知られざる「チョウ大国」——世界が注目する台湾の自然生態

文化

世界から注目される台湾のチョウ

台湾は世界に名だたる「チョウの王国」である。面積こそ日本の10分の1程度にすぎないが、そこには400種を超えるチョウが生息している。ちなみに、日本は約250種、イギリスはわずか70種あまりであることを考えると、その多さがよくわかる。また、生息密度は世界トップレベルと言われている。

台湾に生息する400種のうち、約40種が台湾の固有種である。台湾では愛好家や研究者以外、こうした事実を知る人は多くないが、世界中の愛好家が熱いまなざしを向けているのが台湾なのである。

台湾のチョウの種類が豊富なのは、複数の気候帯にまたがっていることが大きく影響している。北回帰線は台湾の中央よりやや南を通っており、緯度による区分ではその南側が熱帯となる。気候学上、台湾の大部分は温暖湿潤気候に属するが、高雄以南の低海抜地は熱帯モンスーン気候、最南端の恒春一帯と蘭嶼は熱帯雨林気候に属する。

また、台湾の山岳地帯は冷涼な気候で、最高峰の玉山(旧称・新高山)を中心とした中央山脈の山々は寒帯のツンドラ気候となっている。ここにはミドリシジミなど、シベリアや中国東北部、朝鮮半島に分布するチョウがいる。

温帯性気候の地域では日本と共通の種類が多く見られ、熱帯性気候の地域では目が覚めるような美しいチョウが見られる。大型の種類が多いこともあって、毎年のように台湾を訪れる愛好家たちも少なくない。

戦前の少年らを魅了したチョウ

日本統治時代、少年らが夢中になっていたものの中に「チョウ採り」があった。

特に旧制中学の生徒の中には、休みのたびに採りに出掛けたという猛者もいたようだ。台南の郷土史研究家として知られた故・黄天横氏は台南第一中学に在学中、クラスの誰もが標本作りを趣味にしていたというし、台南時代の思い出をまとめた『鳳凰木の花散りぬ』の著者である今林作夫氏は憧れのキシタアゲハを求め、休みのたびに野山を駆け巡ったと熱っぽく語る。

コウトウキシタアゲハ(撮影:片倉 佳史)

戦前、愛好家たちがこぞって追い求めたものにコウトウキシタアゲハがある。台湾東部に浮かぶ蘭嶼とフィリピンにだけに生息し、台湾本島では見られない。「コウトウ」とは「紅頭」を意味し、日本統治時代に蘭嶼が紅頭嶼と呼ばれていたことにちなむ。また、キシタアゲハは台湾の最南部である墾丁でも見られるが、コウトウキシタアゲハは蘭嶼でなければ見られない。

コウトウキシタアゲハは羽を広げると12センチにもなる大型種で、前羽は黒色、後羽は金色をしている。後羽は太陽光線が当たる角度によってエメラルドグリーンやコバルトブルーへと変化する。その様子は優美で、息をのむほどの美しさだ。

フィリピン海峡を飛ぶことがあり、蘭嶼に暮らすタオ族の人々は洋上、2キロほど先にいても判別できるという。日中は高さ10メートル前後を飛ぶことが多く、低い位置に下りてくるのは早朝と夕刻だけとなっている。

残念なことに、コウトウキシタアゲハは乱獲や原生林の乱開発によって、絶滅の危機にひんしている。現在は保護対象となっており、蘭嶼にはコウトウキシタアゲハが好むハイビスカスを植えた保護区が設けられている。

台湾チョウの王者と称される「フトオアゲハ」

台湾のチョウで最も著名なのはフトオアゲハである。愛好家が「台湾」と聞いてすぐに思いつくのはこれだという。台湾の国蝶とされている存在である。

チョウは本来、後羽の尾状突起に1本の翅脈(しみゃく)が貫通している。しかし、1932年7月、現在の宜蘭県大同郷で、尾状突起に2本の翅脈があるチョウが発見された。発見者は鈴木利一(すずき・りいち)という人物で、翌年に台北帝国大学教授の素木得一(しらき・とくいち)も捕獲に成功している。

34年には新種として記録されたが、台湾総督府はこれを天然記念物の扱いとし、捕獲を禁止した。その後、終戦までの採集記録はわずか6頭のみで、戦後もしばらくは採集記録がなく、昆虫雑誌などでは絶滅したと記載されることもあった。現在は生態保育の成果もあり、個体数は増えているが、そう容易に出会えるものではなく、筆者もお目にかかったことはない。

ちなみに作家・北杜夫の作品に『谿間にて』という短編小説がある。この中で主人公は山で知り合った男から、台湾の「幻のチョウ」について話を聞くシーンがある。これがフトオアゲハである。

チョウを「発見」した人々

台湾のチョウの発見者についても考えてみたい。その多くは学者ではなく、昆虫の研究を本業としない「チョウ好き」であることが多いのは注目に値しよう。生態研究や分類学は学者の手によるものが多いが、台湾での発見者は一般人であることが多く、学名にも日本人の名が付されていることが少なくない。

その一つに「ワタナベアゲハ」がある。台湾だけに生息する固有種で、「臺灣鳳蝶」という異名を取る。言うまでもなく台湾を代表する一つである。

ワタナベアゲハ(撮影:片倉 佳史)

ワタナベアゲハの発見者は渡邊亀作(わたなべ・かめさく)で、新竹州北埔に赴任していた警察官である。勤務の傍ら、余暇を利用して山に入っては、趣味の昆虫採集にいそしんでいたという。後に渡邊は北埔支庁長となったが、1907年11月14日に発生した抗日事件「北埔事件」の際、日本人57人とともに惨殺されてしまった。

生前、渡邊は北海道帝国大学の昆虫学者である松村松年(まつむら・しょうねん)に標本を提供していた。松村は渡邊の死を悼み、新種の命名に際して渡邊の名を冠した。この時、ワタナベアゲハの他にワタナベキマダラヒカゲも命名されている。

余談ながら、松村は日本の昆虫学の基礎を築いた人物である。台湾との関わりも深く、1906年と翌年に台湾総督府からの要請を受けて台湾を訪れた。松村はサトウキビの害虫について詳細な調査を行い、成果はその後の製糖産業の発展に大きく貢献した。チョウについても、09年に『台湾産蝶類目録』を刊行し、320種を紹介した。さらに、高山地帯に生息するアケボノアゲハの他、台湾だけで56種の命名者でもある。

チョウが舞う黄蝶翠谷を訪ねる

台湾が誇る生態景観として、「チョウの谷」を紹介したい。高雄市美濃区には雙渓と呼ばれる川が形成した渓谷がある。「黄蝶翠谷」と呼ばれており、春から夏にかけて、黄色いチョウが谷あいを埋め尽くす。

台湾中部の埔里や南部の墾丁など、台湾にはいくつかチョウの名所があり、いずれも大型がメインとなっている。そんな中、ここは小型種のキチョウばかりが集中して発生することで知られている。

キチョウ(撮影:片倉 佳史)

谷あいを埋め尽くすチョウの生態もまた、日本と深い関わりがある。戦時中、台湾総督府は台湾南部において、熱帯性植物の植林を進めた。特にマラリアの特効薬キニーネの原料となるキナの栽培を奨励したのは周知の事実である。この地も例外ではなく、枕木などの木材需要を満たすため、大量のタガヤサンが植樹された。

これがキチョウの生育に適したため、大規模な繁殖に結び付いた。毎年6月前後に大発生し、88年には5000万頭超が集結したという記録が残る。現在は往時の数には到底およばないが、その様子を目の当たりにすると、誰もが圧倒されるに違いない。

集団越冬する神秘のチョウ

最後に、集団で越冬する珍しい存在について述べておきたい。集団越冬は世界でもメキシコと台湾だけで見られる。メキシコはオオカバマダラ、台湾はルリマダラと呼ばれる。

ルリマダラ(撮影:片倉 佳史)

ルリマダラ類は4種で構成され、夏季は全島各地に点在しているが、11月頃から翌年3月頃までは寒さを逃れ、高雄市茂林区に集団移動して越冬する。移動のピーク時には毎分1万頭が飛来するという。チョウの越冬は珍しくないが、これだけの個体数が集団で越冬するケースは世界的にも珍しい。

ルリマダラの羽を広げた時の大きさは4~8センチ程度で、前羽の裏側が紫色をしている。羽を動かしていると、鱗粉(りんぷん)が太陽光線を浴びて反射し、淡い紫色から鮮やかな紫色、そして深紫、さらに時には青く光る。

ルリマダラ類は越冬中、ほぼ毎日、朝9時から夕方5時頃まで盛んに活動するのが特色だ。午前中は日光浴や吸水などを行う。河原や水たまりに下りて集団吸水することもあり、2月頃にはマンゴーなどの花で吸蜜する様子も見られる。

3~4月には北に戻っていくが、その距離は100キロを軽く超える。

チョウの生態を守る努力

ルリマダラ類の集団越冬にもここ数年で大きな変化が生まれている。山林開発によって数は激減し、温暖化現象による植生の変化、新しい道路の建設など、さまざまな形で脅威に晒(さら)されている。

中でも2004年、越冬を終えたルリマダラたちが北に戻るルート上に、高速道路が建設されたことは深刻な事態を生み出した。高速道路を走る自動車によって発生した気流にチョウが巻き込まれ、大量死するようになったのである。

こうした事態を受け、生態保護を訴える市民が運動を起こした。行政も素早く対応し、07年には防護網が設置された他、毎年3~4月下旬までは、毎分あたりのチョウの個体数に応じて、外側車線の約500メートルを封鎖することを決めた。、自動車の通行を制限し、チョウを優先的に通過させたのだ。

車両の通行制限を伝える看板

移動経路を守るために道路を封鎖するのは世界でも例を見ず、注目された。生態保護の効果も大きく、ルリマダラ類は増加傾向にあるという。こうした取り組みは欧米や日本でも注目され、話題となった。

ルリマダラに限らず、生態を守る努力は今も続けられている。また、最近はチョウに対する社会的関心も高まり、自然と共存する生き方を模索する人々も増えている。台湾が誇る自然の神秘と、そこに関わる人々の動き。これは台湾が自らを世界にアピールする上で大きな財産と言えるのではないだろうか。

バナー写真=提供:片倉 佳史

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