日本外交に望まれる5つの転換

小倉 和夫【Profile】

[2015.08.06] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | العربية |

首相の戦後70談話が外交上の課題となり、安保法制もまた同盟国の歓迎と中韓の反発を呼んでいる。戦後70年という歴史の上での節目ということだけではなく、日本外交は「戦後的なるもの」から全般的に変化する必要に迫られているのである。

修正、脱却、転換、超越、再編というキーワード

いま日本では、日米同盟の深化がさけばれる一方、沖縄の基地問題についての国民的コンセンサスの欠如が目立つ。また、中国の政治的、軍事的台頭への対応が必要であるにもかかわらず、いまだ、過去の歴史問題が外交問題化することを防ぎ得ないでいる。加えて、国際的テロ行為や軍事行動による現状変更行為に対する日本自身の対応の仕方も再吟味されつつある。こうした情況は、日本外交が一つの大きな曲がり角にさしかかっていることを暗示している。

言い換えれば、第二次大戦後の日本外交の軌跡を振り返り、どこを修正し、どこを転換すべきかを真剣に議論する時期に来ている。そうした問題意識に立つとき、日本外交はすくなくとも5つの次元で、修正、脱却、転換、超越、再編を必要としていると考えられる。

1.歯止め外交の修正

憲法九条は、日本外交との関係では、国内的にも、国際的にも「歯止め」の役割りを演じてきた。

アメリカとの関係では、「日本の自衛」のためでなければ憲法上軍事的行為はできないという、いわば外交上の「盾」として使われてきた。

中国や韓国など近隣諸国との関係では、たとえ自衛力を日本が強化しても、外国へ出兵することはありえないとする、ここでもある種の「歯止め」として機能してきた。

憲法九条ばかりではない。日米安保ですら、公の立場は別として、実際には、日本の軍事力行使への抑制機能をもつものとしてこれを合理化する議論も展開されてきた。

そして、国連。国連外交という言葉は、国連を重視する外交という意味にほかならないが、それにもかかわらず、PKOをはじめとして、国連の旗の下ですら、日本は、軍事力行使をいさぎよしとしてこなかった。今回の集団的自衛権をめぐる論議でも、国連の決議があれば日本は集団的自衛権を行使して軍事的行動に参加するというのではなく、国連は、むしろ日米安保などにひきずられて日本が国連の方針にかならずしもそぐわない軍事的行動に参加しないための、いわば「歯止め」の役割を担っているかのように見える。

従って、日本外交では、こと軍事力行使に関する限り、何が国益で、なにが国際的正義かによって行使の是非を判断するのではなく、なにを歯止めとして提起して国内的、国際的に説明できるかという点を中心に戦略が作られてきた。

しかし、国際テロ、サイバー攻撃、ミサイル防衛の時代になると、このような「歯止め外交」では、日本の安全保障政策が有効に機能しないのではないかという疑問が生じてきた。今回の集団安全保障法案は、そうした疑問に対する反応の一つであるとみなすこともできる。その意味からいえば、論議の焦点が、あいもかわらず、どこに歯止めがあるかという歯止め論議が中心となり、肝心の、何のために、どういう理念に基づいて集団的自衛権を行使するのかという点が、ややあいまいとされている(そもそも、行使容認という言葉使いそのものが、歯止め的発想である)ことは問題である。

たとえば、民主主義体制を守るために、皆で立ち上がろうという時に、日本の領土への侵略が差し迫っていないので、軍事的行動には加わらないということでよいのか、といった設問はほとんど聞かれない。いいかれば、自由、民主、人権尊重といった憲法の理念が踏みにじられるような国際的事態に手をこまねいていては、それこそ憲法の理念に反するものだという議論がほとんど出てこないのは、どうしてなのであろうか。

歯止め外交は、こう考えてくると、ある種のごまかし、あるいは、よくいってモラトリアム(猶予)外交であり、日本がどこまで、これを続けられるのか、また続けるべきなのか、深く突っ込んで検討すべき時期に来ているのではなかろうか。

2.籠城外交からの脱却

第二次大戦によって海外領土を失ない、かつ大東亜共栄圏思想や国家神道的な思想的支柱を失った日本は、物理的にも精神的にも、「日本」に籠城することとなった。すなわち、日本という概念が、なにか理想をもった精神的共同体ではなく、もっぱら決められた領土という物理的概念によって規定されることとなった。

日本と外国との間には、あたかも越えられぬ境界線があるかの如き観念が維持されてきた。その結果、領土問題は、地理的な意味での土地の確保の問題か、それに伴う経済的権益の問題の側面だけが強調され、そこに、日本が主張すべき主義、思想、理想が、「領土」にこめられている、あるいはこめられるべきという点は軽視されてきた(たとえば、フォークランド紛争における英国の立場と比較すれば、そうであろう)。

その結果、日本外交において、日本の精神(例えば民主主義なり人権なり)を国際的に断固として主張するような、精神的単位としての領土感覚は希薄であった。しかし、集団的自衛権の発想には、共通の価値を守るという側面がある。今後日本が、どういう精神なり価値観を国際的に同盟国と共同で打ち出してゆくかを考えねばならない時期にきている。いわば、籠城ではなく、広い世界で戦う戦略を作らねばならない。

3.ないない外交の転換

第二次大戦前後から、一種の国際的孤児であった日本は、戦後長らく、国際社会に受け入れられる国(すなわち平和で民主的な国)という日本の姿を国際的に植え付ける努力を行ってきた。第二次大戦後しばらく、日本の外交(広報外交)は、軍国主義では「ない」日本というイメージの投影に専念した。それから、しばらく経つと、今度は、経済的に発展した国としての日本(すなわち低賃金で世界市場を荒らすような国では「ない」日本)を広報した。その時代が過ぎると、今度は、単に豊かであるばかりではなく、国際的な貢献を行う日本(すなわち、金もうけ主義の、エコノミックアニマルでは「ない」日本)のイメージをつくることに努めた。

しかし、今やこうした「ないない」外交をこえて、日本は、超現代の明日の社会のありかたを世界にどうアピールするかと言う課題に直面している。ある意味では、世界をリードする日本をどう作り、どう広報するかが問われている。そこでは、明日の世界の課題についての日本の果敢な取り組みが外交行動においても反映されなければならないであろう。

4.国際貢献外交の超越

「ないない」外交からの転換は、豊かになった日本が展開して来た、いわゆる国際貢献外交とも関連する。平和構築、社会開発、文化的創造といったことへの貢献が、日本外交の大きな柱となった。しかし、この概念は、既存の国際秩序を所与のものとして、そこで日本がどのような貢献をなしうるかという考え方を基礎にしていた。ところが、今や中国が台頭し、しかもその中国は、社会主義体制をくずさず、かつまた、第三世界の一員としての立場を維持している。いいかえれば、中国は、既存の国際秩序の改編を指向する勢力として止まっている。

その時、日本は、単に既存の国際秩序を守ることに努力するだけでよいのであろうか。新興国をも包含した経済秩序をつくり、第二次大戦の敗戦国にも配慮した国際政治秩序をどのように構築してゆくかについて、日本独自で、あるいは、可能であれば欧米諸国をはじめ国際社会と共同してビジョンをつくらねばならないであろう。日本は、国際秩序へ貢献する外交を乗り越えて、新しい国際秩序を作り上げる外交へと進まねばなるまい。

5.脱亜入欧の再編

こうした新しい国際秩序の構築にあたって、日本は、勃興するアジアの思想や考えを注入してゆくための、指導的役割をはたさねばならないだろう。その為には、アジアの声に十分耳をかたむけると共に、アジアの価値観で世界と共有すべきものを精錬し、世界に対して、他のアジア諸国と共同してアジアの考えを発信する努力を強化すべきである。

こうした観点からも、過去の歴史問題をめぐる中韓両国との摩擦は最小限に押さえる努力を行なわねばならない。過去の反省についての言葉は、迷惑をかけた近隣諸国の国民感情に配慮するためのものではない。自らが、みすからの国民の人権と自由を蹂躙した歴史に対する真摯な反省と連動するものでなければならないであろう。人権、民主、平等と言った観念について、日本自身もふくめアジアの国々内部でのそうした価値の蹂躙が行われる場合には、それに厳しく対応せねばならない。

そうしてこそ、真のアジアの価値観を世界と共有することができるのである。人権、民主、平等といった観念は、西欧思想特有のものではない。日本をふくめたアジアの伝統のなかに、西欧とはまた違った形や態様で生きて来たものでもある。いまや、西洋の価値観に従ってアジアを近代化するという発想を変えて、自然との共生の思想をはじめとしてアジアの思想を世界と共有することによって明日の世界的課題に取り組む外交を展開すべきであろう。

カバー写真=南スーダンPKOで現地に到着した陸上自衛隊隊員(提供・時事)

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  • [2015.08.06]

青山学院大学特別招聘教授。東京2020オリンピック・パラオリンピック招致委員会評議会事務総長。1938年生まれ。東京大学法学部、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。1962年外務省入省。文化交流部長、経済局長、外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使などを歴任。2003年10月から 2011年9月まで独立行政法人国際交流基金理事長を務める。著書に『グローバリズムへの叛逆』(中央公論新社/2004年)など。

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