ワシントンの戦争関連モニュメント
「全米日系米国人記念碑」と「米国立ホロコースト記念博物館」

原野 城治【Profile】

[2015.03.27]

2015年3月上旬、米国の首都ワシントンを訪れた際、いくつかの戦争関連モニュメントを見学したが、「自由の国」である米国の歴史は19世紀から20世紀にかけて、繰り返される“戦争の歴史”だったとつくづく思った。南北戦争の戦死者などを埋葬したアーリントン墓地をはじめ、第1次、第2次世界大戦の記念碑、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑、「9・11」同時多発テロ犠牲者追悼慰霊碑など。しかも、決して広大ではないワシントン市内にはそうした戦争関連モニュメントが山のようにある。

2羽の鶴に絡まる有刺鉄線―「全米日系米国人記念碑」

その1つが、第2次世界大戦中に、日系移民が強制収容所に送り込まれた苦難を象徴する「全米日系米国人記念碑」(National Japanese American Memorial)だ。

ホワイトハウスからそう遠くない、ユニオン駅近くの一角(1620 I Street Northwest, Washington, DC.)に、有刺鉄線が絡まった2羽の鶴のブロンズ像がある。目立たないので、見逃してしまうようなモニュメントだ。一般的な観光コースには含まれておらず、訪れる観光客もいなかった。

しかし、よく見ると、2羽の鶴が本物の有刺鉄線で巻かれていて、モニュメントとしてはかなり痛々しく、グロテスクに見えた。周囲の壁には全米10カ所の強制収容所名と収容人数、米国のために戦死した日系人の名前が刻まれている。

有刺鉄線が絡まった2羽の鶴のブロンズ像「全米日系米国人記念碑」

アジア系移民の苦難の歴史

米国は「移民の国」だ。米国がこれまでに受け入れた移民は約6000万人。1850年代に大西洋航路に蒸気汽船が就航すると、「自由の国」アメリカを目指して、欧州各国から毎年100万人単位で移民が流入した。

しかし、米国の移民史は、とりわけアジア系移民にとって苦難の歴史でもある。世界から新移民が大挙して押し寄せると、その社会的、経済的摩擦から移民を抑制しようとする動きが顕在化する。その最初の標的となったのは、1850年代、カリフォルニアのゴールドラッシュのために移民した中国人だった。

米連邦政府は1882年、「中国人排斥法」を成立させ、中国からの移民労働者の入国を禁止した。

アジア系戦争モニュメントとして印象に残る朝鮮戦争戦没者慰霊碑

1924年「排日移民法」で日本移民はストップ

中国人の移民禁止で、急増したのは日本人移民だった。1890年代、たった2000人しかいなかった日本人移民は1924年には、ハワイに約20万人、米本土に約18万人にも上った。

米国の総人口が1920年代、1億人に達したのを機に、移民の制限が急速に強化された。連邦議会は1921年に、「緊急移民割当法」(暫定移民法)を制定し、1924年には内容を強化した。

“国別割当法”といわれる同法は、1890年に行われた国勢調査結果に基づいて、1年間に受け入れることのできる移民数を出身国の割合に応じて抑制、規制するものであった。

この法律には、日本人移民を禁止する条文は含まれていなかった。しかし、中国人の移民は禁止されており、実態的には当時、最も勢いの強かった日本人移民の流入をターゲットとしたもので、一般的には“排日移民法”とも呼ばれた。背景には、第1次世界大戦後、中国などに対する帝国主義的な進出を強める日本への欧米諸国からの強い反発があった。

強制収容所には12万人、名誉回復は46年後

こうした流れの中で、日系移民は第2次世界大戦を迎える。日米両国が1941年12月8日(日本時間、ハワイ時間7日)、真珠湾攻撃で交戦状態となると、ルーズベルト大統領は翌42年2月19日に日系人移民の強制収容所(キャンプ)送りを決定した。収容された日系人は約12万人に達した。

「全米日系米国人記念碑」は、“敵性外国人”とみなされた日系アメリカ人の強制収容所での苦難とそこからの自由を訴えた記念碑である。

そして戦後、46年経過した1988年8月、当時のレーガン大統領は国の過ちを認め、日系人に対して謝罪と賠償を行った。生存していた日系米国人全員に対して1人、2万ドルの賠償金が支払われた。

レーガン大統領のそのときの言葉が記念碑の脇にある池のふちに刻まれている。

“Here We Admit A Wrong Here We Affirm our commitment As A Nation to Equal Justice Under the Law”(『われわれは過ちを認める。国として法の下では平等であることを断言する』)

“キャンプ経験”の多様な日系人たち

強制収容所に送り込まれた人々の中には、ノーマン・ミネタ元運輸長官、従軍慰安婦問題で日本政府に対する謝罪要求決議案を共同提案したマイク・ホンダ下院議員(民主党)、米・カナダの日本人補償問題に尽力した社会学者ゴードン・ヒラバヤシ、芸術家のイサム・ノグチ、映画『スタートレック』で有名な日系人俳優ジョージ・タケイ、収容所内で日系人の様子を写真に記録した宮武東洋など、多様な人びとがいた。

特に、ミネタ氏は2001年の「9・11」テロ事件当時、運輸長官として、ハイジャック、テロ警戒のため全米上空の航空機の飛行を全面禁止するなど高度な政治判断で、評価を得た。

一方で、カリフォルニア州選出のマイク・ホンダ下院議員のように、支持基盤に中国、韓国、ヒスパニック系の支持者を多く抱え、日系人としての立場ではなく、アジア人グループのリーダーとして活動と続けている人物もいる。戦後70年、日本はこうした日系人社会との歴史のつながりをいつの間にか、忘れてしまっている。

世界有数の「米国立ホロコースト記念博物館」

もう1つは、世界中にある「ホロコースト記念館」の中でも、最大規模の「米国立ホロコースト記念博物館」(United States Holocaust Memorial Museum)だ。議会議事堂のすぐ側にあり、連邦政府が寄贈した土地に民間からの寄付金だけで建設された。入場は無料だ。ただし、凄惨な写真資料などがあるため11歳以上でないと入場できない。

統一ドイツの初代大統領あるリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏が2015年1月31日死去した。ナチス・ドイツの過去に正面から向き合い、歴史的な謝罪をした大統領であった。しかし、ドイツが残した「ホロコースト」のあまりに酷い歴史は永遠に消えることはない。

収容所におけるユダヤ人、「米国立ホロコースト記念博物館」の展示

ホロコーストの絶滅収容所を再現

「ホロコースト」とは、ナチ政権によるユダヤ人大量殺戮のことであり、語源的にはギリシャ語に由来し「全部焼く」ことを意味する。1939年9月から45年5月まで、欧州における約600万人のユダヤ人が絶滅収容所などで殺害されたとされる。うち約100万人が子どもであった。

ナチスによる絶滅収容所は全部で6カ所設置されたが、その象徴はポーランドのアウシュビッツであり、約110万人がガス室などで殺された。『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクは姉とともに一時、アウシュビッツに収容され、そこからから貨車で別の収容所に移送されたが、英国軍が解放する前にチフスで姉妹とも死亡した。

“死の行進”という悲劇も繰り返された。博物館内には、収容所(ゲットー)の模型や実物大の輸送貨車、多数の資料・写真が展示されている。

博物館の入り口では、一人ひとり小さな冊子を受け取る。収容所に実在した人間のプロフィル、顔写真、そして死亡日が記されている。もちろん、大量殺戮の現場となったアウシュビッツの展示施設と比べたら比較にならないが、戦後70年、忘れてはならない歴史として、ホロコーストの収容所を体感させるつくりになっている。

博物館内に置かれたユダヤ人が脱ぎ捨てた無数の靴の山

日本人の名はただ1人、元外交官「杉原千畝」

博物館の展示の中で唯一、日本のこととして出てくるのは、元外交官の杉原千畝(すぎはら・ちうね、1900 -86年)氏だけだ。第2次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原氏は、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきた欧州各国の難民のために、外務省訓令に反して大量のビザ(査証)を発給、約6000人にのぼるユダヤ人避難民を救済した。

海外では、ユダヤ人を救済した「日本のシンドラー」として知られる。杉原氏は85歳の1968年、ユダヤ人を命がけで救った人だけに贈られる「諸国民の中の正義の人」の称号を授与されている。もちろん、日本人ではただ一人だ。

その杉原氏が、外交官としての名誉回復をしたのは1991年10月であった。当時の鈴木宗男・外務政務次官が杉原夫人の幸子夫人を招き、杉原氏の人道的かつ勇気ある判断を高く評価、杉原家との意思疎通を半世紀間も欠いていた無礼を謝罪し、杉原氏は事実上名誉回復した。

「戦後70年」ということで、歴史認識の議論がやかましいが、米国立ホロコースト記念博物館の中を歩いていると、歴史の中で忘れられてしまうことがいかに多いかという思いに至った。

カバー写真=アーリントン墓地

この記事につけられたタグ:
  • [2015.03.27]

政治ジャーナリスト。1972年時事通信社入社。同社政治部記者、パリ特派員、解説委員、秘書部長、編集局次長、ジャパンエコー社代表取締役を経て、2011年から16年3月までニッポンドットコム代表理事。2006年より日本国際問題研究所評議員。2008年「イタリア連帯の星」カヴァリエーレ章受章。2009年TBS番組コメンテーター。

関連記事
その他のコラム

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • シンポジウム報告