逆らわずして勝つ—ラフカディオ・ハーンと柔道

真田 久【Profile】

[2016.12.14] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | ESPAÑOL | Русский |

嘉納治五郎との交流をきっかけに柔道を世界に紹介したラフカディオ・ハーンは、敵の力を利用するこの武道に魅了された。大陸文化を受け入れてきた日本人のしなやかさが、柔道を生んだと筆者は指摘する。

柔よく剛を制す

日本の風土や文化の独自性をおおむね肯定的な姿勢で描写し続けたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)(写真=時事)

日本の柔道がなぜ海外に普及したのか? それは柔道の技が、西洋の格闘技とは根本的に違っていたからである。格闘技は通常、力の強い方が勝つ、これは当然である。しかしながら、柔道は決してそうではない。力の弱い者でも、勝つことができる。それは相手の力を巧みに利用するからである。そのことを欧米に発信した人物の一人が、ラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)であった。

『怪談』などの作品で知られる作家、ラフカディオ・ハーンは、1850年にギリシャのレフカダ島に生まれ、英国、米国を経て90年、日本にやって来た。日本の文化に大いに関心を抱き、日本人女性小泉セツと結婚し、大学で教鞭(きょうべん)を取りながら各地を巡って日本文化の特異性をエッセーに書き著して欧米に紹介した。

91年、講道館柔道の創始者で当時は第五高等中学校(現在の熊本大学)の校長をしていた嘉納治五郎のすすめで、英語教師として熊本に赴任する。日本文化に大いに興味を持っていたハーンは、嘉納が学生たち相手に指導していた柔道場に足を運ぶ。そして柔道について驚きとともに次のように観察した。

達人になると、自分の力に決して頼らない。最大の危機に臨んでも、自分の力というものは、ほとんどつかわないのである。それじゃ何をつかうかというと、敵の力こそ、敵を打ち倒す手段なのだ。相手の力が大きければ大きいだけ、相手には不利になり、こっちには有利になるのである。(※1)

相手の力を利用して勝つ、すなわち「逆らわずして勝つ」ことが、柔術の本質であることをハーンは伝えた。ここでいう柔術とは、嘉納の柔道のことであり、ハーンはその巧みさに魅了された。

しかしハーンが伝えようとしたのは、それだけではなかった。彼は、柔道を通して日本の近代化の特徴を描いたのである。

西洋人は、日本は西洋のものなら、服装はもとより、風俗習慣にいたるまで、なにもかも、西洋のものを採用するようになると、予言したものであった。ある人にいたっては、宗教だって、そのうちに勅令が発せられて、国民がキリスト教に改宗するような時が来るやもしれないと信じた。けれども、このような妄信は、その民族の深い能力や、見識や、昔から持っている独立自尊の精神なぞを、まるで知らなかったことに起因する。その間、日本が、ひたすら柔術の稽古ばかりしていたということを、西洋人は爪の垢ほども想像しなかった。じっさい、その当時、まだ西洋では、柔術の「じゅう」の字を聞いたものもなかった時代であった。ところが、万事がじつはこの柔術だったのである。

欧米の目に新鮮だった日本人のしなやかさ

日本人が皆柔術をやっていたわけではないが、柔術の「逆らわずして勝つ」という原理に、日本人や日本文化の特質を見出したのである。そしてハーンは、西洋人よ、日本を甘く見るな、と言わんばかりの表現をする。

要するに、日本は、西洋の工業、応用科学、あるいは経済面、財政面、法制面の粋を選んで、これを自国に採用したといえば、それで足りる。しかも日本は、どんな場合にも、西洋における最高の成績のみを利用し、そうしていったん手に入れたものを、自国の必要にうまく適合するように、いろいろに形を変えたり、あんばいしたりしたのである。

自分の国は、昔ながらのままにしておきながら、実に敵の力によって、あたうかぎりの限度まで、自国を裨益したのである。かつて聞いたこともないような、あの驚嘆すべき頭のいい自衛法で、あのおどろくべき国技、柔術によって、日本は今日まで自国を守りつづけてきたのだ。いや、現在も守りつづけつつあるのである。

これが書かれたのは日清戦争の直前、欧米で出版されたのは日清戦争の直後(1895年)であった。欧米が日本に注目し始めた時期である。「柔術」が収められたハーンの作品集『東の国から・心』は、ニューヨークやロンドンで版が重ねられ、多くの人が目にした。

そしてこれ以降、講道館への外国人客が増える。それも政治家や外交官、教育学者らが次々に見学に訪れた。

例えば、米エール大学教授、英ケンブリッジ大学教育学部のヒュース博士ほか40人、英国公使、英海軍中將、艦長、そして米コロンビア大学教授デューイ博士などが訪問した。「日本の近代化成功の正体は講道館にあり」ということを確かめに来たのであった。

この逆らわずして勝つという原理は欧米人には新鮮に映った。嘉納の柔道を通して日本の近代化を描いたハーンは柔道の伝道者となった。そして嘉納治五郎の名も欧米で知られることとなる。

嘉納治五郎の像が2016年9月24日にロシア沿海州に設置された(写真提供=ロシア沿海州政府イーゴリ・ノヴィコフ氏)

ハーンの日本文化を見つめる視点の面白さもさることながら、ハーンが指摘したように、異国の文化をうまく受け入れて自分のものにしてきた日本人のしなやかさ、これは日本人の長所として忘れてはならないことの一つである。相手の力にいかにうまく順応し、あわよくばそれを自分のものにより合うように改良してしまうという発想。これは日本人が大陸の文化を受け入れて来た長い歴史のなせる術であり、そのような文化の土壌の元に、柔道が誕生したと言えるのである。

バナー写真:嘉納治五郎が「ロシア柔道の祖」ワシリー・オシェプコフに黒帯を授ける様子を再現した像(写真提供=ロシア沿海州政府イーゴリ・ノヴィコフ氏)

(※1)^ 小泉八雲『東の国から・心』(平井呈一訳、1975年)より引用。原典はOut of the East (1895年)

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  • [2016.12.14]

筑波大学体育専門学群長・教授。公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会参与。日本オリンピックアカデミー理事。1983年、筑波大学で体育研究科卒。体育学修士。2007年、博士号(人間科学 早稲田大学)取得。10年「日本体育学会学会賞」、 15年「秩父宮記念スポーツ医・科学賞奨励賞」を受賞。主な論文「嘉納治五郎による関東大震災(1923年)後のスポーツによる復興の試み」「オリンピック・ムーブメントにおけるパラリンピックの位置づけ」「社会の中で果たすスポーツの役割」。

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