台湾で根を下ろした日本人シリーズ:トレンドから文化へ——Fujin Tree Group事業単位総経理・小路輔さん

文化

小路 輔 KŌJI Tasuku

Fujin Tree Group General Manager。 1979年生まれ。2002年からJTBグループでインバウンドやビジットジャパン関連の業務に従事し、2012年からスタートトゥデイでファッション通販サイト「ZOZOTOWN」の海外事業を手掛ける。14年にFUJIN TREE TOKYOを設立する。台湾最大級の台日カルチャーイベント『Culture & Art Book Fair』『Culture & Coffee Festival』などのオーガナイザーも務める。日本と台湾のカルチャーやライフスタイルの交流をテーマに活動中。

台北松山空港から徒歩圏内にも関わらず、閑静な住宅地域の民生コミュニティー。その一角の富錦街と呼ばれる通り沿いに、4年ほど前から、カフェ、雑貨店、ブティックなどおしゃれな店が次々と出店し始めた。これらの店舗の運営母体が「Fujin Tree(富錦樹)」グループで、目下10業種10店舗をベースとした事業を展開している。日本の雑誌にもたびたび取り上げられているFujin Treeは、日本と台湾のトレンドをつなぎながら、新たなライフスタイルを提案し続ける集団として台湾でもひときわ存在感を放っている。そのグループをジェイ・ウー(呉羽傑)代表とともに率いる小路輔General Manager(事業単位総経理)から、これまでの経歴、台湾人「懐日」論、トレンドと文化について話を聞いた。

ジェイ・ウー氏と共にFujin Treeを設立

今から15年ほど時をさかのぼる。小路がJTBグループに入社したのは2002年。その前年の9月11日に米国同時多発テロが発生し、旅行業界が「10年間の冬の時代」を迎えた直後のことだった。さらに重症急性呼吸器症候群(SARS)の追い打ちもあって停滞した観光業を活性化させるため、03年から観光庁が肝いりで主導した「ビジット・ジャパン・キャンペーン」事業に小路は関わることになった。ここでインバウンドのノウハウを磨き、幅広い人脈を培った小路は、12年にはJTBグループから「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイに移籍し、台湾も含む82地域の海外取引を管轄することになった。そして、当時「ZOZOTOWN」の台湾側の協力会社の責任者だったジェイ・ウーと出会う。ジェイとの協働によって台湾での事業を軌道に乗せることに成功すると、14年にはジェイと協力してFujin Treeを誕生させた。小路はジェイと自分との違いを次のように表現した。

「ジェイと自分は仕事やライフスタイルへの考え方が真逆です。彼はまず大きな夢や目標を据え、クオリティー・オブ・ライフを追求するタイプです。これに対し、自分は小さな夢や目標を一つずつクリアして、それらを組み合わせて楽しむタイプです」

両オーナーのこうした性格や感覚の違いが、相互補完の関係を生み出し、Fujin Treeの躍進を支えている。その一方、意外なことにジェイと小路は、互いの仕事にほとんど干渉しないという。両者にとって、お互いの距離が近すぎないこともパートナーシップを維持する上での秘訣(ひけつ)なのかもしれない。ところで、小路は日本人の多くが抱いている台湾人の対日イメージに疑問を抱いている。

台湾人は「フレンドリー」だが「親日」ではない

「台湾人は確かにフレンドリーですが、日本で広く言われているほど『親日』ではないと思います。日本のスタンダードを持ち込んで台湾を捉えようとすると、そもそもの前提を見誤ることとなり、後々の結果が真逆になってしまう場合もあります」

(撮影:亦翔)

例えば日本では昨今、ワーク・ライフ・バランスが叫ばれているとはいえ、残業も厭(いと)わず会社に尽くす精神は普遍的だ。一方、個人の生活を優先し、自分に合わなければ簡単に離職する台湾は、むしろ欧米に近い。また、ビジネスが絡むと途端に金銭にシビアになるのは、中華系社会の特色とみる。したがって、日本人が「台湾人は自分たちに価値観が近い」との前提でビジネスを始めると、つまずくケースが後を絶たないという。台湾はあくまでも海外であり、グローバルスタンダードに照らしてビジネスを組み立てることが肝要と説く。

片や、台湾人の日本に対する思いを小路は「懐日」と表現する。これは台湾の民主化が進み、政権交代を経た現代の若い世代が、台湾独自の創造的なもの、文化的なものを発信しようと模索した結果、自分たちの祖父母が「日本人」として生きた日本統治時代に、その文化的ルーツを見いだすようになったのが発端と解説する。年間400万人もの台湾人が日本を訪れるのも、その多くは「懐日」にも動機があると小路は考える。

「日本人が台湾人を『親日』と感じるのは、ホスピタリティを表す台湾華語の『好客』と、この『懐日』の合わせ技ではないかと私は考えています」

トレンドから文化へ成長させることを意識

小路が手掛けるイベントにも、この「懐日」の仕掛けは見え隠れする。今年の7月初めに、華山文化創造園区で開催され、長蛇の列ができた日台のカフェ文化の競演イベント「Culture & Coffee Festival」を振り返ってみる。日本のカフェ文化は数十年をかけて熟成されたのに対し、台湾のカフェ文化はここ10年ほどで急速に発展したにすぎない。日本からは業界のオピニオンリーダーが開くカフェやロースター10店舗が参加し、日本の良質なもの、台湾にないものを提示した。台湾側の参加者はこれに飛びついた。その反面、日本からの参加者たちは、台湾のカフェ店主や愛好家たちの熱意を目の当たりにし、日本では見られない台湾のカフェ文化のパワーに圧倒されることとなった。結果として、日台の参加者同士が互いに学び合う双方向の交流が実現した。

実はこのイベントには、もう一つ大事な仕掛けがあった。台湾からの参加を募ったところ、140もの店舗から申し込みがあった。ビジネスとして考えれば、大きな会場を借りて全ての応募者に参加してもらうのが普通だろう。しかし、小路はあえてそれをせず、参加店舗数を30まで絞った。

(撮影:亦翔)

「日本からの参加店舗数10軒に対し、台湾からの参加店舗数30軒が黄金比率と考えたのです。台湾からの参加数が多すぎると、日本からの参加店舗が埋没してしまいます。そうなると、日台双方のカフェ文化の相違が浮き彫りにならず、双方向交流に向かいません。イベントの規模が小さくても、文化が先行すればビジネスは後から付いて来ます。一過性の単なるトレンドを追求するのではなく、トレンドから文化へと成長させることを意識しました」

ところが、それは容易なことではない。台湾の人々は熱しやすく冷めやすいと言われる。人口も日本の5分の1ほどで少なく、日本よりも流行が早く終わる。店舗の入れ替わりも激しい。新しい雑誌が創刊されても、2号目以降が続かないことも多い。また、兵役の影響で男子学生の就職時期が遅れたり、身軽に転職を繰り返す土地柄だったりもする。そのような社会的背景も手伝って、台湾ではトレンドをカルチャーに昇華させるには一手間かかる。小路は参加者の体験としての「テイスティング」と「ストーリー」づくりをキーワードに挙げた。

「例えば、イベントでは、参加者がさまざまなコーヒー豆をテイスティングできるカッピングというワークショップを数多く実施しました。コーヒーの甘みや酸味、苦み、余韻など味や香りの違いから自分の好きなタイプのコーヒー豆を見つけてもらいます。この経験を基に、今度は参加者自らが街でカフェ巡りをし、自分のお気に入りの豆を扱う店を探すよう促します。こちらの提案にイベント参加者が共感し、納得し、やがて自らが発信者になっていく一連のストーリーがカルチャーを醸成していくと考えます」

「あきらめ」が大切な海外ビジネス

台湾はこの点、個人が自分の意見をはっきりと述べる土壌がある上、SNSが発達しているため、トレンドからカルチャーへの移行においては有利な側面もある。先日『BRUTUS』の台湾特集の表紙が台湾のSNS上で炎上した記憶は新しい。当初は、表紙となった台南の国華街の昔ながらの風景が台湾の後進性を強調されているようで屈辱的だ、いや、日常のありのままの姿をむしろ誇りに思うべきではないか、という賛否両論の議論が白熱し拡散していった。しかし、程なく自分のお気に入りの風景写真をコラージュし、自分だけの『BRUTUS』の表紙を作成できるアプリが出回ると、今度は最初の論点は完全に置き忘れられ、それぞれが「My表紙」を作るのに熱中するという方向に事態は「進化」していった。このスピードとセンスは台湾独自のもので、台湾の文化創造の可能性を小路はここに見いだす。そして、Fujin Treeの役割をこう定義付ける。

「セレクトショップの商品でも、その良しあしではなく、それを生活の中でどう使うか、生活文化を提案することが私たちの役割です。私はテーマを変えながら、外国人だからこそ見えるものを提示し、台湾人が自分たちで気付いていない台湾の特徴や長所を再認識、再発見してもらえたらと考えています」

(撮影:亦翔)

台湾にはこれからの日本が直面する問題のヒントがあふれていると小路は言う。少子高齢化と介護、LGBT(性的少数者)への取り組み、民主主義の在り方、仕事とプライベートのバランス、これらは台湾がむしろ日本より先行している。台湾のサイズは日本が今後のモデルを考える上でも完璧だとも言う。そんな小路に、大切にしている言葉、ビジネスにおける信条を最後に聞いた。

「海外でビジネスをする上では『諦める』ことが大切だと思います。私は台湾人ではないので、台湾人の気持ちを100%理解することはできません。私にとってはささいなことが彼らにはとても大切だったり、その反対もたくさんあったりします。それを分かろうとしたり、分からせようとしたりするのではなく、分からなくても仕方ないことと捉えています。もちろん分かり合えたらすてきなことですが……。その上で台湾と日本との『場』を作るのが自分の仕事であり、信条を一言で言えば、『Agree to disagree』ということでしょうか」

自分の色を消し、裏方に徹する姿勢を見せる小路。しかしその反面、深い洞察に裏打ちされた独自の哲学を繰り広げる異能の経営者は、これからも台湾の人々の「懐日」意識をくすぐり続け、トレンドの新芽をカルチャーの大木へと育む職人として、その存在感を放ち続けることだろう。小路の次の一手は何か。これからの楽しみは尽きない。

バナー写真撮影:亦翔

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