安倍首相が米議会演説で示した歴史認識と日本の選択
安倍訪米の総決算・上

鈴木 美勝【Profile】

[2015.05.12] 他の言語で読む : 简体字 | 繁體字 |

国賓級としてオバマ米大統領に招待された安倍晋三首相にとって今回の訪米は、異例尽くめだった。ビジネスライクの付き合いを好む大統領が、自らリンカーン・メモリアル(記念堂)に首相を案内するサプライズを演出したのをはじめ、日本語を連発、晩餐会で披露した俳句の中の一節(harmonious feeling)を「ナゴヤカニ」と言って会場の雰囲気を和らげ、共同記者会見では「オタガイノタメニ」と同盟強化の目的をズバリひと言で突いて見せた。そして、締めくくりにツイッターで「チカイウチニ」と送信、6月のG7サミットでの再会を約束した。一方、米議会も日本の首相として初めて上下両院合同会議に招待、安倍演説に何度もスタンディング・オベーションをもって応えた。

二年前の訪米では安倍首相が、祖父・岸信介とアイゼンハワー大統領が首脳会談に先立ってゴルフしたのを念頭に、パターをプレゼントしたものの、当のオバマ大統領の反応は今ひとつ、さらに共同記者会見も見送られたことを思い起こすと、その対応の落差は歴然としている。今回の安倍訪米への米側の熱の入れ方は、何を意味するのか。まず、この辺りから考えてみたい。

祖父・岸信介の決意表明

「私は、本日、この民主主義の殿堂において一言御挨拶を申し述べる機会を得ましたことを、最高の名誉と考えるものであります。この由緒ある殿堂に向って、キャピトル・ヒルを上って参りました時私は非常な感激を覚えたのであります。」

1957年6月20日、安倍の祖父・岸信介首相が上院と下院で個別に行った演説は、アメリカン・デモクラシーに対する敬意と憧憬、戦後その米国の背中を見詰めつつ新たに民主国家としてスタートを切った日本の「決意」を示す言葉で始まった。

岸訪米は、アジア・アフリカ(バンドン)会議(55年)に参加し、国際連合への加盟(56年)が認められた日本が今後<中立主義>に走るのではないかと懸念した米国が、対日調整の主導権を握るために設定したものだった。

米国にとっては、アジア・太平洋戦略を展開する上で日本の戦略的価値は何ものにも代え難かった。このため、日本に「穏健な保守政権」を根づかせること、日本に強まるナショナリズムを「日米同盟の文脈」に取り込むことを戦略目標(対日政策の基本NSC5516/1、55年4月決定)に据えた。

こうした中で行う岸の議会演説は、米国民の代表たる連邦議員に対して日本の首相が直接語り掛ける場として、極めて重要な政治イベントとなった。石橋内閣が短命で終わり、その後を受け継いだ岸は、訪米に先立って東南アジア6か国(57年5月、訪米後にさらに9か国)を歴訪。「アジアの代表格」を印象づけてのワシントン入りだった。

議会演説で岸は、かつての敵国・米国とのより対等なパートナーシップを求めて、「自由世界の忠実な一員として」国際共産主義と戦うとの決意を表明した。演説の核心は、米国を中心とした西側自由主義陣営への参加を明確にしたことだ。議場からは何度も何度も拍手が沸き起こった。岸はこの訪米によって、3年後に批准に漕ぎ着ける安保改定への扉を開いたのだった。

安倍議会演説の歴史的意味

それから半世紀余り。ロシアがウクライナでクリミアを力ずくで併合、中国が東シナ海や南シナ海で「力による一方的な現状変更」(日米両首脳)を試みる新たな歴史的転換点にあって、奇しくも、岸の孫、現首相の安倍晋三がキャピトル・ヒルの殿堂に招かれ、同じ議場の壇上に立った。インドネシアで開かれたバンドン会議60周年首脳会議で演説してまだ一週間しか経っていない。これも、東南アジア歴訪直後に訪米した首相・岸との因縁を感じさせる。

安倍演説のタイトルは「希望の同盟へ(toward an alliance of hope)」と表記されたが、草稿が完成するまで少なくとも10稿以上書き換えられた。まず、安倍首相の考え方や心情を理解する谷口智彦(内閣参与・慶応義塾大学大学院教授)が原案を執筆。それをベースに首相、谷口らがディスカッションを重ね、話の組み立てと流れ、表現、キーワードの使い方、英訳の的確さなどについて、様々な角度から仔細に検討した。途中の段階で、谷内正太郎(国家安全保障会議事務局長)、佐々江賢一郎(駐米大使)、斎木昭隆(外務事務次官)がコメントを求められた。キーワードのひとつ「remorce(反省)」は2か所に出てくることから、一つは、多くの「アメリカの若者」が斃れた第二次大戦の「取り返しのつかない、苛烈な」歴史を思い、懺悔の気持ちを表わすために、より宗教的な言葉「repentance(悔悟)」に修正された。最終案も4月26日、米国に向う専用機上で首相が手を入れるなど、きめ細かい推敲を重ねて完成稿が出来上がった。

4月29日、首相の声が議場に響いた。英語で約45分間——「はじめに」「アメリカと私」「アメリカ民主主義と日本」「第2次大戦メモリアル」「かつての敵、今日の友」「アメリカと戦後日本」「環太平洋経済連携協定」「強い日本へ、改革あるのみ」「戦後世界の平和と、日本の選択」「地域における同盟のミッション」「日本が掲げる新しい旗」「未来への希望」——。両国の兵士は戦って互いに傷ついたが、真の和解を経て、今や価値観を共有し、深い信頼と友情に結ばれるまでの国家関係となった。「希望の同盟」を目指す戦後70年にわたる日米関係のサクセス・ストーリーが披露されたわけだ。

歴史認識の対米融合

対決、和解、そして友情の絆に結ばれた<トモダチ>が危機を乗り越えるために未来にチャレンジするという、いかにもアメリカ人が好む見事なストーリー仕立て。「熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました」——日米戦争の激戦地・硫黄島に言及した下りでは、ギャラリーを指して、中隊を率いて上陸した米海兵隊大尉(当時)と、日本軍を指揮して防戦した栗林忠道大将の孫・新藤義孝国会議員が握手(和解)する姿を紹介する自身の演出を織り交ぜるなど、安倍演説は出席した米議会人に好意的に受け止められた。

演説は、たとえばヒロシマ、ナガサキへの原爆投下をめぐる問題などを除けば、第二次世界大戦の一側面(日米戦争)のケジメ(処理の仕方)として双方の<潔さ>を示したものだ。戦中・戦後をめぐる歴史認識を両国が基本的に共有していることを裏付けた形だが、あえて換言すれば、最近は「戦後レジームからの脱却」を自身から公然とは口にすることなく、事実上封印している首相による歴史認識の〝対米融合〟という表現もできる。

その上で、何よりも「未来への希望」に力点を置いた安倍演説への賛辞には、次のような含意が示されていたのではないか。

日本の首相は米国民の代表たる議会人に向けて、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の旗を掲げた日本が価値観を共有するアメリカとの絆、それを通じてグローバル規模の国際的役割を果たすことを公約する。

安倍首相のこの決意表明を、日米首脳会談での成果——「かつての敵対国が不動の同盟国」となり、「和解の力を示す模範」として「国境のみによって定義されない」「グローバルな射程を有するようになった同盟」(日米共同声明ビジョン声明)——と併せて考える時、日本が現下の世界史的岐路において米国の側に絶対的に立つと誓約したことを意味する。

これが、歴史的岐路に立った首相が、58年前の岸演説に思いをはせながら内外に示した決断だった。

完結した「戦後70年談話への序章」

戦後70年の今年、伊勢神宮参拝後の年頭記者会見で始まった安倍談話の考え方や歴史認識をめぐる安倍首相の対外発信は、国連創設70周年記念シンポジウム、バンドン会議60周年首脳会議でのスピーチを経て、米議会演説によって1つのヤマを越えた。今後、戦後70年談話に関する有識者懇談会の報告を踏まえて、8月15日(終戦記念日)に首相がどのような談話を発信するかに関心が移るが、その内容は未来志向が基調になることは変わらないにせよ、戦後の評価と共に、第二次大戦のもう一つの側面、中国大陸を含めアジアでの戦争についての歴史認識にも触れないわけにはいかないだろう。米議会人をはじめワシントンの日本専門家にも好意的に受け止められた安倍議会演説だが、真の評価は、8・15安倍談話と併せて、総体として下される必要があるだろう。

カバー写真=リンカーン記念堂での安倍晋三首相(右)とオバマ米大統領(提供・AP/アフロ)

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  • [2015.05.12]

時事通信解説委員。『外交』前編集長。早稲田大学政経学部卒業後、時事通信政治部に配属。ワシントン特派員、外務省、首相官邸、自民党各記者クラブキャップを経て、政治部次長、ニューヨーク総局長、解説副委員長、編集局総務、時事Janet編集長。著書に『いまだに続く「敗戦国外交」』(草思社)、『小沢一郎はなぜTVで殴られたか』(文藝春秋)など。

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