追悼、日米経済調整に尽力し、「日本型経営」を追求した小林陽太郎氏

原野 城治【Profile】

[2015.09.08]

最後のインタビュー、2回目はかなわず

日本を代表する国際派経済人であり、経済同友会元代表幹事で富士ゼロックス元会長の小林陽太郎さんが9月5日、亡くなられた。

小林元会長とは、私が政治部記者だったにもかかわらず4半世紀近いお付き合いをさせていただいた。実は、2014年3月25日に東京・六本木の国際大学東京事務所内で、聞き手としてインタビュー『日中韓はより柔軟に、日米経済交流は拡大を』をさせていただいたが、それが小林元会長の生前に行った最後のメディア・インタビューになるとは想像もしていなかった。

聞きたかったのは、安全保障政策面で「日米同盟」が騒がれる中、日米経済関係は人脈的にも政策的にもパイプが細くなっている、その現状について1980年代から21世紀前半まで、日米経済摩擦調整の最前線で活躍された小林さんがどんな思いでおられるか、しっかりと聞いてみたかった。同時に、その足跡をしっかり書きとどめたかったからだ。

安倍首相に苦言も、リーダーには「信頼」が不可欠

しかし、2回のインタビューをお願いしていたが、かなわなかった。理由は、小林元会長の体調がすぐれず、15分ぐらいすると話すのが大変につらそうになられたからだ。しかし、声は小さくとも言葉はとてもしっかりしていた。「日米財界人が一緒に共通して問題を考える機会が減った」と憂慮し、米国の国際的な地位の低下がもたらす様々な問題に思いをめぐらされた。

印象的だったのは、「政権交代後の安倍内閣はよくやってきたが、集団的自衛権行使の問題などで国民の信頼を裏切らないようにしてほしい」とはっきり述べられた時だった。安倍政権が世論調査の高支持率に支えられていた絶好調ともいえる1年半前のことだ。リベラルな立場というより、日本の経済リーダー、国際経済人として今、言わなければならないという気持ちがにじみ出ていた。小林元会長のリーダー論の根底には常に「信頼」があった。

「CSR」(企業の社会に対する責任)への強い責任感

実は、12年前にも「新しい日本型経営」をテーマに長時間のインタビューをする機会があった。03年秋だが、当時、小林さんは富士ゼロックス会長で、経済同友会の代表幹事を退任された直後だった。今では当たり前だが、「企業の社会に対する責任」(CSR)の必要性を説き、その責任遂行が企業のコーポレートガバナンスにつながると繰り返された。「ガバナンス」という表現は、小林元会長が経済同友会時代にたびたび言及され、定着していったものだ。

とくに、「CSR」と言われるとき、それは「社会的」(Social)ではなく「社会に対して」(Societal)であると注意深く指摘された。経済的行動だけでなく、環境的行動、社会的行動を含むものだと強調されることを忘れなかった。

新しい「日本型経営」を常に模索

新しい「日本型経営」については、当時、日本はバブル崩壊から約10年、米国ではエンロンやワールドコムが、ストックオプションや株式交換などの手法を背景に、自社株価を釣り上げるため巨額粉飾に手を染める事件を起こすという“貪欲で過剰な”時代だった。それだけに、日本企業はどうあるべきか、悩まれ、模索されていた。

しかし、インタビューの中で出てきた言葉は、当時としてはあまり耳慣れない「ワーク・ライフ・バランス」や、「ファミリー・フレンドリー」、あるいは「家庭に時間を返す企業の新しいモティベーション」ということだった。

年がら年中駆けずり回っていては、従業員はもちろん企業組織からも“創造性”は生まれてこない。企業は市民社会との結びつきをしっかり作り上げていかなければならないと、随分と熱心に主張されていた。その背景には、小林元会長が1990年に国内で初めてボランティア休職制度を導入し、「個の発想を重視した新しい働き方」を提唱したことがある。

あれから10数年、日本経済はアベノミクスで回復基調にあるが、東芝のようなコーポレートガバナンスを揺るがすような事件が後を絶たない。サラリーマンの働き方も一向に改善していない。ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」というキャッチコピーが社会にインパクトを与えた時代からそれほど変わっているようには見えない。

小林さんは、そのことを最後まで気にしていたように思う。

ご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

カバー写真=小林陽太郎氏。1933年、富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)の小林節太郎元社長(故人)の長男としてロンドンに生まれる。慶大卒後、米ペンシルベニア大ウォートンスクールを修了。1958年に富士写真フイルムに入社、63年に富士ゼロックスに移り、78年に44歳で代表取締役社長、92年会長に就任。99~03年まで経済同友会代表幹事。社長時代には品質管理の取り組みが評価され、デミング賞実施賞を受賞。米国型の市場主義の重要性を踏まえつつも、市場主義一辺倒ではない日本型の企業や経済のあり方を模索した。新日中友好21世紀委員会の日本側座長を務め、日中関係改善にも尽力した。82歳だった。

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  • [2015.09.08]

政治ジャーナリスト。1972年時事通信社入社。同社政治部記者、パリ特派員、解説委員、秘書部長、編集局次長、ジャパンエコー社代表取締役を経て、2011年から16年3月までニッポンドットコム代表理事。2006年より日本国際問題研究所評議員。2008年「イタリア連帯の星」カヴァリエーレ章受章。2009年TBS番組コメンテーター。

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