。73年から83年に至る浦項総合製鉄(現POSCO)建設への日本側の民間協力、84年の全斗煥大統領と90年の盧泰愚大統領の訪日、その際の天皇陛下のお言葉、93年の慰安婦問題に関する河野談話、95年の歴史認識に関する村山談話、98年の金大中大統領訪日と小渕・金大中共同声明、さらに2010年の菅直人総理大臣談話にみられる日本側の認識の高まりには、それなりに一貫した流れがあったと思う。

そういう過去に対する認識の変化と同時に、日本人の中に戦後の韓国の発展に対する尊敬と称賛の気持ちが生まれてきた。まずは、韓国の民主主義の発展があった。軍事独裁体制で始まった戦後の韓国の政治制度を変えてきた原動力には、命をかけた韓国学生運動があった。60年李承晩政権の終焉、79年朴正煕大統領の暗殺のあとの学生運動の高揚、その頂点ともいうべき80年の光州事件、そして87年の民主化宣言発出などを見ていくと、民主主義を自力で作ってきた力強さは否定しようがない。

次に、韓国の経済的発展がある。敗戦後の日本が、「奇跡」の二桁成長から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」としてアジアを牽引していたころ、韓国経済は、「四つの龍」の一つとして日本に次ぐアジア経済のリーダー格として冷戦を終了した。96年にはOECDに加盟、ついで、ヒュンダイ(自動車・造船)、サムソン(家電・造船)、POSCO(製鉄)等、日本の対抗会社を抜くような世界的ブランドの企業が現れた。

最後に文化である。日韓の文化交流は、98年の金大中大統領の訪問を機に大きく前進し、2002年の世界サッカー大会の共催をへて、03年から04年の「冬のソナタ」放映を通じて、「韓流」という全く新しい現象を産み出した。戦後初めて、韓国語、韓国の文化と韓国・韓国人に対する自然な好感が日本人の中に生まれた。

こういう一連の動きは、当時、日韓の将来に明るい期待を抱かせた。成功は自信を生む。自信は他者に対する寛容を生む。韓国の成功は、長く待たれた日韓間の和解への下地をつくるのではないか。私もまた、当時そのように考えた。けれどもこういう楽観主義が「ナイーヴ」なものでしかなかったことに、やがて日本側は気づかされることになった。

2010年代韓国の成功は日本に対する「恨」を爆発させ始めた

日本側でそれまで予想していなかったことが次々と起き始めた。成功によってもたらされた自信は、韓国では全く別の形を取った。これまで解決されずにいた歴史認識に対する怒りを今度こそ爆発させ、日本側の徹底した反省をせまる要求が噴出し始めた。

その始まりは、2011年8月、韓国憲法裁判所が下した「韓国政府は慰安婦の権利を守っておらず、その対応は違憲である」という判決だったと思う。1980年代の末から慰安婦問題が日韓関係の重要な問題となり、少なくとも韓国政府が慰安婦の立場を守ろうとそれなりの努力していたことは明白だったから、これは驚きを誘う判決だった。

つぎに、12年5月韓国大法院(最高裁判所)が、戦時強制労働に対する補償問題は65年の日韓請求権協定によっては解決されていないという判決を出した。これは、多くの日本人を驚愕させた。戦時強制労働問題が65年の請求権協定によって解決された案件の一つであることは、これまで韓国政府も同意してきたものだったからだ。案件はいま上告係争中だが、訴えられているのは、三菱重工業と新日鉄という日本を代表する企業である。韓国外務省の調べでは、こういう判決が下される可能性がある日本の会社は300社近いという。もしも有罪判決が確定し、判決の強制執行が起き、日韓正常化をなしとげた65年体制が根本的に否認されれば、両国関係は文字通り見通しの無い混乱状況に投げ込まれる。

さらに12年8月10日李明博大統領が竹島(独島)に上陸、その画像はテレビとネットを通じて多くの日本国民に不快感を与えた。その直後の天皇陛下の訪韓についての「韓国人の心に響く謝罪が必要だ」という発言は、多くの日本人に「ここまで言われるのか」という印象をつくってしまった。この夏に、おそらく戦後初めて、日本側の感情が韓国側の感情を上回る形で爆発したように見える。

13年に朴槿惠大統領が就任、安倍政権との間でいくつかのギクシャク現象が生れ、3月1日の国家記念日で「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることがない」と述べた。多くの日本人が、強い徒労感を感じたのではないかと思う。

13年12月の安倍総理の靖国参拝、14年7月の集団的自衛権行使の閣議決定も韓国側からの反発を生んだ。安倍・朴の両首脳間の関係でも好転の兆しは見えず、オバマ大統領の仲介で14年4月にヘーグで行われた一回の会談以外、首脳会談の見通しすらついていない。

最近では、産経新聞ソウル支局長の拘束、対馬における仏像盗難事件など、私たちの心を凍らせるような事案も起きている。

私は、韓国人が日本人に抱いている半端でない「恨」にはそれなりの理由があり、日本側はそれをきちんと受け止めるべきだと考え、拙著『歴史認識を問い直す』(角川ワンテーマ21、2013年)に、7つの「恨」として書いてきた。

①   民族の屈辱感。華夷秩序で自分より低位のものから支配された記憶
②   裏切り。韓国の独立の保証から始めた日露戦争の勝利の5年後の韓国併合
③   併合前及び併合初期における弾圧
④   皇民化。1930年代以降、韓国人をもって日本人としようとしたこと
⑤   皇民化が一定程度成功し、日本人として対米戦争を共に戦ってしまったこと
⑥   戦後の南北の分断。なぜ韓国が分断され日本は一体性を保ったのか
⑦   朝鮮戦争。分断された民族の間での猛烈な殺し合い

日本人は、日本帝国の朝鮮統治についてもしも誇りをもっているならば、その道徳的矜持として、こういう負の事実も認識する、この点をしっかり述べた95年の村山談話を堅持し、決して忘れないことが必須だと主張してきた。

けれども、いまの日韓関係は、この長期的な構図だけでは対応できなくなっている。慰安婦・強制労働・竹島などの政治的懸案は、いずれも何らかの解決を要する問題となってきた。背景に歴史問題があるからといって、被害者である韓国側の意向に従った対応を日本側がとるまで問題が解決しないとなると、これらの問題は歴史認識の範囲を超え、日韓の基本的な国家関係を壊す可能性が出てきている。

日韓関係はなぜ放置できないのか。幅広い国家利益と長期的な歴史という視座で考えねばいけない

なぜ日韓関係は放置できないか。引っ越しのできない隣人であるとか、歴史的文化の共通性とか、喧嘩するより仲良くした方がいいことだとか、さまざまな「べき」論はあると思う。けれども、私には、いまの日本の外交と防衛の最重要の課題が、日本が実効支配をしてきた尖閣の領海に一方的に侵入を繰り返す中国に対して、抑止と対話の総力を持ってあたることにあり、そのためには、最重要な周辺国である、アメリカ・韓国・ロシアと信頼に基づく関係を発展させるべきことが必須であることが、関係改善を不可避にしているように見える。韓国との関係から歴史認識の棘をぬくことは、もはや日本にとって、待ったなしの国益だと思う。

しかも、日韓が歴史認識についての棘をぬくことには、いくつもの付帯メリットがある。まず、日本と同じく、あるいは日本以上に中国の台頭に懸念を持つアメリカにとって、日韓の和解はアジアで最も実現したいことの一つだということである。次に、経済社会問題において多くの共通の問題をかかえる日韓において、協力はたくさんの目に見える利益を産み出す。最近の第三国における両国ビジネスの協力の増大は、まさにそういう方向性を示している。

さらに、古来の歴史に遡り、日本と朝鮮半島が歴史の動乱に投げ込まれた時に先人たちがそこからいかなる協力の歴史をつくりあげ、それがどういうふうに両国にプラスになってきたかを知ることは、今の日韓関係和解へのエネルギーを引き出すことになると思う。

一つには、日本で古墳時代大和朝廷の下で国の統一が本格化し、韓国では高句麗・百済・新羅が勢力を競い、これに唐が関与、結局、663年白村江で、新羅・唐の連合軍に百済・大和の連合軍が大敗した古事に遡りたい。この敗北のあと、百済の王族・貴族の一部が大和に移り住み、その血筋が天皇家の血筋に入ってきた。10年10月奈良で開催された「平城(奈良)遷都1300年記念式典」で天皇陛下は、奈良時代以前からの朝鮮半島からの渡来人の歴史に触れられ、桓武天皇の生母となった高野新笠が百済の王の血をひいておられることを述べられ、多くの日本人の心に深い印象を残された。

もう一つは、日本と朝鮮半島との関係は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役による朝鮮出兵によって、最悪の状況になった。徳川家康は、1600年関ヶ原で国内一の実力者となって以降、関係の正常化に腐心、早くも07年には朝鮮側からの信使を迎え関係を正常化させ、以後、朝鮮通信使と幕府との交流の歴史を開いたのである。この古事にならい、2014年6月20日朝鮮通信使ゆかりの静岡市清見寺にて、川勝平太静岡県知事のよびかけによる最初の日韓のお茶会が催され、2015年には更に高いレベルでこの行事を実現できないか、真剣な検討が進められている。

日韓関係改善への方策はどこにあるか

いまの日韓関係では、一つの問題の困難が他の問題の困難に悪影響を与える。この悪循環をたちきり、何らかの好循環を作り出さねばならない。それには、一つ一つの問題を孤立化させ、それぞれの改善を探り、これを全体としての好循環につなげる他ないと思う。慰安婦・強制労働・竹島(独島)の三つの問題について、私なりに、考えてみたい。

先ず慰安婦問題について。この問題が今後長きにわたって日韓関係を阻害しないためには、今韓国で生きている約50名の慰安婦の人たちと和解に達することが最善の方策だと思う。過去の経緯、「アジア女性基金」の真摯な努力、挺身隊協議会による問題の政治化とイデオロギー的な要求などの問題はある。けれども、この50名の方々の存命中にもう一回和解を実現しなければ、問題はほぼ半永久的に残りかねない。それには、相手の心に達するメッセージと、「アジア女性基金」で民間からの拠出によってまかなった償い金を政府予算で拠出する具体的な行動の二つが必要なのではないか。何よりも、安倍政権としての明示的な発意と行動に、朴大統領以下の韓国側の全面的な協力が必要である。

強制労働問題について。65年体制の基礎を壊す韓国大法院の判決を日本側が受け入れることはない。韓国の司法判断は、韓国政府のこれまでの立場をも否定している。問題の解決には、基本的に韓国側でやってもらうしかない。そのためにこそ、慰安婦問題を早急に解決し、韓国内の知日穏健派の活動をしやすくするのが、間接的ながら、日本側の貢献ということになると思う。

竹島(独島)問題について。この問題は、日本の竹島領有(1905年)が韓国併合(10年)の第一歩と観られていること、竹島は韓国のアイデンティティとなっていること(特に54年の韓国占拠の頃から)によって、極めて難しい問題になってきた。しかし、日本政府のこれまでの公式政策は、国際司法裁判所(ICJ)への提訴であり、実質、この問題との共存に反対してこなかったことも否定できない。それを前提とするなら、この問題を日韓間の政治的な障害としない知恵はありうるはずである。学者間の話し合い(トラックⅡの協議)、日露領土交渉におけるビザなし交流などの共存の枠組みの活用が、検討されても良いのではないか。

終わりに

安倍政権がここで書いたような認識を持っているかについて、私には、確信がない。むしろ、慰安婦問題についてもはや日本が動くべきなにものもない、韓国経済はいま多くの困難に直面しており、日本の大企業との協力を自ら壊すなら結果は彼らに跳ね返る、日本の固有の領土たる竹島については、教育と辛抱強い宣伝戦によって世界に訴え続けるべきだという意見が強いのかもしれない。

しかし、今、日本が世界の中で勝ち残るには、外交・経済・文化の情報戦で勝ち残らねばならない。それには、世界の世論、特に、米欧の世論を味方につけねばならない。日韓関係改善に向けての日本側の積極的な行動こそ、間違いなく、世界の世論を日本の味方につける。日清戦争勝利のあと、世界の世論の支持がなかったが故に遼東半島を失った日本が、日露戦争では、10年の軍事力強化とともに米英の世論を味方に付けたことが、戦争全体の勝利を導いたことをもう一回思い起こしたい。

太平洋戦争で真珠湾からミッドウェーでの敗北まで帝国陸海軍は無敵だったにもかかわらず、完敗への途を歩んだことの最大の原因が、米国の世論を味方につけて戦う力に欠けていたことにあったことを、外務省きっての戦略家、故岡崎久彦氏はつとに指摘しておられた。安倍政権を支える外交戦略家の方々には、必ずやこの歴史に学ぶ知恵があると信ずるのである。

カバー写真=2013年11月、三菱重工業に対する慰謝料請求訴訟で勝訴した元勤労挺身隊員と支援者たち(提供=時事)

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  • [2015.01.13]

京都産業大学教授、同大学世界問題研究所所長。1968年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、外務省に入省。欧亜局ソ連邦課長、条約局長、欧亜局長、駐オランダ大使などを歴任し、2002年に退官。ライデン大学、プリンストン大学、ソウル国立大学などで教鞭をとり、2010年より現職。著書に『北方領土交渉秘録、失われた五度の機会』(新潮社、2007年/新潮文庫、2011年)、『歴史認識を問い直す:靖国・慰安婦・領土問題』(角川oneテーマ21、2013年)、Japan’s Foreign Policy 1945-2009: The Quest for a Proactive Policy(Brill Academic Publisher、2010年)など。

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