フクシマに翻弄された酪農家夫婦の5年

山田 敏弘【Profile】

[2016.02.25] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

廃業の日

2015年12月3日、福島県本宮市に暮らす三瓶利仙(60)と恵子(57)の酪農家夫婦は、牛舎で次々と売られていく牛を眺めていた。

朝10時過ぎに始まった牛の販売会には同業者が50人ほど集まった。あらかじめ組合関係者や獣医など目利きによって付けられていた値段を参考に、参加者は夫婦によって売りに出された49頭の牛を挙手で購入していく。価値の高い牛には、40人が購入を希望した。その場合にはくじ引きで購入者が決められた。

販売会は、数時間で終了した。妻の恵子は「牛が売られてトラックに積み込まれて行く様子を見ていると、5年前に牛と一緒に避難した日のことが蘇ってきて、正直言って辛かった」と語る。

そしてこう続けた。「これまで5年、無我夢中で必死に生きてきました。だから実感がなかったのかもしれないが、今初めてとんでもないものを失ったんだと気がついた」

この夫婦は40年間続けてきた酪農をこの日、廃業した。

福島第一原発から25キロにある酪農家

2016年3月11日、東日本大震災の発生から丸5年を迎える。ちょうど5年前、東京電力福島第一原発は津波に襲われて電源を喪失したことで、未曾有の原発事故を引き起こした。放射能汚染で周辺住民は避難を余儀なくされ、現在でも多くの避難民が一時帰宅を除いて故郷に帰還することはできない状態にある。

著者は事故発生の直後から、原発から25キロほど離れた福島県浪江町津島地区の酪農家夫婦の取材を続けてきた。夫婦は40年にわたり、二人三脚で、酪農一本で暮らしてきた。

三瓶夫婦にとって、この5年は一体どんなものだったのか。「酪農は私たちのすべてです」といって憚らなかった夫婦が事故から5年を目前に廃業の決断をした背景には、福島原発事故の亡霊に翻弄され続けてきた苦悩があった。

最初に三瓶夫妻を取材で訪ねた時、彼らは毎日、浪江町の自宅から30キロほど離れた仮の牛舎へ、牛の世話に通っていた。というのも、原発事故で自宅の牛舎に牛は置いておけなくなり、仮牛舎に移動させていたからだ。

夫妻は事故のすぐ後、牛を残して一度は避難した。だが彼らにとって、牛は単なる収入源というだけではない。避難先でも愛おしいという想いが溢れ、見捨てることは到底できなかった。

そして浪江町の自宅から車で1時間ほど行った、原発から遠く離れた本宮市に牛舎を見つけ、牛を全頭移動させた。妻の恵子は当時、何としても酪農を続けたいと語っており、彼らにとって仮牛舎に移動したことは大きな前進だった。寡黙にてきぱきと牛の世話を続ける夫の利仙はある日、浪江町の自宅に帰ると、「1時間かけて通うのは遠い」と本音を漏らしながらも、どこか嬉しそうに見えた。

本宮町にある仮の牛舎に入って間もない三瓶夫婦。2011年5月23日。撮影:郡山 総一郎

そんな生活でも、当時は、帰還して再び以前と同じ牛舎で酪農を続ける希望は捨てていなかった。いつでも牛が戻れるようにと、空になった自宅牛舎の清掃を怠らなかった。牧草を敷き、牛が戻った際に滑ることがないようにとカビを防止する粉を牛舎内に撒き続けていた姿が、著者の目には焼き付いている。妻の恵子は「当時は、先があるんだという漠然とした希望があった」と述懐する。

だが結局、いつまでたっても東電の事故は収拾の目処が立たず、数カ月後には三瓶夫婦も仮の牛舎に近いアパートに引っ越した。拠点を移動し、夫婦は酪農を再開する準備を始めた。

牛ごと拠点を移し酪農を再開したものの

酪農は大変な労働を必要とする。早朝から3時間ほどをかけて搾乳と清掃を行い、牛に餌を与える。昼にも餌を食べさせ、夕方から再び搾乳と清掃を行なう。乳牛は搾乳を続けなかったり、牛舎の清掃を怠ると病気になるため、毎日の作業を休むわけにいかない。

だが再開後すぐに、夫婦は問題に直面する。放射能汚染の風評被害だ。当時、福島産のほうれん草や原乳から、厚生労働省が定めた暫定基準値を上回る放射能を検出されたこともあり、すでに福島産品に対する風評被害が広がっていた。この現象は「福島差別」などと呼ばれた。

事故後やっと牛乳を出荷できるようになって間もないある朝に作業をする三瓶恵子。2011年12月26日。撮影:郡山 総一郎

それでも夫婦は出荷を諦めず、当時義務化された生乳の放射能検査を始めた。1週間に1回の検査で、3回連続して規制値を下回る必要がある。ペットボトルにとれたてのミルクを注ぎ込み、回収に来た酪農組合員に手渡した。結果的には放射能汚染はなかったが、最初は商品にならないために、生乳を捨てながらの作業になった。

そんな問題を乗り越え、それから数年は、赤字を出しながらも、牛乳の出荷を続けた。三瓶夫婦が数年にわたり地道に酪農を続けてきたのは、なんとか元の生活を取り戻し、酪農で生計を立てられる生活を取り戻すためだった。

本宮町の牛舎で赤字を出しながら操業を続ける三瓶夫婦。2012年7月20日。撮影:郡山 総一郎

巨額賠償金の明暗

そんな中、2013年12月に政府はそれまで目指してきた「避難者全員帰還」という方針を断念。三瓶夫婦はこれで完全に拠点を借りている牛舎に移した。そして避難指示が長期化する帰宅困難区域の三瓶一家などに対しては、東電などから一括で賠償金が支払われることになった。

そしてこの賠償金が思いもよらぬ苦悩を生んだ。賠償金がまとめて支払われたことで、一気に働く気力を失ったのだ。三瓶は「何も状況は変わっていないのに、通帳に見たことないような金額が入った。それを目の当たりにしたとたん、抜け殻のようになってしまった」と言う。

その金額はまさに「宝くじが当たったようなもの」だったと、当時、何人もの避難者が言っていた。事故の被害を考えればこの表現が適切なのかどうかは分からないが、国の試算によれば、帰宅困難区域に暮らしていた一般的な4人家族には1億675万円の賠償金が入った。三瓶夫婦の場合、そうした賠償金に加えて牛舎や酪農機器、土地建物の賠償などがまとめて銀行に振り込まれた。

ちなみに被災地は現在、3つの区域に分けられている。放射線量が最も高いため原則立ち入り禁止の帰還困難区域、立ち入りは出来るが宿泊は出来ない避難指示解除準備区域と居住制限区域だ。賠償金は「居住制限区域」の4人家族で7197万円、「避難指示解除準備区域」では5681万円が支払われている。だがすぐそばに住んでいたのにもらえる金額が違うという現象も起きており、5年経った現在でも揉め事に発展しているケースもある。

三瓶夫婦は、かつて近所に住んでいたが補償金の少なかった知人から当時、「あんた、もらえっからええね」と嫌みを言われた。「そんな言葉がでるなんて、大金の前では被災者同士の思いやりはちっぽけなものになってしまった」と、妻の恵子は嘆いた。

そんな状況でも、三瓶夫婦は酪農を立て直すことに尽力した。ただ、意外なところからも足を引っ張られた。”アベノミクス”だ。言うまでもないが、アベノミクスとは2012年12月に誕生した安倍晋三内閣の経済政策を指す。このデフレ対策により円安が進んだため、ほとんどを輸入に頼る乳牛の飼料代が高騰し、毎月赤字を出しながらの操業からなかなか抜け出せなかった。

それでも”設備投資”の意味で、賠償金から血統の良い牛を数百万かけて購入することもあった。借家の牛舎でできる投資は、そのくらいしかなかったからだ。ただ新たに産まれる子牛を売るなど副収入がある時には、経営が黒字になることもあった。なんとか踏ん張りながら、酪農を続けた。

断念

しかし2015年9月までに、別の深刻な問題が浮上する。牛の堆肥を処理できない状態になったのだ。それまでは別の牛舎に頼んで処分していた牛の堆肥が、その牛舎側の様々な事情が重なって難しくなったのだ。堆肥が処分できなくなると、酪農はできなくなる。

三瓶夫婦は思案を尽くした。そして酪農を諦めることに決めた。廃業だ。

妻の恵子は、「5年間がむしゃらに生きてきた」と言う。「難しいのは分かっていたけど、最初は3年やってダメなら辞めようと話していたんです。だけど補償金などもあったから経営は続けることができた。そうだとしても、やはりこの歳でリタイアは悔しい」。夫の利仙も、「賠償に甘えなきゃ経営が成り立たないなら辞めるべきだという結論に至った。5年の節目までに、ね」と語った。

三瓶夫婦は、いよいよ牛を手放すことが決まってから、改めて自分たちが積み上げてきた40年の重みを実感したと言う。「これで本当に終わりなんだという思いが溢れてきた」と恵子が言うと、夫の利仙は、「はっきり言って、先代から続けてきたのに残念でならない」と嘆いた。

現在、夫婦は牛舎から離れた場所に新居を建て、それぞれ新しい仕事を始めている。夫の利仙は、介護施設にある農場の管理や機器の整備をする仕事に従事する。初めて経験するサラリーマン生活である。妻の恵子は、知り合いの牛舎で日に数時間だが搾乳などの手伝いに出ている。

これまでほぼ365日乳牛に触れてきた妻の恵子は、新たな生活習慣にやっと慣れてきたと笑った。そう言いながらも、ボソッとこんな本音を吐露した。

「正直言って、すべてを元どおりに戻してくれるなら、これまでもらったお金はすべて返してやるって今は心から思っていますけどね」

注)
帰還困難区域:放射線量が非常に高いレベルにあることから、バリケードなど物理的な防護措置を実施
避難指示解除準備区域:将来的に住民の方が帰還することを目指す地域
居住制限区域:復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民の方が帰還できるための環境整備を目指す区域

カバー写真=原発事故5周年を前に廃業を決めた三瓶夫婦。2015年11月24日、本宮町の牛舎にて。撮影:郡山 総一郎

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  • [2016.02.25]

講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版に勤務後、現在、米マサチューセッツ工科大学(MIT)でフルブライト研究員を経てフリーに。国際情勢や社会問題、サイバー安全保障を中心に取材・執筆を行い、訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)、『あなたの見ている多くの試合に台本が存在する』(カンゼン)、著書に『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル〜トーマス野口の遺言』(新潮社)。

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