日中戦略互恵関係の現在——安倍首相が手にする2枚のカード

鈴木 美勝【Profile】

[2015.07.01] 他の言語で読む : 简体字 | 繁體字 |

昨秋以来、安倍晋三首相と習近平国家主席の二度にわたる日中首脳会談が開かれたのに続いて、5月には自民党の実力者、二階俊博総務会長率いる“3000人訪中団”が中国側の大歓迎を受けた。日中間で凍り付いていた氷はようやく溶け始めたようだ。この変わった潮目が日中関係改善への本格的な流れとなるかどうか。日中関係の当面の焦点は安倍首相の「戦後70年談話」(8月15日を予定)と中国で開催される抗日戦争勝利記念日(9月3日)に移る。外交当局は「なお予断を許さない」(外務省幹部)と慎重姿勢を崩さないが、首相周辺に流れるのは悲観論ばかりではない。その根底にある戦略は何か。

自民・二階総務会長の地ならし

「経済をもって政治を促し、文化をもって国民感情を促し、民をもって官を促す」——今なお、対日外交で隠然たる影響を及ぼしている唐家璇(セン)元外相が回顧録に綴ったこの言葉は、中国外交の一側面を言い表わしている。外交を幅広く捉え、二国間外交が行き詰まった時、規律ある指示の基にさまざまなレベル、アプローチを通じて相手方に圧力をかける手法だ。

この手法は習政権になっても当然受け継がれているのだが、安倍政権を相手にすると、やや勝手が違っているように見て取れる。グローバリズムによって相互依存が急速に深まった経済分野は、小泉時代のような「政経分離」を建て前に経済だけをノーマルにしておく便法は通用しなくなった。日中関係が悪化すると、そこで不利益を被るのは日本ばかりではない。不満が広がるのは中国側も同様だ。特に地方レベルでは日本からの投資が減り、経済的恩恵を得にくくなった。

日本国内に中国脅威論・嫌中論が広がるなかで、中国が昨年初頭に推進した世論戦——悪いのは一部軍国主義者で日本国民も被害者として日中国交正常化を進めた周恩来の論理立てをまねて、日本国民を別扱いし安倍首相を孤立させようとする統一戦線方式の宣伝戦——は効果なく、失敗に終わった。

この間、中国人の日本への旅行熱はいささかも衰えず、むしろ「国民感情を促した」のは、日本が中国に対してだった。

こうした中で注目を集めたのが、二階率いる“3000人訪中”だった。二階訪中は日中間の外交関係を一気に活性化させた。昨年後半に変化の兆しを見せた中国側の対日姿勢が、今年5月下旬、二階訪中の際に結実し、「民を以って官を促す」中国の対日方針が、はっきりした姿となってあらわれたと言えるだろう。

習近平講話の戦略的意図

中国側は、今回の二階訪中をタイミングよく効果的に使った。2015年5月23日、“3000人訪中”の目玉として人民大会堂で開かれた大宴会「日中観光交流の夕べ」に習近平が登場。「中日友好交流大会」の文字を背に対日外交に関する重要講話を行ったのだ。国営新華社は即、習近平講話の全文を配信。翌24日、中国共産党機関紙「人民日報」は、日中関係の重要性を強調した習講話を、1面トップに掲載した。こうした報じ方は、国内向けを強く意識した——特に対日オピニオンを形成する外交専門家・有識者、共産党員を念頭に置いた教化的講話だったことをうかがわせる。

講話のポイントは、その戦略的意図がどこにあるかは別にして、「中国は中日関係の発展を非常に重視しており、中日関係が風雨に遭っても、この基本方針は常に変わらず、今後も変わることはありません」と、当面の対日方針を明言した点だ。

習講話は、西安が「中日友好交流の重要な門戸」だったころ、阿倍仲麻呂が李白や王維と深く友情を結んだこと、近代以降、毛沢東、周恩来、鄧小平、田中角栄、大平正芳が高い政治的知恵をもって、さまざまな困難を乗り越え、中日国交正常化・平和友好条約によって新時代を開いたことに言及、「前の人が木を育て、後の人が木陰で涼む」と締めくくった。

習の登場とその講話は、日中関係の修復を口にするにはなお憚られる雰囲気、日中間に淀んでいた空気——つまり中国側の対日専門家を中心になお残っていた批判的空気——を押し流した。が、これが独裁型政治の脆弱な点なのだが、反腐敗運動によって求心力を高めたトップが何を言うか、この一点を注視する中国政治の在り様がここに反映されている。習近平は講話で歴史認識問題にも言及しているものの、それは、中国が対日外交を取り上げる際に決まって触れる“通過儀礼”のようなものだった。

習講話は、停滞する日中関係をとにかく動かしたいという明らかに戦略意図を含んだ前向きのメッセージだった。8・15「戦後70年談話」に向けて日中の駆け引きが激しくなるこの局面では、二階に首相親書を携行させた日本側の戦略意図と併せて考えておかなければなるまい。

潮目が変わったのはいつか

政治が動き、曲がりなりにも修復への道を開くのに効果を上げたのは、実は、福田康夫元首相が密かに訪中した昨年6月以後だ。翌7月下旬には、習主席と極秘に会談した。この福田訪中には、中国の要望に応じる形で谷内正太郎(国家安全保障会議事務局長)が首相の了承を得て同行した。これを機に、11月の北京APEC(アジア太平洋経済会議)首脳会合に向けて、中国の対日外交の修正が始まった。同月12日、安倍・習の日中首脳会談が、谷内・楊潔篪(チ)国務委員の四項目(①戦略的互恵関係の発展、②歴史の直視と両国関係に影響する政治的困難の克服での若干の認識一致、③尖閣諸島など東シナ海域で近年緊張状態が生じていることに異なる見解を有しているとの認識、④政治・外交・安保対話を徐々に再開)合意(7日)を受けて、初めて行われた。

外交の要諦は相手国の権力中枢へのアプローチであり、突き詰めれば、権力の中枢=首相官邸をどう動かすかだ。外交の主体は官に支えられた政治にあるが、昨年来の日中関係の局面は、政と官が協調し、関係修復に向けて日中の和音が響き合った結果だと言えよう。

では、対日姿勢が鮮明に変化した潮目はいつだったのか。それは、安倍自民党が大勝した昨年暮れの衆院選挙であろう。

衆院選の自民党勝利によって中国側も「安倍長期政権」を展望せざるを得なくなったためだ。安倍が、9月に自民党総裁として再選されるのは織り込み済みとしても、安倍政権は次期衆院選までは続く。安倍は、来年夏の参院選で負けたとしても、衆院選で負けなければ政権交代はない。そして、最近の政治情勢を勘案すれば、衆参同日選もないだろう。とすれば、安倍政権は最短でも2018年まで続く可能性がある。

現実に存在し、避けて通ることができない安倍政権とどう付き合うか。これが、習近平政権下の周辺国外交——それは対米関係も深く絡んでくるのだが——にとっての最大の課題となった。

抗日戦勝記念式典招待とAIIB参加要望という2枚のカード

1年前に比べれば、とげとげしい空気は、いま日中間にはない。だが、現時点では日中両国の戦略的互恵関係の起点がリセットされたにすぎない。外交当局も楽観視していない。「習近平『講話』で対日姿勢が明示されたので、修復への流れができたことは間違いないが、これが本物の流れになるかどうかは、まだ分からない」。こうした中で安倍官邸は、今後、どういった戦略外交を展開しようとしているのか。

首相は最近、周辺に漏らした。「韓国は、感情が絡むのでどうなるか分からないが、中国との外交は、理屈が立てば計算がしやすい」。

昨年は福田訪中を突破口に、今年は二階訪中を巧みに引き込みながら、関係修復への糸口を探ってきた首相だが、戦後70年の今年の終戦記念日(8・15)に、対中外交の正念場を迎える。安倍首相談話が予定されているためだ。そこで、最近、唐突に出始めたのが、首相談話の閣議決定を見送るとの新聞報道だ。その理由は、政府の公式見解としての意味合いを薄める一方で、首相の個人的見解と位置づけ、過去の談話の表現(キーワードとされる「侵略」「おわび」を使うか否か)に拘束されないようにするためだ。「韓国はどんな談話になってもクレームをつけるので、問題は中国の対応だ」(政府筋)。とすると、一連の報道は中国の反応を見極めるためのシグナルとみることができる。

日本側は今、強力な対中カードを2枚保持している。1枚は、中国が国際金融機関としての箔を付けたいがために日本の参加を切望するアジア・インフラ投資銀行(AIIB)加入カードだ。そして、もう1枚。それは日中間の深層で打診が始まっている9・3抗日戦争勝利記念日の式典への安倍首相出席問題だ。中国は、幅広い西側首脳の出席も期待しており、式典内容における「抗日」部分を薄める代わりに、安倍首相の出席を密かに打診してきた。式典出席が無理なら、5・9対独戦勝記念日の翌10日、ロシアを訪問したメルケル独首相にならって、北京を電撃的に訪問することもあり得るだろう。

今は避けたい日中間の不必要な波風?

日本としては慎重な対応が必要だが、日中ともに二階訪中でつかんだ雰囲気を維持したい。当面は、戦後70年談話への対応を含めて両国間に不必要に波風を立てるような対応をお互いに避けたいのではないか。

たとえば、安倍政権は、憲法学者の集団的自衛権違憲論によって、安保法制をめぐって世論の逆風を受ける事態となっている。安保関連法案の今国会処理は、米国に対する事実上の公約となっており、通常国会も9月27日まで超大幅に延長した。来年夏の参院選、さらにその後の政治日程を念頭に、支持率が大きく下がる事態は避けたいはずだ。

一方、習近平政権はと言えば、日中関係を悪化させたままでは、日本の対米傾斜は強まるばかりとの懸念がある。日本を超大国アメリカの側に追いやれば追いやるほど、アジア太平洋における中国の影響圏拡大戦略の障害は大きくなる。9月には、習近平主席の米国訪問も予定されている。日中関係は米中関係も絡んで今や、水面下で激しい駆け引きとシグナル交換が行われていると言えよう。

カバー写真=訪中団の記念写真に収まる二階俊博自民党総務会長(前列左から4人目)と中国の習近平国家主席(同5人目)/提供・時事

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  • [2015.07.01]

時事通信解説委員。『外交』前編集長。早稲田大学政経学部卒業後、時事通信政治部に配属。ワシントン特派員、外務省、首相官邸、自民党各記者クラブキャップを経て、政治部次長、ニューヨーク総局長、解説副委員長、編集局総務、時事Janet編集長。著書に『いまだに続く「敗戦国外交」』(草思社)、『小沢一郎はなぜTVで殴られたか』(文藝春秋)など。

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