「忘れ去られた戦没者」と——バシー海峡慰霊祭

門田 隆将【Profile】

[2015.09.17] 他の言語で読む : 简体字 | 繁體字 |

10万人が亡くなったバシー海峡で営まれた大規模慰霊祭

2015年8月2日午前11時半——。

台湾の最南端、屏東(へいとう)県猫鼻頭にある潮音寺に、バシー海峡戦没者に対する鎮魂の読経が流れ始めた。その時、それまでのサワサワとした空気が水を打ったように静かになり、参列者だけでなく、光も、樹々も、そして風さえも、聴き耳を立てているような不思議な空間へと変貌した。

私の頭には、さまざまな思いが巡り、静かに流れる読経が心の奥に深く染み入った。

どこまでも青く澄みわたった空。摂氏40度近い台湾最南部の地で、戦後初めて、バシー海峡戦没者の大規模な慰霊祭「戦後70周年バシー海峡戦没者慰霊祭」が行われたのである。

太平洋戦争(大東亜戦争)終盤、アメリカは、このバシー海峡に潜水艦による“群狼作戦”を敷いた。南方への日本の輸送船をこの海域で撃沈し、兵員や物資の輸送を阻止するためである。昭和18年から19年、そして20年へと、作戦の苛烈さは増していった。南方への途上で沈められる日本の輸送船は後を絶たず、やがて同海峡は、“魔の海峡”“輸送船の墓場”と称されるようになる。

だが、制海権を失った中で、強引な日本の輸送作戦は、それでも継続された。太平洋や南シナ海にも入る広大な海域を指すようになった“バシー”での戦没者は、およそ「10万人」という膨大な数となっていく。

正確な犠牲者の数は今もって分からず、そのため慰霊祭も、ある時は洋上で、ある時は台湾で、と小規模なものが時折行われてきただけだった。しかし、戦後70年が経過して初めて、大規模な慰霊祭が行われたのである。

私は昨年10月、この海峡の悲劇を描いた戦争ノンフィクション『慟哭の海峡』を上梓した。自身が12日間もバシー海峡を漂流し、奇跡的に救出され、戦後36年の歳月を経て潮音寺を建立した独立歩兵第十三聯隊の元通信兵、中嶋秀次さん(2013年10月、92歳で死去)と、漫画「アンパンマン」の作者・やなせたかしさんの弟で、バシー海峡で戦死した海軍少尉・柳瀬千尋さん(1944年12月、23歳没)の2人を中心に描いたノンフィクションである。

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  • [2015.09.17]

ノンフィクション作家。1958年生まれ。中央大学卒業後、新潮社に入社。週刊新潮編集部で記者、デスクなどを経て、2008年4月に独立。主な著作に『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社/2010年、山本七平賞受賞)、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所/2012年)および『慟哭の海峡』(角川書店/2014年)などがある。門田隆将オフィシャルサイト: http://www.kadotaryusho.com/index.html

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