グローバルパワーシフト時代の通貨と国際秩序

行天 豊雄【Profile】

[2011.11.21] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

2007年からの世界金融危機を契機に、ドル基軸通貨体制に対する危惧が多く聞かれるようになった。先進国から新興国、とりわけ米国から中国へのパワーシフトは、国際通貨制度を含む国際秩序を変化させるのか。大蔵省財務官や東京銀行会長として国際通貨制度に深く関わってきた行天豊雄氏が分析する。

1945年に第2次世界大戦が終了した時、米国は世界のGDPの40%を占める唯一の超大国であった。米国の主導の下でブレトン・ウッズ体制と呼ばれる世界経済秩序が構築されたのは当然であった。ブレトン・ウッズ体制下の国際通貨制度は、金によって価値を保証されたドルを基軸通貨とする金ドル本位制および国際通貨基金(IMF)による固定相場制度と短期融資制度の維持を柱としていた。戦後の四半世紀にわたり、ブレトン・ウッズ体制の下で世界経済は目覚ましい復興と発展を遂げた。

ところが、家計消費需要に依存した米国の成長モデルは次第に矛盾を生み始めた。米国の消費財産業は国際競争力を失い、経常収支の赤字が拡大し、対外債務は累積していった。1971年、米国はドルの金保証を撤廃し、固定相場制は放棄された。ブレトン・ウッズ体制は2本の柱を失って崩壊したのである。換言すれば、米国はブレトン・ウッズ体制を維持するために成長を犠牲にするのではなく、成長を維持するためにブレトン・ウッズ体制を捨てた。そして世界は価値保証のないドルを基軸通貨とするドル本位制と変動相場制の時代に入ったのである。

しかし、変動相場制になっても米国の赤字は解消せず、グローバル・インバランスは激化した。国際的過剰流動性の発生が金融市場のボラティリティーを高めていった。

グローバルパワーシフト

このような状態が持続不能であり、いずれドルが暴落するだろうという危惧は長らく語られてきたのだが、その危惧は実現しなかった。理由は2つある。第1に、米国は基軸通貨国として、対外赤字のファイナンスを案ずることなく成長を維持することができた。他方、輸出国は強い海外需要で輸出主導型の成長を維持し、獲得したドルを米国国債等のドル資産に投資した。この還流で米国金利は安定した。つまり、危ういウィン・ウィンの関係の上で世界経済の自転車操業が続いたのである。第2に、たとえ赤字が増えようと、総合国力における米国の覇権的地位は変らなかったし、それを脅かす国もなかった。基軸通貨としてのドルに代替できる通貨はなかった。だから、いかにドルのリスクが語られようと、市場がドルを捨てることはなかったのである。

最近ドル基軸通貨体制に対する危惧が多く聞かれるのは、2007年に始まった世界金融危機を契機に、今まで受け容れられてきたこういう基本的条件が変わったのではないかという不安が生まれていることの反映である。換言すれば、第2次世界大戦後初めてグローバルパワーシフトが起こっているのではないかという予感である。世界経済の重心が先進国グループから新興国グループへ、さらに端的には、米国から中国へ移りつつあるということである。このシフトはまず生産、消費、貿易、投資という実体経済の分野で始まり、この局面はすでに完了した。次の段階は、技術、経営、金融などの経済ソフト分野のパワーシフトであり、現状はまさにこの局面の真只中にある。シフトが更に進めば、それは覇権の中核ともいうべき軍事、外交、文化の分野に及ぶであろう。中国はすでにこの段階への接近を意識している。このようなシフトが起こるのは基本的には経済発展史の必然であろう。しかし、それが21世紀になって初めて世界的な関心事として登場した原因は米中双方にある。米国経済はあまりにも家計消費と金融産業に依存しすぎた。経常収支の赤字が累積し、世界最大の対外純債務国となってしまった。その過程でドルに対する不安が徐々に高まったのは否定できない。もっとも、2007年以来の危機はそもそも金融危機であってドル危機ではない。むしろ、国際流動性の中核としてのドルの重要性が強く認識された側面もあることは忘れてはならない。だが、この危機によって露呈した米国経済の弱点が注目を集め、そのことが基軸通貨であるドルの信認にマイナスに作用したことは明らかである。

米国の覇権に対する中国の挑戦

米国の退潮は経済にとどまらなかった。インペリアル・オーバーリーチというべきイラク、アフガニスタンへの過剰な介入は大きな経済的・軍事的負担を生じさせたのみならず、指導国家としての国際的威信を傷付けてしまった。

一方、中国は毛沢東による大躍進政策や文化大革命の混乱のあとを引き継いだ鄧小平によって大転換を遂げた。鄧小平が主導した改革開放政策の本質は、倫理性を持ったイデオロギーとしての共産主義の放棄だった。彼が天才的な指導者であったのは、倫理的イデオロギーを放棄した上で、政治機構としては共産党の独裁制を堅持しながら、大衆の物質的金銭的欲望を解放したことだった。天安門事件はこの新戦略に挑戦する最初のテストケースだったが、鄧小平は徹底的弾圧で危機を乗り越えた。その後の中国の発展は鄧小平政策の成功の歴史である。有能な指導者層と向上心に駆り立てられた13億の人民はすさまじいエネルギーをもってひたすら富国強兵の道を邁進しており、建国60年でGDP世界第2位の大国に躍進した。

このようなパワーシフトは国際通貨体制を含む今後の国際秩序に大きな影響を及ぼすだろう。第2次世界大戦以後、世界は米国を覇者として受け容れてきた。ソ連は米国に代って世界の覇者になるという国家目標を公示したことはなかったし、実際のソ連の国力からしてパワーシフトが発生する現実味はなかった。その後、日本やドイツの経済的台頭があり、また1990年代以降、統合の拡大・深化による欧州の地位向上があった。しかし、いずれの場合も、客観的にも主観的にも、これらの勢力は米国の地位に対する挑戦者ではなかった。覇者たる大国は6つの力で世界に卓越しなければならない。経済力、軍事力、外交力、技術力、文化力、そしてイデオロギー力である。20世紀以来、米国に匹敵しようと意図した国はなかった。

現在の世界にはそのような過去と異なった状況がある。中国は米国の覇権に対する挑戦者になり得るという目的意識を持っており、そのために国を挙げての努力が続けられている。中国の姿勢の際立った特色は、米国の凋落と中国の興隆は歴史的な必然であって、時は中国に利するという「確信」を持っていることである。つまり、熟柿が落ちるのを忍耐強く待つという姿勢であり、米国にとっては手強い状況であろう。2007年以来の米国の苦境は、中国の「確信」を(おそらく必要以上に)裏付けてしまった。

中国の国際通貨制度政策

国際通貨制度をめぐる中国の政策は徹底した現実主義である。目下の中国にとって、米国の一極支配に挑戦することが国是であり、当然、国際通貨制度もその一環である。近年中国はドル基軸通貨体制に対して批判を強めている。つまり、「公共財である国際流動性の供給が、基軸通貨国の国内政策目標によって恣意的に左右されている現状は許し難い。IMFの特別引出権(SDR)のような、国際的に公正な判断で需給を調節でき、各国に節度をもたらすことができる通貨が国際基軸通貨たるべきである」という議論である。これ自体はなにも新しい議論ではない。それは現状の国際通貨制度が抱える問題を正しく指摘したものである。ただ、問題は、それが一国の国内通貨を国際的本位通貨として使用する制度にとっては構造的に内包されている矛盾だということである。世界はその解決法を過去40年間悩んできたが、いまだに答えは見当たらないのである。中国はこの現実を十分理解しており、予見しうる将来、ドル基軸通貨体制が基本的に継続するであろうと考えている。

中国の国際通貨制度政策は3本の柱に立っていると思われる。第1の柱は、現行の体制が今後数十年は続くと想定し、その体制が中国にもたらす利益を可能な限り享受することである。具体的には、輸出と投資を中軸とする高度成長はできる限り続ける。人民元については十分な管理を維持する。為替介入により外貨準備が積み上がるのはやむを得ない。ドルは減価するかもしれないが、暴落はしない。ドル資産はリスクではなく戦略的資産であると考える。第2の柱は、人民元を徐々に国際通貨化することである。そのためには、周辺国との取引を手始めに人民元による決済を拡大したり、人民元建て債券の発行を促進する。また、相場の弾力化、資本取引の自由化、交換性付与などの措置を10年前後の将来を目指して実施する。第3の柱は、上海をニューヨーク、ロンドンに匹敵する、人民元を中心とした国際金融センターとして育成することである。

しかし、世界金融危機を契機にその国際的存在感を著しく高めた中国は、同時に大きなリスクを抱え込んでいる。危機回避のために行なわれた4兆元に上る政府・国営企業・国有銀行による投資と融資は景気の維持には成功したが、経済を民間主導とするための改革を逆戻りさせた。肥大化した公的部門は多数の特別利益集団を生み、汚職や格差拡大の温床となった。国民の不満も拡大している。思想を捨てて発展を達成した超大国は、来年の指導者交代を前に、改めて倫理性を持ったイデオロギーを模索しなければならない段階に入ったのである。

多極化する世界の中で求められるもの

発展モデルへの反省を求められているのは中国だけではない。1980年代以降、グローバリゼーションと金融資本主義を土台にする新しい成長のパラダイムによって好景気を享受してきた欧米先進国は、まさにこの2つの変化の申し子ともいうべき現在の金融危機に苦吟している。新たな成長パラダイムに伴う格差拡大を指弾し、「ウォールストリートを占領せよ」という米国の若者達のフラストレーションは、間違いなく全世界的共通性を持った21世紀の現象なのである。

このような21世紀を日本はどう生きるべきであろうか。過去20年間に日本は判断の誤りと決断の欠如によって多くを失った。現状は厳しい。しかし、もし日本国民がこれからも高い生活水準を維持し、かつ、世界の中で一目置かれる存在としてとどまるのだという強い意欲を持っているのなら、なすべきことは多い。まず日本は人口問題への対応と財政の健全化という2つの長期的課題についての道程を明らかにした上で、前述した経済・軍事・外交・技術・文化・イデオロギーという6つの統合国力で世界の五指に入る地位を維持することを国民的合意としなければならない。なかでもイデオロギーの面で、日本が歴史と経験の中から、世界の共感と信頼を得られるような「論理的体系を持った思想」を発信することができれば、世界の多くの国々で価値観が動揺している現在、それは貴重な実績となるだろう。

21世紀の世界は、米国による一極支配が中国による一極支配に変わるのではなく、米国を軸とした多極化の世界になるであろう。そこで重要となるのは「交渉による合意形成」である。そして、通貨であれ、通商であれ、安全保障であれ、領土問題であれ、交渉において最も大事なのは、どのくらい価値のあるカードをどのくらい多く持っているかである。過去日本は対外交渉に際してカードを作る努力をあまりにも怠ってきた。それは日本の対外交渉が基本的には対米一辺倒であったためではあるが、多極化時代の日本はサバイバルのためにも交渉における老練さを身に付けねばならない。

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  • [2011.11.21]

公益財団法人国際通貨研究所理事長。1931年生まれ。1955年東京大学経済学部卒業後、大蔵省に入省。国際金融局長、財務官などを歴任。1989年に大蔵省退官後、ハーバード大学、プリンストン大学、サン・ガレン大学の客員教授を経て、1992年から1996年まで東京銀行会長。1995年から現職。著書に『富の興亡-円とドルの歴史』(ポール・ボルカー元FRB議長との共著、1992年、東洋経済新報社)、『世界経済は通貨が動かす』(編著、2011年、PHP研究所)など。

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