TPP合意が、日本、そしてアジア・太平洋地域にもたらす地政学的な将来

白石 隆【Profile】

[2016.01.01] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

TPP合意の意義

オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、米国、ベトナムの12カ国で交渉されてきた環太平洋パートナーシップ(TPP)協定が、2015年10月6日、アトランタで開催された閣僚会合でついに大筋合意を見た。

TPPは、関税撤廃を中心とする伝統的な自由貿易協定(FTA)のほかに、関税以外の広範な貿易・投資のルールを定めている。世界の国内総生産(GDP)の40パーセント近くを占める国々がTPPの締結によって1つの経済圏を形成し、財、資金、サービス、情報、人などの往来がこれまで以上に自由になることは大いに歓迎である。また、TPPは、電子商取引、競争政策、労働、環境といった分野においても、世界貿易機関(WTO)協定にない先進的内容をもち、実質的に世界標準のルールを設定する効果もある。近い将来、TPPに加え、日本・EU経済連携協定、環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)が合意され、自由で公正で開かれた透明度の高い貿易・投資のルールが世界的に普及することを大いに期待したい。

経済的メリットは言うまでもない

この5年、TPPは国内的にも大きな論争を引き起こした。菅直人首相が2010年のAPEC首脳会議でTPP交渉参加の意思を示唆して以来、日本政府は、安倍晋三首相の決定まで、交渉参加を決めるだけで2年以上を要し、今回の大筋合意までにはさらに2年半近くを要した。TPPに対する抵抗がそれだけ大きかったことは、これによって既得権益を脅かされる勢力もそれだけ多かったということで、これは、TPPにそれだけの経済構造改革上の意義があるということでもある。

TPPの経済的意義についてはすでに広く議論されている。21世紀の通商システム構築におけるTPPの意義はよく知られている。また、国内経済的意義についても、たとえば、『日本経済新聞』(10月26日号)は、TPPの国内総生産(GDP)押し上げ効果は関税に絞った政府の試算で年3・2兆円であるが、川崎研一(政策研究大学院大学シニア・フェロー)によれば、TPPには「中期的にGDPを年8兆〜10兆円、1・6パーセント押し上げる」効果があるという。

TPPには、関税撤廃の効果に加え、投資ルールの共通化、規制緩和など、関税以外についてさまざまの効果があり、さらに、中長期的には、外国企業、外国製品との競争によって、経営を強化する企業も増え、国内制度改革も進み、日本経済の生産性向上に寄与すると予想されるためである。

アメリカの「リバランシング」と同盟国の呼応

しかし、この小論で特に述べておきたいことは、TPPの地政学的意義である。TPPが、「リバランシング」あるいは「ピヴォット」として知られるオバマ大統領のアジア太平洋政策の重要構成要素であることはよく知られている。これは、2011年11月のオバマ大統領のオーストラリア議会での演説に見る通りである。

この演説において、オバマ大統領は、①アメリカは太平洋国家である、②アメリカはアジア太平洋における軍事的プレゼンスを維持する、③アメリカは、日本、オーストラリア、韓国などの同盟国、さらにはフィリピン、インドネシア、シンガポール、インドなどのパートナー国との連携を強化し、地域協力に関与し、政治的連携を強化する、——こう述べた上で、アメリカはこうした政治・安全保障上の連携の上に、自由で、公正で、開かれた、透明度の高い、国際経済システムを構築する、TPPはそのモデルである、と宣言した。

TPP大筋合意は、その意味で、アメリカの「リバランシング」政策の大きな前進を意味するが、同時に、これは、日本、オーストラリアなどのアメリカの同盟国、さらには、ベトナム、シンガポール、マレーシアなどのパートナー国がアメリカの「リバランシング」に呼応した結果でもある。

中国の台頭による安全保障と通商システムの構造的緊張

では、これにどんな意義があるのか。近年、アジア太平洋の国際関係は、アメリカの「リバランス」政策と、中国の台頭、東シナ海・南シナ海における大国主義的行動、「一帯一路」政策によって大きく変容しつつある。アジア太平洋の地域システムには安全保障システムと通商システムの間に構造的緊張がある。

安全保障システムは、アメリカを中心とし、日米同盟、米豪同盟を基軸とする、ハブとスポークスのシステムとして編成されており、これは、近年、日豪、日印、豪印などの連携、米日豪、米日印などの3+3、さらには日本、豪州とアセアン諸国の安全保障協力の進展などによってネットワーク化されつつある。

一方、通商システムは、中国と中国以外の日本もふくめたアジアとアメリカの間の三角貿易システムを基盤に、アセアン+1の自由貿易協定が締結され、TPPが大筋合意に至り、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)も来年には大筋合意が期待されている。

これは、別の言い方をすれば、アジア太平洋の多くの国々は中国との貿易、さらには経済協力から大きな利益を享受する一方、安全保障においては、米国を同盟国、パートナー国とする国が圧倒的に多いということである。

したがって、米国とその同盟国が「力の均衡」維持のために安全保障協力、政治連携を強めれば、中国は「国家の核心的利益を犠牲にする」ことなく、その限度内で「隣国に善意で接し、隣国をパートナーとし、隣国と仲良くし、隣国が安全と感じるよう」、経済協力を推進し、「一帯一路」を提唱する。こうして、現在、米国の「リバランシング」と中国の「一帯一路」は、東アジアの国際関係を形成する2つの大きな力となっている。

日本、オーストラリアは、安全保障、政治連携・地域協力、TPP、これらすべての領域で米国と緊密に連携している。ベトナム、マレーシアなど、TPP参加を決めた国々がこれから順調に成長し、さらにフィリピン、タイ、インドネシアなどが将来、TPPに参加することは、アジア太平洋、さらには、太平洋からインド洋にかけての広大な地域(インド・太平洋)の地政学的将来に大きな意義をもつ。

期待される秩序形成

もう1つ、TPPは、これからこの地域で、どのようなルールをどう作るかという点でも大きな意義がある。中国は領海法を国内法として策定し、東シナ海、南シナ海でこれを周辺諸国に押し付けようとしており、それが周辺諸国の抵抗を招いている。かつて1997−98年の東アジア経済危機の直後、米国の介入がこの地域の多くの国でリスクと受け止められ、「東アジア共同体」構築を大義名分として、米国抜きの地域協力の仕組みが作られた。

しかし、近年、南シナ海、東シナ海における中国の行動によって、中国こそがリスクであると受け止められるようになった。こうして、2011年、東アジア首脳会議(EAS)がアセアン+6から+8に拡大され、米国は「リバランシング」の一環として、公平で自由で開かれた透明度の高い通商秩序を、多国間で、つまり「帝国的」ではない方法で、作ることを提案した。TPPの大筋合意は、その意味で、アジア太平洋を地域協力の枠組みとする多国間のルール作りの大きな進展となる。

中国「封じ込め」ではない

なお、誤解のないよう付言しておけば、これは中国「封じ込め」ではない。中国は、1997−98年のアジア経済危機から2007−08年の世界金融危機の頃まで、地域協力の重要なパートナーだった。中国周辺の国々が中国を「リスク」と見るようになったのは、中国が東シナ海、南シナ海の領有権問題等について、力による現状変更を試みるようになったためである。

中国周辺の多くの国々は中国の経済的台頭と経済協力から利益を得たいと考えている。したがって、「一帯一路」は、中国周辺の多くの国々、特に中国と領有権問題を抱えていない国にとっては大きな魅力だろう。しかし、中国が「経済協力」だけで周辺の国々の多くを中国になびかせることができると考えるとすれば、それは誤りである。

カバー写真=TPP大筋合意後、初めて会合する加盟12カ国首脳(2015年11月18日、フィリッピン・マニラ、提供・AP/アフロ)

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  • [2016.01.01]

nippon.com編集企画委員会顧問。政策研究大学院大学学長、ジェトロ・アジア経済研究所所長。1950年愛媛県生まれ。1974年東京大学大学院国際関係論修士課程、1977年米コーネル大大学院博士課程修了。コーネル大歴史学科・アジア研究学科教授、京都大学東南ア ジア研究センター教授を経て2005年から政策研究大学院大学教授。2007年、紫綬褒章を受章。2009年1月から2013年1月まで内閣府総合科学技術会議議員。2011年10月から2014年3月までnippon.com編集長。著書に『海の帝国―アジアをどう考えるか』(中央公論新社/2000年/吉野作造賞受賞)、『帝国と その限界―アメリカ・東アジア・日本』(NTT出版/2004年)など。

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