80年の時を超え、台湾と日本を結ぶ一枚の絵
台湾人画家・陳澄波の作品の発見を巡って

謝 ひかり【Profile】

[2016.11.03]

「嘉義公園」2002年/クリスティーズ香港/落札価格579.4万香港ドル(約7600万円)
「淡水」2006年/サザビーズ香港/落札価格3484万香港ドル(約4億6000万円)
「淡水夕照」2007年/サザビーズ香港/落札価格5073万香港ドル(約6億6000万円)

いきなりお金の話で恐縮である。芸術の真価を一つの尺度で計ることは難しい。しかし「モノ」の価値を語ろうとする際、時に最も説得力をもつのが値段であることも事実である。これらは近年、国際オークション市場に出品された、日本統治時代に活躍した台湾の洋画家・陳澄波(ちん・とうは)の作品である。そして、数億円の価値を持つ油絵が地方の小さな図書館で突如、見つかった。

どうして山口県防府市で発見されたのか?

事の起こりは2015年だった。

山口県防府市に住む元・龍谷大学教授の児玉識(こだま・しき)氏が、郷土出身の政治家で第11代台湾総督の上山満之進(1869~1938年)を調べていたところ、上山ゆかりの山口県防府市立防府図書館の倉庫から「陳澄波」と署名の入った古い油絵を見つけた。

作品の名は「東台湾臨海道路」。

児玉氏の著書『上山満之進の思想と行動』にもあるこの絵は、海に面した断崖絶壁が長く延び、山の中腹には1932年に開通した台湾の東海岸に位置する花蓮の「蘇花公路」が描かれている。さらに「タイヤル族」らしき親子が手をつないで歩いており、海には先住民の小舟が浮かんでいる。木製の額縁にも大きな特色がある。どうやら台湾・蘭嶼(らんしょ)島に暮らす「タオ族」の舟の木材を用いたとみられ、表面にはタオ族の意匠が彫り込まれている。

そして2016年の9月2日、上山の親族・上山忠男氏を中心に、山口県立大学の教授や学生、防府市の有志らによる日台友好訪問団が嘉義を訪れ、「二二八事件」で命を落とし、悲劇の画家と呼ばれる陳澄波の長男で、陳澄波文化基金会理事長の陳重光氏やその遺族と対面した。行方が分からなくなっていた陳澄波の作品が発見されたことを踏まえて、その絵の今後を考えながら日台交流の強化につなげようと訪問団が組まれたのだ。

今回の訪問で、行方不明になっていた父親の作品が日本で発見されたことへの感慨を問われた陳重光氏は、「再び父に巡り会えたような気持ちだった」と語っている。

陳澄波は日本統治時代を中心に、日本や台湾、中国大陸でも活躍した、台湾を代表する洋画家である。

出身は、台湾中部の嘉義市。最近日本でも話題となった、甲子園初出場で準優勝した嘉義農林学校野球部の物語を描いた台湾映画『KANO』の舞台となった街だ。陳澄波のほか林玉山(りん・ぎょくざん)など著名な芸術家を多数輩出した「美術の街」でもある。

東京美術学校(今の東京芸術大学の前身)に学び、台湾人として初めて「帝国美術展覧会」(帝展)に入賞。中国・上海にまで活躍の場を広げていったが、太平洋戦争の激化とともに台湾に戻り、「淡水」など台湾の美しい風景の作品を多く残した。

しかし戦後、日本から台湾を接収した国民党政府の下で勃発した二二八事件に巻き込まれ、1947年、52歳の若さで銃殺された。

戒厳令下の台湾では、長らくその存在が伏せられてきたものの、民主化とともに再評価が進み、その悲劇性と郷土愛を感じさせる作風が、冒頭に挙げたオークション価格を記録するほどの爆発的な人気となった。

嘉義では、毎年、陳澄波の誕生日にあたる「2月2日」を「陳澄波の日」と定めている。街の至る所で彼の絵の印刷物や名前を目にするほど陳澄波は嘉義市民、さらには台湾人から親しみと尊敬を集める存在なのだ。

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  • [2016.11.03]

台湾在住ライター。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。日本の各媒体に台湾事情を寄稿している。 個人ブログ:『台北物語~taipei story

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