2015年チャイナショックを振り返る

廖 八鳴【Profile】

[2015.12.31] 他の言語で読む : 简体字 |

2015年、中国の株式市場は猛烈なジェットコースター相場に翻弄された。年明けから上げ続けていた株価は、6月に入ると急落に転じ、10月になってようやく落ち着いた。今回の乱高下が意味するものは何か、中国経済に何が起こったのか、バブル経済は崩壊したのか——日本のメディアによる報道を切り口として、これらについて考えてみたい。

2度の暴落と日本メディア

本コラム執筆のきっかけは、中国株暴落に対する日本メディアの報道だった。

最初の暴落は6月。日本メディアは、これを「対岸の火事」と見ていた。紙面には「他人の不幸は蜜の味」とばかりに「中国バブル崩壊」の文字が躍り、あの日経新聞までもが「中国も『ポストバブル』の世界へようこそ」と題する記事(2015年7月5日)を掲載するなど、まるでジョークのような反応を見せた。これは、メディアの誤った認識と日本に蔓延する嫌中ムードの現れであろう。

2度目の暴落は8月の人民元切り下げ後。こうなると、もはや喜ぶどころでなくなった。引きずられるように起きた日米株式相場の急落により、日本経済の先行きを不安視する声が高まると、日本メディアは「中国発の世界同時株安」と報じた。

上海総合指数は「ブラックフライデー」を迎えた11月27日、5%以上もの下げ幅を記録したが、今回はもう日本メディアが「中国崩壊論」を書きたてることはなかった。日本株は連れて下げたが、パニックに陥ってはいなかったのだ。この辺、日本人は実に理性的になったと言える。

日本に漂う嫌中ムードに迎合したメディアが、中国の悪い面ばかり書きたてるのは致し方ない。だが、メディアやアナリストには、人々に真実を伝え、有益な情報を提供する義務がある。無知と偏見がもたらすものはミスリードだけだ。

6月のA株暴落からこれまで、日本では、核心を突くような客観的記事はひとつも見当たらなかった。日本メディアのバイアス報道もあろうが、より根深いのは中国に対する理解の薄さだろう。以下に解説するとおり、中国の株式市場には「政策の役割の違い」をはじめとして日本や欧米とは異なる特殊性がまだたくさんある。果たして日本のメディアはそうした違いを踏まえて分析し日本の読者に伝えただろうか。またその特殊な株式市場の混乱を実体経済と単純に結びつけることはなかっただろうか。

日本の読者に中国をより正確に理解をしてもらうためにも、今回の経緯を改めて振り返ってみようと思う。

株価はなぜ暴落したか

6月のA株暴落については、その前の高値基調から論じていく必要がある。株価高騰の原因はふたつ──株価サイクルと政策的ニーズだった。

このうち、株価サイクルはテクニカル上の問題である。

A株のブル相場(強気相場)は、2年も続くボックス(1900から2500)からの脱出をシンボルに、2014年11月に確立したものとされている。

実は、国泰君安証券やメリルリンチは、早くも2014年8月に超ブル相場の到来を予言していた。メリルリンチはこう指摘している──「2001年1月から2005年6月の上海総合指数は4年連続で下落し、その後の超ブル相場で6124ポイントまで上昇した。今回も2009年8月から2013年6月まで4年連続で下落している。よって、年内に超ブル相場が再来するだろう」。

メリルリンチ説が正しいなら、2013年6月の1979ポイントは底であり、ブル相場の始まりでもあった。この予言は、その後、市場によって証明されつつある。

総額4兆元投資の副作用

もうひとつが、政策的ニーズである。

今回の株高を中国政府は奨励している。それは今までの株価に無関心な態度と大いに違う。その理由は政策的ニーズにある。

2008年のリーマンショック後、中国は4兆元規模の景気刺激策を打ち出して各国の称賛を浴びた。だが、このことは大きな禍根を残した。

2008~2013年の5年間、中国は一国のみで世界の経済成長の37.6%に貢献し、国内的にも比較的急速な成長を維持してきた。このことは、おしなべて停滞気味の各国経済にとっては朗報だったが、中国自身にさほどのメリットはなかった。巨額の投資が牽引する経済成長には、大きな副作用がつきものだからだ。案の定、技術的に遅れた設備や過剰生産能力の整理は停滞し、住宅バブルは長引き、さらに銀行資産(融資規模)が過剰となるなどのデメリットが生じてしまった。

習近平・李克強政権は、発足後、すぐさまこれを問題視した。過剰な生産能力については、国内で企業のモデル転換を促進するいっぽう、国外ではAIIB(アジアインフラ投資銀行)の設立や「一帯一路」の新経済圏構想を打ち出すことで新たな市場を開拓し、過剰生産能力の解消に努めた。住宅バブルについては、価格高騰を食い止めると同時に、住宅市場が受ける衝撃を緩和するなど、さまざまな調整を行った。

最大の問題は銀行による過剰融資である。2008~2014年、中国銀行界の資産総額は、対GDP比で201%から269%に跳ね上がった。金融危機を阻止するため、融資規模の縮小は避けて通れない。だが、行き過ぎた引き締めは景気を冷やす「ハードランディング」にもなり得る。

間接金融から直接金融へ

銀行の融資を受けられなくなった企業には、新たな資金調達先が必要だ。そこで政府が着目したのが証券市場だった。現在、中国国内の融資総額のうち、銀行などからの間接融資が約8割なのに対し、株式市場や債券市場などからの直接融資はわずか1割強。ちなみに、米国では直接融資が7割強、ドル建直接貸付がわずか2割強と、中国とは正反対の状況になっている。

銀行による間接融資から株式市場や債券市場による直接融資へのシフトチェンジは、もはや必然的な選択であり、他国の状況から見ても実現可能性の高いことだった。

実は、中国政府は、目立たぬように株価指数先物取引を開始し、QFII(適格海外機関投資家)の投資限度額を拡大するなどの金融の構造改革を進めることで、ここ数年、国際市場への歩み寄りに努めていた。

2014年末には、「上海・香港ストックコネクト(※上海取引所と香港取引所によるA株の相互取引)」を始動。とりわけ、2015年3月の両会(人民代表大会と政治協商会議)における周小川中国中央銀行総裁の発言──「株式市場への投資は実体経済への投資でもある」──は、中国政府が株式市場を支持する明確な姿勢を象徴するものだった。

“狂牛”相場の始まり

新華社、人民日報など政府系メディアも株高をあおった。常に政策に左右される中国株は、政府の意向で株価が決まる「政策相場」で知られており、個人投資家のあいだには「株をやるなら人民日報を読め」という格言すら存在する。相場は一気に離陸した。上海総合指数は、瞬く間に3000、3500と続伸し、4月初めには通常の調整局面に入ることもなく4000ポイントの大台に迫った。

10か月もしないうちに、上海総合指数はほぼ倍に上昇。だがこれは明らかに異常事態だった。政府が望んだのは主に不動産市場からの流出した滞留資金を吸収するゆるやかに長期間歩むブルであって、“狂牛”ではなかったからだ。政府が株式市場を支持した最終目的はIPOを推進し新興産業に資金を提供するのに利することにあった。IPOを多くかつ長期にわたって続けるためには相場が10年ほどゆるやかに、時間をかけて値を上げていく必要があった。

株バブルの気配を察知したCSRC(中国証券監督管理委員会)は、IPO(新規株式公開)を加速して過熱気味の市場を冷やすとともに、リスクを示すことで、上げの勢いは鈍化した。ところが足並みは突如乱れる。人民日報がよりによってこのとき「4000ポイントはブル相場のスタートラインにすぎない」とする論文を掲載したのだ。

この記事をきっかけに、熱狂が再び市場をのし歩く。株式が何かをまったく知らない素人までもが周りに影響されて株に手を出すようになり、さらに恐ろしいことには借金をして株を買う者さえ続出する始末だった。

証券会社で開催された中国株投資セミナーで熱心に話を聴く個人投資家たち(東京・虎ノ門、2015年12月)。

外部信用取引

証券会社の信用取引レバレッジ比率はわずか2倍。しかも、敷居が高い。50万元(1000万円)以上ないと利用できない。そのため、親類や友人からカネを借りて株を買う人も多く、なかには「外部信用取引」に向かう者もいた。「外部信用取引」とは、株ブームのなか登場した新手のサービスで、融資会社による個人投資家向けの融資のことである。株で損をした個人投資家から借金を取り立てられなくなる事態を防ぐため、外部信用取引会社は、証券会社のシステムにアクセスし、個人投資家の口座を監視する。株価が警戒域まで下がれば、すぐさま顧客の持ち株を強制売買して資金を回収するという仕組みだった。

外部信用取引のレバレッジ比率はなんと5倍以上。なかには10倍のものさえあり、A株の値幅制限である10%を下げれば、即時反対売買され元金がゼロになってしまう。こんな時限爆弾のような取引は、中国以外ではあり得ない。だが、当初、CSRCはこの危機の芽生えを見落としていた。

狂熱相場にあおられた上海市場は4000ポイントの大台に乗り、一歩後退、二歩前進の乱高下を繰り返すうちに5000ポイントを突破。いっぽう、外部信用取引 は一部で担保割れで強制清算され、危機の芽がついに顏を出した。CSRCは、IPOを週1回から2回に増やすとともに、外部信用取引の規制という奥の手を繰り出すなど、市場の抑制に乗り出す。

その後の計算によると、外部信用取引の市場規模は、最低でも2兆元超までふくらんでいた。だが、CSRCは、当初、事の重大さを認識しておらず、後になっていきなり劇薬を投与してしまった。こうして、相場は連鎖反応的に値崩れを起こし、暴落劇が始まったのだ。

政府による救済

6月12日に5178ポイントをつけた上海総合指数は、7月9日には3373ポイントと34%急落。常時1000以上の銘柄がストップ安となり、売るに売れない状態がさらなるストップ安を呼んだ。最大の戦犯はもちろん外部信用取引 による売買である。いっぽう、上場企業も、自衛のため次々と自社株の売買停止を申請した。こうして、半数近くの銘柄が売買停止となる未曾有の異常事態が上海A株市場に出現したのである。

市場は流動性危機により正常な機能を失い、もはや政府が救済に登場せざるを得なくなった。だが、預金準備率と金利引き下げなどの市場操作 で事態は好転の兆しを見せない。残された方法は、巨額の資金を捻出して株を買う非市場的な手段に出るしかなかった 。この間、政府が動かした資金は少なくとも5兆元に達するとみられる。

効果はてき面だった。上場企業は続々と売買を再開し、取引は正常に戻ったようだった。だが、外部信用取引 の問題は完全に決着しておらず、禍根がまだ残っている。8月末、人民元の切り下げ が再度の株安を呼び、上海総合指数は2927ポイントまで値を下げる。事ここに至り、株式市場はようやく冷静さを取り戻し、1年間続いたジェットコースター相場は再びスタートラインに戻った。信用取引の調整を終えた10月、A株は再び上げに向かったが、3600ポイントを超えたところで売り圧力に押され上げ一服した。前の大暴落の後遺症が出た格好だ。

いくつかの視点

ここで、日本メディアとは異なる視点を紹介しておこう。

──株価暴落は中国バブル崩壊の表れなのか?

単なる株安だ。原因は、違法融資と不十分な管理体制であり、中国経済とは全く関係ない。中国経済はバブルではなく、株価バブルの崩壊を、中国バブル崩壊にこじつけるのはおかしい。中国株は確かにバブル状態にあったが、より深刻なのは、ゼロ成長の米国株や日本株だ。次に世界同時株安が起きるとすれば、それは「米国発の世界同時株安」になるだろう。

──政府の市場救済措置は必要か?救済は失敗したのか?

必要に迫られてしたことだ。金融危機が起これば、中国のみならず世界中が経済危機に見舞われる。批判すべきは、政府の介入ではなく、初動における市場管理の甘さだ。

中国政府の目的は、株価の維持ではなく、流動性の維持だ。目標株価を設定していたわけでもない。市場取引が正常な状態に復帰すれば市場から退出する。支払った代価は大きかったが、金融危機を回避したことで目的は達成された。

──今回の株暴落が中国経済に与える影響は?

中国経済の主体は製造業であり、経済への影響はほとんどない。だが、金融改革の進捗には、やや遅れが出てしまった。

ブル相場は続いているか

8年来の高値(2009年の3478ポイント)を突破した2014年7月以後の上昇トレンドは、ブル相場の始まりと位置づけることができる。10年程度のサイクルで見れば、2013年の1849ポイントから今年の5178ポイントまでを上昇局面、5178ポイントから2927ポイントまでを調整局面ととらえることができるし、今はちょうど横ばいのボックス圏にあるが、2年前より一段高の上のボックスに来ていると言ってよい。 テクニカル的に見れば、ブル相場の強気局面はまだ続いている。

間接金融から直接金融へのシフトには、8年から10年ほどの時間が必要だ。この間、政策的に、株式市場の保護に重点を置くことになる。いっぽう、民間資金は株式市場に戻りつつあり、今後は養老金(年金)が株式市場に向かうため、資金面の問題は特にない。中国中央銀行も12月16日、来年の経済成長率を6.8%とする予測を発表しており、ファンダメンタルはブル相場支持のようだ。

今回、いい勉強をしたことで、個人投資家はより冷静になり、政府も経験を積んだ。株式市場は、しばらく地固めした後、今度こそ政府が望む「ゆるやかに歩む」ブル相場、「長期の」ブル相場にシフトするだろう。中国社会科学院が16日に発表した「経済青書」でも、上海総合指数は3200ポイントから4000ポイントの間を行き来すると予測されている。安定的に、健全に、ゆるやかに歩むブル相場の訪れを待つとしよう。

注:原文は中国語で執筆され2015年12月22、23の両日に公開されました。日本語版は訳文を著者が確認のうえ日本語版読者向けに追加・修正を施したものです。

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  • [2015.12.31]

1958年中国四川省成都市生まれ。1982年洛陽大学日本語文学部卒業。その後郵電部(郵政省)衛星通信技術研究所、国家科学技術委員会科学技術人材交流センター翻訳員、外文出版発行事業局日本語月刊誌『人民中国』記者を歴任。1993年10月東京大学大学院総合文化研究科に留学。1996年4月より芝浦工業大学、日中学院等で講師を担当。在日中国語メディアフリーライター。著書に『天安門燃ゆ―激動の北京現地報告』(共著、読売新聞社中国特派員団/1989年)等がある。

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