半世紀前の日本と今日の日本
ロシアのジャパノロジストの50年

エリゲーナ・モロジャコワ【Profile】

[2015.02.24] 他の言語で読む : ESPAÑOL | Русский |

私が初めて訪日したのは1963年、もう半世紀前になる。現代の日本についての考察をしていると、50年もの歳月が経過していることが、おとぎ話の中の出来事であるかのようにすら感じられてくる。

この半世紀、私は平均すると2年に一度訪問しているだろう。私は、日本が変貌し続ける様子に気がつかなかったわけではない。しかし、日本訪問の度に、その直前の訪日の様子と比較してみると、大きな変化は目につかないものだ。だが、半世紀前と今日の日本と比べればそうはならないのかもしれない。

私は、2014年11月に法政大学の招聘で研究のため東京で一か月を過ごした際に、私はそのような比較を試みた。2014年に日本は二つの重要な出来事の50周年を迎えた。一つは、1964年の東京オリンピックである。日本が第二次世界大戦から完全に「回復」したという表現が許されるかどうか分からないが、国際社会に「完全復帰」したことを広く世界に知らしめた出来事であった。1956年の国連加盟は、政治的な意味での日本の「回復」の証左となったが、それだけでは不充分であった。その揺るぎない証となったのが、1964年の東京オリンピックであった。

東京五輪の会場となった国立代々木競技場の敷地内を歩く和服姿の女性ら(東京都渋谷区)(写真提供:時事)

もう一つ節目を迎えたのが、急速な経済発展を遂げる、高い技術力の国としての新しい日本のシンボルとなった「新幹線」である。

私が初めて日本を訪問したのはオリンピック開催と新幹線開設の一年前。当時、代々木のオリンピック施設は既に完成しており、日本の人々は、私達、ソ連青年代表団にスタジアムを誇らしげに披露してくれたのをよく覚えている。

大きく変化した日本 変わらぬ日本人

日本は、非常に大きく変化した。だが私はそれほど驚いてはいない。もし私が、先輩達のように第二次大戦直後の数年間の日本を見ていたら、現在の変貌ぶりに驚いていたのかもしれない。

50年前の時点で、日本が戦争の痛手から回復したことは明白であった。単に戦後の復興を遂げただけではなく、発展し、着実に前進し続けていることは火を見るよりも明らかであった。当時の日本の人々の生活レベルは十分に高く、街中に消費財が溢れていた。「生活必需品の潤沢さ」という点では、既にソ連を凌駕していた。それは、心から自国を誇り、その未来に大きな夢と確信を抱いていたソ連の青年達の目にもそう映ったのである。

しかし、昔も今も、日本の人々はあまり大きく変わっていない、皆、非常なハードワーカーである。仕事に自らの人生の意味を見出しているのだろうか。彼らにとっては、休暇というのは、さらに良い仕事をするために英気を養うことなのかもしれない。

陽光うららかな秋の日、上野公園を散歩しながら、私は、一人、美しい紅葉を楽しんでいた。同時に、通行人の顔を観察してみた。私が初めて目にした戦後日本を築きあげた世代、半世紀前には若者であった人達であり、今日の日本を支えている働き盛りの世代の人々の顔をである。気づいたのは、深刻な顔をしている人が減り、穏やかな顔、明るい色彩の服装の人が増えたということだ。美しい自然に囲まれての休息が与えてくれる喜びは、今も昔も少しも変わらない。日本の人々は、いにしえの時代から自然と共に生き、その自然との絆は、今日も決して途絶えてはいない。

今も昔もまったく変わらないことは他にもある。ぽっちゃりして、頬のふっくらした日本の子供達は、甲高い声をあげて笑ったり、「やだあぁぁ」と公園中に響くように叫びながら泣いていたとしても、いつも驚くほど真剣な瞳をしている。そして、泣いても笑っても、そのほぼ1分後には、「人生は上手くいっている」とでも言わんばかりに、再び笑い始めるのである。

私が半世紀前に見かけた、就学前の子供たちは、今では多分、代議士や大学教授、映画スターになったり、憧れの「部長」に昇進しているかもしれない。そこまで華やかで、社会的地位が高くなくとも、同じくらい重要で尊敬される職業である電車運転士、コック、建設作業員、店員などの仕事をしているのだろう。

半世紀とは一体、長いのか、短いのか? 私は、多数の研究書や論文を執筆し、実務分野では翻訳や講演を行い、人生の3分の2を日本に捧げてきた。半世紀の間、私は自分の持てる力のすべてを露日関係に注いできた。そして、もし可能であったなら、もっと多くのことをしたかったと思っている。

1990年 東京の国際文化会館の庭園にて ロシアの著名なインド学者・歴史文化学者であるグリゴリー・ボンガルド=リョーヴィン博士と

露日関係は変化した。私達の国そのものが変わったのだから、当然のことだ。昔、私達は「ソ連」代表として日本と接していた。露日関係は変化し、私達は、お互いをよりよく知るようになり、多くの問いに対する返答も得てきた(もちろん、すべてではないが!)。同時に、相互により手厳しく接するようにもなった。そして私達は、相手が決して敵ではないことを理解したのである。もしこのことを理解できない人がいるとすれば、それはその人自身の責任である。

大切なありのままの日本

日本人の「ロシア人」に対する考え方は、「ソ連人」に対するそれと比べて変わったのだろうか? 世論調査や研究結果によれば、変化したとされている。前よりも良くなったところも悪くなったところもある。しかし、私自身の経験から言えば、日本の人々の態度は、以前と変わっていないと思う。世代は幾つか交代したが、日本の人々の温かさや相互理解をしようとする心はそのままだ。そして、これこそが、私にとって、過ぎ去った半世紀の間で最も大切な「時を経ても決して変わることのない、ありのままの日本」なのである。

(原文ロシア語/タイトル写真:オリガ・アンドレーエヴァ)

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  • [2015.02.24]

1937年生まれ。モスクワ国立大学付属東洋言語大学(現在アジア・アフリカ諸国大学)日本語学科卒業。歴史学上級博士。現在、ロシア科学アカデミー東洋学研究所副所長・日本研究センター長。「日本研究年間」編集長(2000-2012)。

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