米国から贈られた「ハナミズキ」100年祭、日米親善のもう1つの‟絆”

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2015年4月10日、この記念すべき高校内で、キャロライン・ケネディ駐日米大使が臨席して、日米友好の記念樹「ハナミズキ百年祭」が行われた。同時に、日本郵便は同日、「米国からのハナミズキ寄贈100周年」の記念切手を発売したが、これは日米同時発売という、日本郵便としては初めての試みでもある。

都立園芸高校の原木こそ最後の1本

米国ワシントン・ポトマック川の桜並木が、日本から103年前に贈られた”日米親善”の象徴であることはよく知られている。しかし、その返礼にちょうど100年前、米国から「ハナミズキ」60本が贈られたことはあまり知られていない。

実は、60本の原木のうち、日本国内に残っているのはもうたったの1本でしかない。その場所は、東京都世田谷区深沢にある「都立園芸高校」内だ。

米国人はサクラのようにハナミズキを愛観する

米国からのハナミズキの原木は、都立園芸高校の正門から続くイチョウ並木から少し離れたところにある。高さは、約8メートル、街路樹などで見かける通常のハナミズキの倍くらいの高さがある。

都立園芸高校のハナミズキ(左)、ハナミズキの花(右)

なぜ、「日米親善交流の証」である最後の原木が園芸高校内にあるのか。

1912年、当時の尾崎行雄東京市長が桜の苗木6040本を米国へ贈った返礼として、タフト米大統領が1915年にハナミズキを寄贈した。届けられたハナミズキは全部で60本。うち白花の苗木が40本、ピンク花の苗木が20本だった。1915年4月に、植物学者スウィングル博士が、米政府代表として来日、40本の白の苗木を東京市(当時)に手渡した。

米政府の寄贈理由は、「日本国民ハ美術ノ国民ナリ」、「此樹ハ日本国民ガ桜花ヲ愛スルト同ジク 広ク米国国民ニ愛サレ白キ花カ四五月ノ交開クヤ 米国人ハ皆之レヲ各室々ニ飾リ愛観スルモノナリ」(公文書原文)などとしている。

その後、白の苗木は日比谷公園、小石川植物園など16カ所に分植され、そのうちの2本が同校に植樹された。しかし、1990年に全国的な調査した結果、返礼の「原木」の多くは枯れたり、行方不明となり、確認されたのは同校内の2本の原木だけ。しかも、その1本は1996年の台風による強風で倒れ枯れてしまった。

街路樹ハナミズキの人気の秘密

今年で創立108年を迎えた同校だが、植樹の経緯は初代校長を務めた熊谷八十三(やそぞう)技師が、1912年に日本から米国に贈られた「病害虫の発生の無い」桜の苗木作りに大きな功績を残したことが理由とされている。

ハナミズキはアメリカ原産で、日本では「花水木」、英語では ‟dogwood”と呼ばれている。その名は、ミズキ科の仲間で花が目立つことに由来している。4~5月ごろに花を咲かせ、その花は十字形に広がる。

同校の同窓会会長の宗村秀夫氏によると、日本の街路樹としてはイチョウに次いでハナミズキが多いという。確かに、各地に「ハナミズキ通り」がある。

理由は、①イチョウ、ポプラに比べ大きくならず、しかも病害虫がつきにくい、②桜の後の5月ごろに咲き、その後は葉が大きく茂り、日陰を作りやすい、③根を張って道路のアスファルトなどを破損することもない、④手入れが簡単で、行政的な経費も少なくて済む―など。100年前の原木贈呈によって、ハナミズキ街路樹が日本全国へ広がったというわけだ。

キリストの“十字架”にされたハナミズキ

しかし、宗村氏によると、ハナミズキ寄贈の背景にはもう1つ別の‟米側の想い”があるのではないかという。というのも、キリストが磔(はりつけ)の刑に処せられたとき、その十字架の木材はハナミズキであったからだ。日木でも串を作る材料に使う堅い木として知られている。

「クリスチャンにとって、ハナミズキはとても大事な木。背があまり高くならないのは、2度とハナミズキを十字架にしないようにという想いがこもっているからだといわれている」そうだ。

ハナミズキの花言葉は、「答礼」「私の思いを受けて下さい」などを意味する。100年前の寄贈の後、2000年にはタフト大統領の孫にあたるタフト・オハイオ州知事から「第2世代」のハナミズキ150本が寄贈され、そのうちの2本が同校内に植樹された。

今回の「100年祭」でも、ケネディ大使が同校内に新種のハナミズキを植樹した。第23代目に当たる德田安伸校長は、「(米国からの)3世代のハナミズキがあるのは、全国で園芸高校だけです」と強調した。

徳田安伸・都立園芸高校校長(右)と、宗村秀夫・同校同窓会会長

「日米デザイン」コラボレーションの記念切手

もう1つの話題は、記念切手の日米同時発売だ。「米国からのハナミズキ寄贈100周年」切手は、82円切手10枚組。切手の構図は、「サクラと国会議事堂」、「ハナミズキと憲政記念館時計塔」、「白いハナミズキ」(2種類)、「紅いハナミズキ」(同)などだが、この中に米国郵政公社(USPS)がデザインした「サクラとリンカーン記念館」、「ハナミズキと米国連邦議会議事堂」の2種類の切手が含まれている。

記念切手「ハナミズキと憲政記念館時計塔」

「ハナミズキと米国連邦議会議事堂」(米国郵政公社がデザイン)

「サクラとリンカーン記念館」(米国郵政公社がデザイン)

日米同時発売だけでなく、日米デザインのコラボレーションは、もちろん初めて。しかも、記念切手印刷には通常より多い「6色」が使われているのも異例のことだ。

さらに、記念祭の当日には、「切手入り台紙」(1620円)が、式典会場だけで発売されたが、これには2015年4月10日付の「押印」がされ、切手マニアには手に入れたい貴重な台紙販売となった。

教科書にも紹介された一青窈さんのヒット曲

最後に、ハナミズキには、もう1つエピソードがある。女性歌手で作詞家である一青 窈(ひとと・よう)さんが、2004年に歌って大ヒットした「ハナミズキ」だ。大修館から発売されている高校用外国語教科書「Genius English CommunicationⅡ」の中には、日米交流の象徴であるサクラとハナミズキの話とともに、一青さんの歌のことが紹介されている。

歌詞は、
「薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように」
「君と好きな人が 百年続きますように」と続く。

しかし、この歌は2001年の「9.11」同時多発テロで、 一青さんの友人が亡くなり、しかもその友人に子供がいたことから、その切ない気持ちを歌ったものだという。教科書には次のような記述がある。

“Since its release in 2004, Hanamizuki has become a well-known pop song in Japan. Interestingly enough, however, few listeners recognize in the lyrics Hitoto Yo’s message of peace, believing it is merely a love song.”
(「『ハナミズキ』は2004年にリリースされてから、日本ではポップソングとしてよく知られるようになった。しかし興味深いことに、一青さんが歌詞の中に平和へのメッセージをこめていると気が付いた人はほとんどおらず、単なるラブソングであると信じている」)

「ハナミズキ」は抒情的な恋愛ではなく、平和への思いが込められた歌であった。まさに、日米親善の象徴であるハナミズキは、一青さんの歌によって「平和」という“象徴”へもすそ野を広げた。

カバー写真=「ハナミズキ百年祭」に出席するキャロライン・ケネディ駐日米国大使(4月10日、東京都世田谷区の都立園芸高校で)