仏週刊紙襲撃事件がもたらした日本へのメッセージ

社会

襲撃事件が引き起こした未曾有の衝撃

1月7日、フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」編集部が武装したイスラム原理主義過激派二人組の襲撃を受け、十数人が凶弾に倒れた。犯人たちは、「シャルリー・エブド」が掲載した風刺画により「預言者」が侮辱されたと考え、その復讐を果たしに乗り込んだのだった。記憶する限り、フランスにこれほどの衝撃を引き起こした襲撃事件はなかったろう。

そう感じる理由はまず、この処刑人たち(私は「テロリスト」という言葉を使わない。二人の目的は、無差別行動によって市民を恐怖に陥れることではなく、自分たちが宣告した死刑の執行であったからだ)が、パリの真ん中で、白昼堂々、それも厳重な監視をかいくぐって標的を仕留めたこと。そればかりか、彼らが国家をあざ笑うかのように2日間にわたって逃走を続けた挙句、別の仲間がパリ東部のユダヤ系食品店を襲撃して「第二の戦線」を開いたこと。

そして、今回襲われたのが、フランス人の誰もが幼い頃から親しんだ伝説的な漫画家たちであったことだ。ある朝、新聞を開いて「宮崎駿、極右の活動家に殺害さる」というニュースに接するほどの衝撃、とでも言わねば日本人に理解してもらえないかもしれない。

当然、誰もが一斉にこれらの襲撃を強く非難した。1月10日と11日の両日、「共和国の行進」と称する支援デモがフランス全土で組織され、400万人を集めた。これはフランス史上最大のデモとなった。11日のパリ行進には、世界中から各国元首が参加した。しかも、同じ行進の列に、常に激しく対立してきたイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とパレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領を交えることにさえ成功したのだった。

日仏は「血を流して結ばれた兄弟」

しかし、1月11日にフランスにやってきた元首の大半は、フランス国民と動機を共有していたわけではない。表現の自由を擁護するために馳(は)せ参じたのではなかったのだ。アラブ首長国連邦、ガボン、チャドをはじめとする国の代表が行進に参加したからといって、これらの独裁国で「シャルリー・エブド」のような攻撃的な雑誌の出版が許可されることは断じてなかろう。彼らは統治者同士の連帯を再確認するためにフランスに来たのだ。要するに我が身を守るためであり、自国で尊重しない民主主義の大原則を擁護するのが目的であろうはずはなかった。

日本はどうだろうか。事件後すぐに日本がフランスに対して示したのは心からの同情だった。安倍晋三首相は1月9日に急きょ仏大使館に出向き、哀悼の意を表明した。日本在住のフランス人は、あらゆる日本人の友人から共感のメッセージを受け取った。パリの事件から2週間後、日本人2人がシリアでISISに拘束されたことが発覚するという不幸な偶然もあった。こうしてフランスと日本は1月下旬以降、いわば「血を流して結ばれた兄弟」の関係となり、同じ敵を相手にすることとなった。ふたつの民主主義国家が、イスラム原理主義の脅威に対して如何なる対応をしていくかは、今後の推移を見守っていく必要がある。

日本人にとって表現の自由とは

しかし「シャルリー・エブド」に関して言えば、この「兄弟関係」にも曖昧な部分がないとは言えない。確かに日本は民主主義の国であり、表現の自由が守られている。しかし、日本における表現の自由は、フランスほどに神聖な存在ではない。「シャルリー・エブド」襲撃事件の後、私にコメントを求めてきた日本のジャーナリストたちは皆、判で押したように、なぜ同紙はあのような風刺画を掲載したのか、なぜいまだに同様の風刺画を掲載するのか、という質問でインタビューを終えるのだった。「17人も死んだのに、まだ懲りないのでしょうか?」と訊いてきた若い女性ジャーナリストもいた。まるで風刺画家たちのほうが殺人者だったかのように。彼らが殺されたことは、半ば自業自得だったとでも言うように。

風刺というフランスの伝統に対する日本の無理解が露呈したのは今回が初めてではない。2013年9月にもそれを見事に示す例があった。フランス最大の風刺新聞「カナール・アンシェネ」紙に掲載されたイラストに、政府のスポークスマンである菅義偉官房長官が遺憾の意を表明した一件だ。腕や脚が三本ある相撲取りを描いて、福島原発事故を想起させる内容だった。この絵だけが特に目立ったわけではない。不謹慎な絵なら他にいくらでもあった。日本政府トップの「介入主義」によって注目を集めなければ、すぐに忘れ去られるはずであった。

日本の大騒ぎは、フランスで物笑いの種になっただけで、「カナール・アンシェネ」の編集方針に影響を及ぼすことはまったくなかった。このとき同紙は以下のようなコメントを発表した。「このイラストを通じて、我々が攻撃の対象としたのは誰だろう? 核の被害者だろうか、それとも核の悲劇に国民をさらした政府だろうか? 赤十字が餓死しかけているアフリカの子どもの写真を掲載するとき、非難の対象はその子なのか、それとも子どもを襲う無関心なのか?」

安倍内閣は、大胆な政権批判を行なった国内外のジャーナリストたちを数度にわたって攻撃して有名になった。日本の外交当局は、掲載内容が政府の見解に反すると、声を荒らげて抗議する。ル・フィガロ、レ・ゼコー、ル・モンドといったフランスの大手日刊紙が日本の外交官からお叱りを受けるのは日常茶飯事だ。フランスの新聞の編集方針に一言もの申すのは当然とお考えの方々である。このような行動がとられるようでは、安倍首相も表現の自由の擁護者としてはあまり信用できそうもない。

移民政策に対する日本人の意識に影響も

多くの日本人は、イスラム・コミュニティを嘲弄する「シャルリー・エブド」のやり方が非情だと感じ、その暴力性にショックを受けた。こうした反応は何も日本人だけではなく、アングロサクソン社会の大半も「シャルリー・エブド」の風刺画にはっきりと嫌悪感を示した。フランス人の中にだって、イスラム教徒であるかないかにかかわらず、そういう人々がいる。

フランスの知識人でもっとも影響力のあるひとり、人口学者のエマニュエル・トッドは、日本経済新聞に「私はシャルリーではない」と明かした。その理由はこうだ。「自分自身や先祖の宗教を笑いの対象にするならともかく、他人の宗教を侮蔑することはまったく別の話だ。イスラム教は、フランスの都市郊外に住む仕事のない移民の心の支えとなっている。イスラムを冒涜することは、社会の弱者であるこれらの移民を辱めることにほかならない」。

多くの日本人にとって、「シャルリー・エブド」襲撃事件は、フランスが過去30年にわたって採用してきた移民政策の失敗を顕著に示す事件でもあった。日本が移民を受け入れない口実がまたひとつ増えたことになる。ただし襲撃犯たちは、生まれも育ちもフランスだった。では、もし日本が人口減少に対処するために本格的な移民政策を採用したとして、同様の悲劇が発生しないと言えるだろうか? 大半の日本人にとって、質問の答えはおそらく「言えない」なのである。(原文フランス語 2015年3月 記)

タイトル写真=連続テロ事件を受けて、ユダヤ教会を警備するフランス軍兵士。2015年2月14日、フランス・パリ(時事)

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