キエフ紀行—「遠い国」ウクライナで高まる日本への関心

千野 境子【Profile】

[2016.05.25] 他の言語で読む : 简体字 | 繁體字 | Русский |

詩人シェフチェンコの心意気が脈打つ街

首都キエフで一番頻繁にお目にかかるウクライナ人、それはウクライナの国民的詩人にして画家タラス・シェフチェンコ(1814~61)だ。何しろ通貨グリブナ札の肖像画になっているし、名前を冠した博物館や記念館、通り、大学、そして銅像などが至る所にある。私もキエフを去る頃には少しいかめしい表情のシェフチェンコがすっかり身近な存在になってしまった。

シェフチェンコのことをもっとも上手く簡潔に表現したと思われる文章を『物語 ウクライナの歴史』(元駐ウクライナ日本大使・黒川祐次著)から引用しよう。

《ウクライナの詩人や人々、歴史に対する愛情とウクライナの隷従からの解放を真摯(しんし)かつ直截に歌った。ロシアに対する怒りも大きかった》

ロシアからの自立を目指す現代ウクライナにも、2世紀前のシェフチェンコの心意気は脈々と流れている。2013年から14年にかけての「ユーロマイダン革命」がそれを物語る。マイダンは広場の意味で、欧州連合協定調印を渋る親露派ヤヌコーヴィチ政権を野党や市民らが倒した運動だ。ヤヌコーヴィチ大統領はロシアに脱出、もぬけの殻となった同大統領の豪邸はキエフの “新名所” となり、 舞台となった独立広場周辺には犠牲者100人余りの老若男女の写真が今も花束とともに飾られている。

歴史的事件の舞台となった独立広場

書道を通じた若者たちとの交流

3月末のキエフ訪問の目的の一つ、書道家小澤蘭雪さんによる書道デモンストレーションが行われたキエフ国立大学も正式にはタラス・シェフチェンコ記念の名が頭に付く。会場となった講堂の檀上にはシェフチェンコの大きな肖像画が飾られていた。

左:タラス・シェフチェンコの胸像/右:赤い外装で有名なキエフ国立大学(タラス・シェフチェンコ名称記念キエフ国立大学)

集まった同大学言語学院の日本語や東洋言語学科の150人を超す学生たちは、三蹟(さんせき)の一人、藤原行成の書「白楽天詩巻」を教材に、漢字からひらがな誕生の解説、ビデオによる日本の雪景色の紹介、学生の実習など盛り沢山の内容にすっかり魅了された様子。「書道で文化交流を」との思いで私たち2人の立てた企画が、献身的な現地の人々や日本大使館の協力も得て晴れて実を結んだと実感できた瞬間だ。

合間には宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が朗読された。3・11以来、海外で「雨ニモマケズ」が紹介される機会が増えている。自らは決して奢(おご)らず、他者を思う賢治の詩は、災禍の絶えぬ時代に国境を越えて人々の心を捉えてやまない。先のユーロマイダン革命をはじめ、ソ連解体(1991)→独立(同)→オレンジ革命(2004)→ロシアによるクリミア併合(13)と、歴史に翻弄(ほんろう)されてきたウクライナも例外ではないのだろう。

左:キエフ国立大学で書道の実演をする小澤蘭雪さんと通訳のユーリヤ・フェドートワさん/右:講演に熱心に耳を傾ける学生たち

「学生たちが書道の実際に触れる機会はめったにないので本当に有意義でした」と日本語学科教授のお墨付きも得て、講演は成功裏に終了。これには通訳を務めてくれた言語学院専任講師、ユーリヤ・フェドートワさんの力も大きい。正確丁寧、とても品の良い日本語を話すユーリヤさんは、日本語教師会の会長さんでもある。

日本への関心の高まり

ウクライナ語に訳された『枕草子』

もともと戦前、日本に滞在した盲目の詩人ワシーリー・エロシェンコ(1889~1952)はじめ古くから日本との関わりを持つウクライナだが、近年の欧米への接近とともに日本への関心もあらためて高まっている。ウクライナ語版の『枕草子』が刊行され、『源氏物語』も翻訳中だ。キエフ工科大学にあるウクライナ日本センターでは小学生対象の日本語教室が昨年から再開された。

元駐日ウクライナ大使館の外交官のユーリー・クシナリョフ同所長は「地方都市にも関心を広めてゆきたい。日本からの協力もお願いしたいですね」と抱負を語っていた。センターには日本関係の図書を集めた図書館のほか、青々とした畳のお茶室もあった。

ウクライナ日本センターの書道教室でも一日講師を担当した小澤さんと参加者たち

ウクライナ文化の再発見

それでもウクライナは日本にとって、まだ「遠くて遠い国」かもしれない。本家はウクライナなのにロシアと思われてきた事例が少なくないのもそのせいだろう。例えばロシア料理の代表とされるボルシチ・スープ。実はウクライナの伝統料理で、キエフ滞在中、一番親しんだメニューだった。またどこか郷愁を誘う音楽とダンスで知られるコサックも、15世紀頃からウクライナ南部に出現した武装自治集団だ。勇敢で戦いを恐れないコサック魂はサムライ精神に通ずるという指摘もある。

代表作『検察官』や『外套』などで知られる作家ニコライ・ゴーゴリはコサック小地主の末裔(まつえい)。今も愛読されているとユーリヤさんから聞いて、ゴーゴリをロシア文学者と決め込んでいた私は、もう一度あらためて読みたくなった。

こうした “錯覚” は、ウクライナやベラルーシなど民族や出自の前に、まずはロシアやソ連ありきの歴史ゆえだろう。ロシアはキエフ・ルーシ公国に始まるというのも学生時代に得た知識だが、これまたウクライナこそキエフ・ルーシであり、13世紀にモンゴルに滅ぼされたことで、東方のロシアがキエフ・ルーシを継承したのである。

(左)ドニエプル川を見下ろすウラジーミル聖公像。ウラジーミル聖公はキエフ・ルーシ時代に国教をキリスト教東方教会に定めたことで知られる。(右)聖ミハイルの黄金ドーム修道院。ソ連時代に取り壊され、独立後に再建された。

対立の構図では見えてこない対ロ関係

もっともウクライナとロシアをただ対立関係だけで見るのは単純すぎる。クリミア併合以降、確かに両国関係は厳しいが、ウクライナでロシア語はご法度との忠告は杞憂(きゆう)だった。嫌な顔をされるどころか、ロシア語の方が英語より広く使われているし、スムーズのようだ。

「(併合後)ロシア人と話す前までは緊張したけれど、実際に話してみたら何でもなかったわ」とホッとするように語るウクライナ人もいた。国の対立イコール国民のそれとは限らない。兄弟や親戚がロシアにいるウクライナ人もいれば、その逆もある。かつては同じ国だった隣国同士であり、深い関係はそう簡単に断絶出来るものではないし、断絶することは賢明ではあるまい。

最後に、30年前のチェルノブイリ原発事故も忘れてはならない。ロシアからの独立で核保有は放棄したが、負の遺産の方は引き継ぎ、日欧米の協力の下、黒鉛型原子炉の封じ込め作業が行われている。また他にも日本は選挙監視や司法制度改革、国内避難民の支援などさまざまな支援に乗り出している。ウクライナの人々がいま切望していること——汚職や腐敗の追放と民主主義の定着——が実現されるように、日本は協力を一層深めてゆきたいものである。

(2016年5月9日 記/写真提供:小澤 蘭雪、昼間 祐治)

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  • [2016.05.25]

横浜市生まれ。1967年に早稲田大学卒業、産経新聞に入社。夕刊フジ、マニラ特派員、ニューヨーク支局長。外信部長、論説委員、シンガポール支局長などを経て2005年から08年まで論説委員長・特別記者。現在は客員論説委員として産経新聞のコラム「視線」に寄稿している。東南アジア報道で1997年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。15年9月に『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』(草思社)を出版のほか、『インドネシア9.30クーデターの謎を解く』(草思社)、『女性記者』(産経出版)、『なぜ独裁はなくならないのか』(国土社)など著書多数。

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